第7話 水汲み
マールズの家に着くなり姉ちゃんが言う。
「お腹空いたんだけど」
さっきお腹がかなり膨れるというナッツバー食べたはずなのだけど……。ぼくはあきれて天井を見上げる。天井にはコケが生えていた。このコケは弱く発光するらしく、マールズの家の天井のあちこちにある。
「あれ食べられるの?」
ぼくの視線を目で追った姉ちゃんがとんでもないことを言いだす。
「いや。食べられないと思う。ていうか、貴重な照明なんだから食べたらダメだよ。それにお腹が光っても困るでしょ」
やり取りに興味を抱いたマールズとロージーに事情を説明した。他人の家で食事がまだかと言わされるぼくの身にもなって欲しい。
「まだ食べられるの?」
「嘘だろ?」
驚く二人だった。
そうだよね。そう思うよね。だけど、我が山田家のエンゲル係数は高いんだ。
エンゲル係数というのは家庭での支出のうちに食費が占める割合を示すもの。人間は食べなきゃ生きていけないから収入額にかかわらず食費はかかってしまう。
例えば四人家族が一人一食二百円で生活しているとする。三食で六百円かける三十日かける四人分で七万二千円だ。ちなみに外で食事するとなると二百円じゃ飲み物無しでハンバーガーが一個買えるだけ。その程度でも一月の食費が七万円を超える。いかに食費を抑えて美味しく栄養のあるものを家族に食べさせるか、食事を作る人が頭を悩ませるわけだ。
それで一月の収入が二十万円とすると税金などが引かれて実際に手にできるのは十四万円。ここから住宅費、光熱水費、通信費などなどを払う。もし十四万円を全額使っているとした場合のエンゲル係数は五十パーセント。半分が食費ってことになる。
そして、もしも収入が五倍の百万円になったとしても、人間は五倍も食べない。もちろん値段の高いものを材料にすることもあるのだろうけど限界がある。
だから、一般的には収入が少ない家の方がエンゲル係数は高くなるんだ。
ただ例外というものはあって、うちの父はそれなりに稼ぎがあるそうだがエンゲル係数が高い。それは滅茶苦茶な量を食べる誰かさんがいるせいなのだ。
ぼくが朝食べたお粥のようなものの残りがあると聞いたので、それを出して貰えるようお願いする。姉ちゃんはお代わりまでして器を舐めるようにきれいに完食した。
「ごちそうさま。美味しかったあ」
姉ちゃんは大食いだけど実に美味しそうに食事をする。その食べっぷりは見ていて気分がいい。
料理を作ったロージーにもそれはきちんと伝わったようだ。
「気に入ってもらえたようで良かったわ。今日の夕食まで食べるつもりだったんだけど、まあ仕方ないわね」
ぼくは恐縮して六食分を一人で食べつくした事実を姉ちゃんに指摘する。
「もちろん、ただ飯食べようとは思ってないさ。その分の力仕事ならなんでもするって伝えてよ」
姉ちゃんは半ば強引に仕事を始めた。
最初は薪割りやら石臼引きやらをするけれど、すぐに材料がなくなる。
「これだけでいいのかい?」
姉ちゃんは物足りなさそうだった。
すると今まで使っていたものとは別の出入り口を通って水汲み場へ連れていかれる。急な斜面をはうようにしてずっと川面まで木の管が伸びていた。手前にはレバーがありグルグルと回転できるようになっている。
姉ちゃんがレバーを回すと歯車がその動きを伝えて木の管の中のらせん状の部品が回転した。それに伴い筒先から水が出てくる。たぶんアルキメデスのポンプと呼ばれるものと同じ原理なのだろう。
姉ちゃんは大きく腕を動かしてレバーを回し続ける。学校のプールの半分よりやや狭いぐらいの貯水槽にみるみるうちに水が溜まっていった。
「凄いわ。普通は十数人がかりでやる作業を一人で汲み上げちゃうなんて」
「オレっちもこの作業をすると翌日腕がパンパンになるんだぜ」
最初は遠巻きにしているだけだった集落の他のテンも近づいてきて、やんやと誉めそやす。ぼくが通訳してやると姉ちゃんは何でもないという顔をした。
ぼくも試しに少しだけ触らせてせてもらったけど、十回ほど回すと汗が噴き出してきてやめる。姉ちゃんはことも無げに汲み上げを完了してしまった。
ここからさらに少し高い場所にあるところへ汲み上げる別のポンプがあるとのことでみんなはそちらに移動する。
ぼくはその場に残った。
いつものことではあるものの、姉ちゃんが注目と賞賛を集めることが面白くない。元はといえば姉ちゃんがたらふく食べたせいで労働をしているということが忘れられているというのも納得できなかった。
他所さまの家で食事をおねだりしたぼくの恥ずかしさについても少しは労ってほしい。
姉ちゃんが上の方でもレバーを回し始めたのだろう。貯水槽の表面にさざなみが走り水が減り始めた。
先ほどまで姉ちゃんが回していたレバーを見つめた。なんとかしてぼくもいいところを見せたいところだ。だけど、ぼくの力ではバケツ数杯分を汲み上げるので精いっぱいだろう。
水がひとりでに上がってきてくれればいいんだけどなあ。まてよ。
ひとりでに……、自分で……、自ら。
物は試しだ。
ずっと背負ったままだった袋から魔法の杖を取り出す。
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言葉を言い終えた瞬間、筒先から勢いよく水がほとばしった。やったあ。
姉ちゃんが汲み上げて減った分を補って水が貯水槽に溜まっていく。
やがて水流は勢いを失った。
またダジャレを繰り返す。
慣れたのか先ほどよりも長い時間水を汲み上げることができた。頭がぐらっときて体がよろける。
そっか。魔法を使うのも代償無しってわけにはいかないんだな。体を使って運んだら筋肉痛どころじゃすまない量の水を動かしたんだ。気力や体力を相当消耗するのだろう。
できれば貯水槽を一杯にしておきたかったんだけど、半分以上溜まっているしこれぐらいにしておくか。もう吸い上げている気配はない。きっと上にある第二の貯水槽が一杯になったんだ。
姉ちゃん達と戻ってきたマールズが貯水槽を見て驚く。
「あれ? まだこれだけも水が残ってる。上のが一杯になったからこっちにはもう残って無いはずなのに」
ぼくはこころもち胸を張ってみた。
「シュート。誰かが来て水を汲み上げてたのかい?」
「いや。誰も来なかったよ」
ぼくは黙っていられなくなる。
「だからぼくが少し汲み上げておいた」
「本当かよ?」
姉ちゃんがどういうことかという顔をしているので説明すると、ぼくの肩に腕を回して絡みついてきた。
「またまた~。秀斗。あんたの腕力じゃこれだけの量は無理でしょ。さっきだってヒイヒイ言ってたくせに」
「姉ちゃんはぼくが嘘をついたっていうのか?」
「だって……」
マールズとロージーが雰囲気から察したのか割って入る。
目ざとくぼくが魔法の杖を手にしているのに気が付いて指さしながらマールズが聞いてきた。
「シュート。ひょっとして魔法を使ったのか?」
「なになに? なんて言ってるの?」
姉ちゃんが質問する。
「マールズはぼくが魔法を使ったんじゃないかって言ってるんだよ」
姉ちゃんはぷっと吹き出した。
「父さんが魔法使いだって話も眉唾なのに、あんたが魔法を使ったなんて冗談きっついわ」
ぼくは姉ちゃんの言葉にかちんとくる。
「なら、もう一度やってみせるから」
ぼくはレバーのところに近づいて杖を構えた。
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