第9話 追い出し

「おい。起きてくれ。大変なんだ」

 大きな声と共に小部屋のカーテンが引き開けられマールズが顔をのぞかせる。

 寝台に起き上がって身構えている姉ちゃんがぼくの体を揺さぶった。

「なにか事件みたいだ」

 ぼくは寝起きが弱い。ぐらぐらと揺さぶられて姉ちゃんの顔が三つか四つも見えた。

「わ、分かったから止めて」

 マールズに事情を聞くと、昨日の赤鬼が大挙してやってきているのだそうだ。

「見てもらった方が早い。今すぐついてきてくれ」

 姉ちゃんに伝えると杖を持ってぱっと寝台から降りる。ぼくも慌てて魔法の小杖と辞書の入った袋をひっつかんでマールズの後に続いた。

 貯水槽のところにはテンが群れて斜め下をのぞきこんでいる。ぼくも近づいてみた。

 斜面を下った先にある五メートルほどの川の向う岸には、赤鬼が勢ぞろいして手にしたものを振り上げ叫んでいる。

 小学校の全生徒が校庭に集合しているのと同じかやや多いくらいかな。一クラス三十人が三クラスで六学年だから、六百人以上はいる計算だ。

 対するテンたちは子供や足元のおぼつかなそうな老人も含めても百人ちょっとぐらい。高台に陣取っているとはいえこちらが不利なのは間違いなかった。

「あいつら今までこんなふうにやってくることは無かったんだけどな」

「数もあんなに多くは見たことないわ」

 ロージーがマールズに返事する。

 ぼくがかたずを飲んで見守っていると、川岸に一回り大柄の赤鬼が現れた。頭の上にぴょこんと羽飾りが突き出している。

「魔法使いを渡せっ! ヒトの子供がいるだろう?」

 大柄な赤鬼はどら声を張り上げた。え? ぼくのこと?

 ぼくは首を縮めて垣根の下に隠れる。

 テンの長老との間で言葉の応酬が交わされた。

 どきどきしながら聞いているとまた来るからなとのセリフを残して赤鬼は引き上げていく。

 ぼくがほっとしていると長老に手招きをされた。

「すまぬが集落を出て行ってくれんかのう」

「ちょっと、長老様。それは……」

「まだ子供なんですよ」

 マールズとロージーが口々に抗議してくれる。胸がじわっと熱いもので満たされた。

 長老は困ったような顔をする。

「そうは言ってもな。あやつらの数は見たであろう。赤鬼どももやつらを支配する連中に命令されているとの話であるし、引くに引けんようじゃ」

「でもだからって。オレっちは反対です。それにシュートの父さんは偉い魔法使いなんですよ。後で面倒なことになっても知りませんよ」

「うむ。だからワシも引き渡すとは言っておらん。ここを出てアーカンルムを頼ってはどうかと言っておる。あそこなら庇護してもらえるじゃろうし、その先のヒトの町にも伝手があるじゃろう」

「そうかもしれないけどさ、アーカンルムに行くにはあいつらの縄張りを通らなきゃいけないじゃない。遠回りをして行くったって道も分からないのよ」

 ああ。ぼくのせいでこれ以上は迷惑をかけられないや。

「分かりました。支度をしたらここを出て行きます」

「おお。そうか。分かってくれたか」

 長老は満足そうだったが、マールズは憤然と声を出した。

「ちょっと待てよ。シュート。聞き分けよさそうなこと言ってんじゃねえ。お前アーカンルムの場所分かんのか? 途中にはオレっちとは違って性質の良くない連中だっているんだぜ。最近、でっけえ恐ろしい何かがやって来たって話もあるんだ」

「でも、これ以上ここにいたら迷惑が……」

「ああ分かったよ。お前がそう言うなら俺がアーカンルムまで案内してやる」

「そんな……。ぼくのためにそんなこと頼めないよ」

「ああっ。くそったれ」

 マールズは帽子を取ると地面に叩きつけた。

「なあ、オレっちとシュートは友達って言ったろ? 友達ってのはなあ、こういうときには見捨てねえもんだ」

 ロージーがニヤニヤ笑う。

「あーら、お礼目当てだったはずなのに随分とかっこいいセリフを吐くじゃない」

「ば、ばかやろう。きっかけはどうであれ、オレっちが一度友達と言ったら友達なんだ」

「そう。じゃあ私もそれに混ぜてもらわなくっちゃ。私も二人のことを気に入ってるもの」

 ところが長老から物言いがついた。実はロージーは長老の孫になるらしい。大事な孫娘が危険な旅に出ることは絶対に許さんということになった。

 ええと、その危険という旅にぼくは出かけるわけなんですが……。

 すったもんだの挙句にロージーは足音高くいなくなった。

「ところで、レーセは何やってるんだ?」

 ぼくは姉ちゃんの方を見る。離れたところで両手を前に伸ばして膝の曲げ伸ばしをしていた。

「毎朝の習慣なんだ。とりあえず無視していいよ」

「レーセの意見も聞かなくて平気なのか?」

「姉ちゃんは食事さえ取れれば、あとはあまり気にしない人だから」

 旅支度をする必要があるのとぼくたちが居なくなったということを見せつける必要があるというので出立は明朝早くということになった。

 長老と話がついたので姉ちゃんのところに行く。

「千二百三十、千二百三十一、あ、なんか用?」

 スクワットを千回超えてやっているのに姉ちゃんは涼しい顔をしていた。

「うん。ここから出て行くことになった」

「ふーん。家に帰る方法でも分かったの?」

 今までのやりとりを説明すると姉ちゃんはあっさりと了承する。

「まあ、アタシたちは他所者だしねえ。仕方ない。それに折角だから色々と観光したいと思ってたし、ちょうどいいや」

 半ば分かっていたことだけどぼくは脱力する。そうだ。ぼくの姉ちゃんならこの状況を楽しまないはずはない。

「話し合いで決着したみたいだから手を出さなかったけど、向こうが仕掛けてきたらまとめて相手してやるつもりだったんだけどなあ」

「あの人数を姉ちゃん一人で?」

「うん。昨日腹ぺこでもなんとかあしらえたから大体の強さは分かってるつもりなんだよね。ほら、なんだっけ、昔から言うじゃん、一人で大勢相手するの」

「一騎当千?」

「そうそう、それそれ。まあ数えても千人は居なかったけどさ」

 姉ちゃんは両肩に担いだ杖に腕をからめながら事も無げに言う。

「でも、別にいいよ。弱っちいのと戦っても面白くないしね。あんたが決めたんなら、そのアーカンルムだっけ、そこに出かけよう」

 そこで思い出したような顔をして悪い笑みを浮かべた。

「大人しく出て行くんだからさ。あのナッツバーをせしめておいてよ。途中でお腹すかしたくないし」

「その交渉を小学生にやらせるわけ?」

「だってしょうがないでしょ。言葉が通じないんだもの。いいわよ。横で不機嫌そうな顔して立ってる役はやったげる」

 もう。やったげるじゃないんだよ。ぼくはしぶしぶと長老のところに引き返す。気が重いが背に腹は代えられなかった。

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