イグニス結成前夜 七世涼/岬今日子

 部屋に入ってきたなり今日子は窓際へ駆け寄って、

「うわー、センパイ! 夜景が綺麗っすよ! 超遠くまで見える!」

「落ち着きなさい、今日子。チバでもこれぐらい見れるだろう?」

「いや、チバはこんなに焼け野原じゃないです! あれだけビルの残骸があるなんて珍しいです!」

「……あぁ、そういう……」

「まあ外は見てきたですからね、こんなもんで。部屋の中探検するですよ!」


 シンジュクの、コンバット・エリアからは少し離れたとあるホテル。

 私――七世涼と、今日子は出張に来ていた。いや、そんな可愛らしいものではないか。反政府組織の殲滅任務を手伝わされたのだから。

 今日子は火器の入ったバッグをベッド脇に投げ捨てると、今度は風呂へと回って、


「センパイ! お風呂にアヒルさんいるですよ! あの浮くやつ!」

「あぁ、いるだろうね。ここのホテルでは名物らしい」

「知っててここ選んだんです!? さすが、センパイは岬のことよくわかってるです!」

「今日子、そのままシャワー浴びてしまいなさい。私は先に浴びたから」

 すると今日子はバスルームだから顔だけを覗かせ、にや、と顔中に笑いを貼り付けて、


「……センパイ、そのセリフえっちですね」

「今日は疲れているからなしだよ」

「ちぇー。なんでダブルにしてくんないのかと思ったらそういう感じだったんですね」

 などと今日子は唇を尖らせる。私はそれより彼女が戦闘服のままなほうが気になって、

「ほら早く。片付かないだろう」

「はーい。……一応訊きますけど、お風呂、一緒に入ったり」

「明日の朝ね」

 今日子はぴょんと飛び上がって――尻尾が見えるようだ、

「起き抜けのほうがインモラルじゃないです?」

「今日子?」

「は、はーい!」

 少し声を低くして言うと、さすがに今日子も察したのか、慌てて扉を閉めた。長い付き合いだ、私の感情を読み取ることには慣れてきている。

「……まったく、いつになくはしゃぐじゃないか」

 誰に言うともなくひとりごち、私は煙草に火を点けた。油の味がした。


 今日子、か。私は彼女のことを考えながら煙をくゆらせる。多少浮ついても仕方のないところはある。もとよりチバの外に出ることがほとんどない彼女だ、もう少し私なり、局長なりが構ってやれればよいのだが、とは思う。

 今日子は、あの年にしては情緒が子供のように思える。それは決して悪いことではないが、あの子がそれを育むべき時期を奪われたというのもまた、事実だ。

「……ううむ」

 煙草が進む。私以外に、彼女と深いかかわりになれる誰かがいればよいのだが。

 局長に作戦部への増員を進言してみるか、などと考えている間に、気づけば3本も煙草は灰になっていて。

 ……いけない。ほどほどにしなくては。私が箱にライターを放り込み、鞄に押し入れたその時、あたかも計ったかのようにバタンと乱暴に開く浴室の扉、

「あがりましたですよー」

「あまりに早くないかい!?」

 考え事をしていたのはおおよそ10分足らずぐらいだ。女性の入浴にしては短すぎる。

 今日子は頭をバスタオルで拭きながらぺたぺたと素足で歩いてきて、

「えー、でもちゃんと洗ったですよ? センパイがぼーっとしてたんじゃないですか?」

「それはそうかもしれないが……こら、下着ぐらいつけなさい。というか前ぐらい隠すように」

 当たり前に全裸はどうかと思うんだ、私は。いくら同性で、私たちの仲とはいえ。

 すると今日子は平然と、

「どうせ脱がすんだからいいじゃないですか」

「キミ、あれだけ撃ち合って疲れてないのかい?」

「や、もう日常化してきたですし」

「その切り替えが凄いよ」

「えへへ、褒められたです」

 今日子はだらしなく、あどけなく相好を崩しながら私の隣に腰を下ろす。

「撫でてという位置だね」

「ダメなんです?」

「ダメじゃないが髪ぐらい乾かしておいで」

「えー、短いから大丈夫ですよー。タオルで拭いたし」

「ダメだよ、それが癖になると痛むんだから」

「面倒くさいです、センパイやってください」

 嫌だよ、と言おうと思ったけれど、上目遣いの今日子と、私の目が自然に読み取ってしまった――こんな時じゃないと甘えられないです――思考が、その言葉を留めて。

「……まったく、仕方ないね」

 わーい、と両手を上げる今日子。こういうところに面倒を見たくなってしまう。ある意味では負けているのかもしれない。

 私は今日子の後ろに周り、ドライヤーをつけて温度を見ながら、

「まずは温風から。気をつけなければいけないのは外側ばかり風を当てがちになること。実際乾いていないのは根本や内側だからね」

「はーん」

「冷風はあと。髪をまとめるのもそうだけど、温度が高くなりすぎて乾燥などのダメージを受けないようにするのが目的になる」

 今日子はなぜかきょとんとしながら、

「誰に説明してるんです?」

「キミだよ。ひとりでできるようになりなさいってこと」

「できたとしてもやってもらうですよ」

「キミ、他人に触られるの嫌じゃなかったかい?」

 まあそうですけど、と今日子は気持ちよさそうに目を細めながら、

「センパイは上手いですし信頼してますから。むしろもっと岬に触れて! 感じて!」

「はいはい……あぁ、乾かしにくいから背筋は伸ばして!」

「ぐえー、背中が痛いですー」

「普段から猫背だからだよ」

「いや違うですよ、実は今日戦闘中に……あ」

 しまった、と今日子は口を押さえるがもう遅い。

「戦闘中に、どうしたんだい?」

「セ、センパイ! そ、そんな覗き込まれたら……! 近いですよぅ!」

 一瞬で読み取れる。心を許した相手の思考であれば、スキャンに秒もいらない。

「銃弾は受けていないか。捻ったね?」

「う……はい。隠しとこうと思ったのに……。これだからスキャナーは……」

「何か言ったかい? ん?」

「な、なんでもないですよぅ……ちぇー、せっかくセンパイと二人でお泊りなのに」

 今日はしゅん、と肩を落として、それは確かに可哀そうではあるが、私は心を鬼にして、

「安静にしなさい。それが紙一重を分けることだってあるんだから」

「うーん、正論」

「私はいつも正しいことしか言わないよ」

「えー、それはどうっすかねー」

 と今日子は混ぜっ返す。私は軽く睨んでやって、

「何か反論する余地でも?」

「ならこっち見て、岬が今考えてること当ててくださいよ」

「……なるほど? じゃあ目を見せて……」

 ――虚をつかれた。かがみ込んだ瞬間にもう、今日子の顔は目の前にあって、

「ん……ちゅっ」

「ん……ぷはっ、キスがしたい、かい」

「えっへへー、正解でーす! でも避けられなかったですねー?」

 なぜだかムッとする。懲らしめてやろうか、と私は手を伸ばし、

「この……待ちなさい、今日子!」

「プロレスならベッドで受け付けてるですよ! ダーイブ!」

「あぁ、危ない!」

 するりと逃げた今日子は、何も考えずベッドに飛び込んで、

「ふぎゅ!」

「あぁ、だから言ったのに」

 予想以上の跳ね具合に吹き飛ばされ、壁にぶつけた頭がゴン、と鈍い音を立てた。

 ぐぐ、と今日子は頭を押さえて唸りながら、

「……ま、まさかこんなにバネが強いなんて……やるじゃないですか……」

「キミがひとりでやられたんじゃないか」

「くそう、今日はこのへんにしておいてやるです」

「まったく。ほら、浴衣ぐらい羽織って!」

 相変わらず全裸だった今日子に放り投げてやる。渋々彼女はそれを纏いながら、

「うえーい。……あの、センパイ」

「なに」

「怪我言わなかったの、怒ってるですか?」

 上目遣いにそんなことを訊く。そのおどおどした調子に私は笑いが漏れて、

「……いや。感心はしたけどね」

「うわーん、やっぱり怒ってるじゃないですかー」

「怒るとしたら今馬鹿げたことをしたことにだよ。……さあ、もう寝よう」

「えー、もうちょっと……ふあー」

「欠伸出てるじゃないか。それに明日0400出立なの忘れたわけじゃないだろうね?」

「へーい。んじゃ、電気消すですよ?」

 もそもそと布団を被る今日子。

「あぁ。私もベッドに……と」

「ふえー。なんか横になったらどっと疲れが出てきた、ような……」

「そういうものだよ。さ、明日に備えて眠ろう」

「ふあい。おやすみなさ……んぐー、ぐー」

 言った先から寝息を立て始めて、思わず私は笑ってしまう。

「ふ、まったく……。いつになっても、子供みたいだね、キミは」

 ……けれど。キミがいるから、私は戦えるんだよ、今日子。

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