GGIショートストーリー

山口 隼

グッドモーニング/グッドナイト 青龍寺天・エイト

 傾きかけのボロアパートは変に建て増したもんだから、10階ぐらいあるのに螺旋階段しかない。あたしはめろめろめろめろサビだらけの段を登って5階までたどり着く。

 そこまでして来てやったのに、502のチャイムを連打したけど音のひとつもしなくて、なるほどこういうことかしらぁ、とあたしはどんどんドアを叩いて蹴っ飛ばす、

「いるんでしょぉう? 天? てーん?」

 ガチャガチャノブをやる。開かない。生意気に鍵なんかかけちゃって。

 ふざけてるねぇ、と思ってもう一回繰り返してやると、根負けしたっぽい、あいつのドタドタドタっと乱暴な足音がして。

「テメエ……何時だと思ってんだ、エイト」

 下ろした髪はぼっさぼさで、化粧もしてない――したのを見たことないけど――天の、不機嫌そうな顔。上下とも長いジャージで、あたしはそのことに驚く。

「天、長いパンツも持ってたんだねぇ」

「いや一昨日会った時ジーパン履いてただろうが」

「年中ホットパンツのイメージだしぃ」

 あのなぁ、と天は白目で睨んできて、

「そんな話しに来たのか? 今何時だと思ってんだよ」

「朝の3時は起きてる時間じゃないのぉ?」

「アタシも週末は休みだっつーの。オマエ基準で考えんな」

「でも結果的に起きてるじゃなぁい」

「起こされたんだよ!」

 ふざけやがって、と言った天はふと気づいたように身体を震わせて、

「っていうか寒っ! 寝直すからなアタシは」

「大事な用があるのよぉ」

「聞くだけ聞いてやる」

「チョコパイがどこにも売ってなくてぇ、でここの前通ったからぁ」

「おやすみ」

 って引っ込みかける天の腕を、あたしはぎっちり掴んで離さない。それじゃ何のためにここまで来たかわからないし。

「ねーえ、天、暇なんでしょーう? どうしても来ないっていうんだったら、もう一回騒ぐか火点けるかするわよぉ?」

「その二つの間にはすげえ隔たりがねえか? あまりに極端すぎねえか?」

 とか言ってため息をつくけど、結局、

「わーかったよ。付き合ってやるよ。これ以上うるさくされるとアタシがこのアパート追い出されちまう」

「ここ出たいって言ってたんじゃないのぉ?」

「2日に1回ぐらいどっからか絶叫聞こえるし隣人は捕まってたしな。絶対キメてるやついるぜ。でも面倒くせえから嫌なの」

「ならさっさと用意しなさいよぉ」

「なんでオメーが上から目線なんだよ……」

 なんだかんだと言って付き合ってくれてしまう。でもそれ、ダウンタウンで生まれたあたしからするとアマアマに甘い。ハメられる可能性を考えてないみたいで。そのくせ意外と上手くやれてるし。そういうところムカつくのよねぇ。

 しばらくしてニット帽を頭に、上はダウンを着込んで戻ってくる。怠そうに背中を丸めてるけど、それでもあたしより頭ひとつ分大きい。

 天は寝ぼけた感じの欠伸かましながら、

「火ぃ貸してくれよ」

「貸しひとつってことねぇ」

「あまりにもケチくさくね?」

 100円ライターの、安っぽいカチッという音。二つ煙草の赤い光が灯る。

 天は先に立って階段を降りながら、

「そういやオマエ煙草替えたの? 前アイスブラスト吸ってたじゃん」

 ち、めざとい。あたしは気づかれないように煙をこっそり吹きかけながら、

「メンソールって気分じゃないだけですぅ。そういう日もあるのよぉ」

「わかった、値上がりしたからだな。確かに金出す時キリ悪くなるしな」

 それとも、と天のヤツはニヤニヤ笑って、

「もしかして金ねえのか? こうやって無駄遣いするから……」

 言い終わる前にケツを蹴り飛ばしてやった。天は「わ、わ!」とか言ってバランス崩しかけながら数段駆け下りて、

「危ねえだろうが! 殺す気か!」

「不幸な事故なら仕方ないじゃなぁい?」

「オマエも背中に気をつけろよ?」

 とか言いながらあたしたちはやっぱりめろめろめろめろ階段を降りてく。煙草の煙とか悪口とか撒き散らしながら。

 その先にはダウンタウンの底がある。夜闇の一番濃いところが。


 天の思いつきでとりあえず開いてて一番近いグロッサリーに来たけど、そもそも商品がほとんどなかった。せいぜいあってクズ肉を集めた缶詰とか白い錠剤のビタミン系タブレットとか。配給からの横流しじゃないのぉ?

 がっかりしながら店を出ると、天が肩をすくめて、

「なんかさっきより寒くなった気ぃするわ。底冷えするなぁ、ダウンタウンは」

「クソみたいな土地だから仕方ないじゃなぁい」

「まあなぁ。でも長いこと住んでると愛着とかない?」

 は。冗談でしょぉう? あたしは思わず鼻で笑って、

「ありえないわよぉ。ここならシンジュクのほうがマシよぉ」

「いやオマエそんなことねぇだろ。あそこは始終戦争してんだぜ? 平気で銃弾飛び交うわ爆発起きるわで今水道通ってねえとこあるぐらいなんだから」

 そんなこと言われなくたって知ってる。

「あたしに言わせれば、あんたが自分で選んでここに来たことのほうがわけわからないんだけどぉ? どこでも行けるあんたが」

 いや、と天は苦笑しながら首を横に振って、

「んなこたぁねえよ。トウキョウで仕事なかったからって言ったじゃん。それにアタシは縛られるの嫌だし……」

 縛られるのが嫌? あたしは軽く目眩さえ感じた。ふざけてる。この街から抜け出ることのできないあたしの前で?

 いつかの記憶が蘇る。イーゼルに乗せたキャンバス。紙ヤスリで削る音。木炭の雑な下書き。真っ赤な絵の具を削るナイフ。ヘドが出る記憶。あたしだって。ホントは。

「ヤニクラか? それともバッド?」

 腕が持ち上げられる。天は勝手に肩を貸してきてた。あたしは何も言ってないのに。

「余計なことしなくていいってのよぉ……」

「言ってもすげえ顔してんぜ? あ、チョコパイって何かの隠語だった? すまん」

「バカ言ってんじゃないわよぉ、あたしはあの類やらないって言ってるでしょぉ?」

 たいていのことはやってきたけど、それは手ぇ出したことない。最悪だから。

 天はあたしを抱えるようにして歩き出す。触れ合ってるところから熱が伝わってくる。暖かさ。人の体温。そんなもの、久しく感じてなかった。

 ……違う。別にあったかいわけじゃない。周りが氷点下並の気温だっていうだけの話。だから勘違いしてるだけ。天はあたしに優しかったり仲が良いわけじゃない。単に気まぐれ。あたしもたまたま隣にいるだけで。

 さ、天はあたしの背中叩いて、

「立ち止まってると凍えて死ぬわ。次行こうぜ。そろそろあんだろ」

 ――と、そんな感じで楽観的に言ったけど、結局ありつけたのはウエストサイドにあるコンビニだった。無駄に大きいチバ・パーク(公園)を抜けて来て、トータルで40分、50分ぐらいは歩き回ったかもしれない。

 最後の方は天も額に青筋立てて、暑いのかダウンの前まで開けだして、

「ここまで見つかんねえと頭に来るな。絶対探してやる」

「もういいんじゃなぁい? いい時間よぉ」

 ってあたしのほうがうんざりしてたんだけど、

「や、別にオマエはどっかでブラブラしてていいよ。ったくよぉ、こんだけ探して菓子ひとつねぇって辺境の地か何かか?」

 だって、これってあたしのことだし。意地になってるって言ったって、そこまで人にコスト使うなんてありえない。や、そもそもこの夜がありえないんだけどねぇ。なんでホイホイついてきちゃうかな、この女は。

「まあとにかく」

 と天はあたしにビニール袋を差し出して、

「これで一件落着だ。あ、しっかり金は払えよ」

「3日後じゃダメぇ?」

「ダメに決まってんだろ寄越せボケが」

 さすがにそこまでバカじゃないわねぇ。あたしが差し出した札をむしり取る。

「ちょっとぉ、お釣りはぁ?」

「マジ端数だろうが、それぐらい手数料だ」

「がめついわねぇ」

「そりゃアタシのセリフだっつーの!」

 とか言いながら旧大学通りをぶらぶら行く。

 すると天がふと足を止め、壊れかけたネオン――GAME――を指差し、

「おぉ、そうだ。どうせここまで来たんだ、ラッキー寄ってこうぜ」

「いいわよぉ、そしたらスコアで勝ったほうにタバコ一箱ねぇ?」

「オマエ吠え面かくなよ?」


 店出たら藍色の空、その遠くにオレンジの光が見えてた。手でかき回せそうなほど近かったソラが、明けてあたしから逃げようとしてる。なんでもない夜が、もう終わる。

「あぁやべぇ、朝じゃん」

 と天は伸びをしながらうんざりした顔。それからちらっと流し目であたしのほう見て、

「さすがに帰ろうぜ。普通に眠い。オマエも大概だろ」

 まあ、確かに。ちょっと身体が重いし。手は氷みたいに冷たくて……気温のせいかぁ。

 天は、ほぅ、と白い息を吐き、ゆっくり煙草を口の端にくわえ、

「んで、目的は達成できたか?」

「……あたし、正直チョコパイ見つからなくてもよかったんだけどぉ」

「知ってる」

「何なら寝てるっぽい天を起こして嫌がらせできればよかったんだけどぉ」

「それも知ってる」

 とか言いながら天は白み始めた空に煙草の煙を吹き上げて、

「だって一昨日会った時土曜仕事ねえって言ったじゃん。なのに来たろ」

「……あんた、ウザいね」

「いやいやいや、それはあまりにも理不尽じゃね?」

 って答えた天は笑ってる。たぶん、あたしもちょっと口が緩んでる。珍しく。

 楽しい? は、そんなわけない。あたしが引っ張り出したのはコイツを寝かせないでイライラさせるためだったし、結果的にその目論見はあんまり上手くいってないし。

 ラジオの雑音が遠くからかすかに聞こえる。朝もやがぼんやりと立ち込めていた。

 天はその靄に、溶けるみたいに歩き出しながら、

「んじゃ行くか。さすがに明日は来んなよ?」

 だからあたしは、ひとり呟く。その背中に。聞こえないように。

「やっぱりあたしは、あんたのこと……」

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