6.聖なる都……①

 やがて海鳥の数が増えてきて、俄然船の周りが賑やかになると、港が見えてきた。

 オレンジ色の屋根と白亜の街並みはフィルツブルグ聖皇国の特徴だ。その光景は確かに美しかったが、同時に威圧的でもあった。

 帆船ゼーアドラー号が進むにつれ、港の空気が変わった。


 聖皇国の紋章である赤地に金色で描かれたX字型に交差した剣、そして守護聖人を象った白銀の旗が、朝の光を受けて輝いている。一見すると調和の取れた装飾だが、ナディアの鋭い眼は、その配置の持つ意味を見逃さなかった。


「まるで舞台のよう」


 彼女は小声で呟いた。

 確かに。赤地に金色の旗の前には教皇直属の白騎士団が整列し、白銀の旗の下には古儀式派を支持する貴族達の私兵が控えている。表向きは厳かな歓迎の列だが、その配置自体が力関係を示していた。


「あれを見てくれ」


 コンラートが目配せする。

 埠頭には二つの歓迎団が並んでいた。教皇アレクサンドル13世の名代である首座司教と、古い家柄の大司教。どちらも笑顔で手を振っているが、その表情には微妙な違いがある。


「私達の扱いを巡って、水面下で綱引きでもあったのでしょうか?」


 ヨゼフィーネが静かに言った。

 実際、フィルツブルグの宮廷では、着々と変化が進んでいた。

 教皇の執政であるオルランド総大司教は改革者として知られており、数々の教会改革を実践しており、古い特権を持つ貴族達とは微妙な関係にある。


 そんな中での『聖勇者』認定は、双方にとって新たな火種となっていた。

 船が接岸する。整然と並ぶ歓迎の列。その瞳の奥には、様々な思惑が潜んでいる。


「勇者殿、ようこそいらっしゃいました」


 首座司教の声は温かく響いた。その横顔を、同じく出迎えた大司教が静かに観察している。表向きは和やかな雰囲気。しかし、マックスは感じ取っていた。この歓迎の陰には、長年の確執と新たな野心が複雑に絡み合っているのだと。


「アニマの教えに従い、人々のために」


 マックスは丁重に答えた。それは、どちらの陣営にも与しない、巧みな返答だった。

 朝の光は港を優しく照らし、歓迎の鐘は荘厳に鳴り響く。教皇派は改革の象徴として、古儀式派は伝統への回帰として、それぞれがマックスの来訪に異なる期待を抱いている。


「この国では、笑顔の下に刃が隠されているのね」

「上っ面だけは良くて、本性を見せない……どこぞの王都のようだぜ」


 赤い絨毯が敷かれた波止場を歩きながら、ヨゼフィーネが囁くとコンラートは皮肉交じりに応えたが、その声は、管楽器が幾重にも奏でる楽曲の中でかき消されていく。



                          ◆◆◆◆



 今の世界を『善し』としない者はどんな時代にも存在する。

 権力の座に在る者は、今以上の力を求めて。不遇をかこつ者は、現状の打破のため。


 ジール王国宰相カール・グスタフ・フォン・ラウレンツ。


 この男もその一人だ。

 彼は勇者一行に帯同した随行員が送った伝書鳩からの報告文を手にしていた。


 深紅の絨毯が敷かれた大広間の奥、石造りの窓際に立つ男の唇が徐々に吊り上がっていく。

 マックス一行がフィルツブルグ聖皇国の皇都クロームに無事到着したことを伝える文書だった。


「フフ……此処までは想定通りだな」


 彼の鈍色にびいろの瞳には、鋭い計算高さと冷酷さが宿っていた。


 窓の外に広がるジール王国の首都アイヒシュテットは、寒風が吹き、雪が舞う。

 空は人々のやる気を砕くような重苦しい鉛色に染まり、重苦しい雲に包まれている。


 ジール王国も基本的にはマーキュリー王国同様、封建制による政治体制を執っている。

 国王から与えられた封土……すなわち領地……と、その土地の住民に対する支配権の事を『領主権』と呼ぶが、ジール王国はマーキュリー王国よりも領主権は強力で、時として国王の命令よりも優先される事がある。


 また、国王と領主の間では、相互の契約に基づいた主従関係が結ばれ、国王は臣下に土地を与え保護する代わりに、臣下は国王に忠誠を誓い軍役の義務を果たさなければならなかった。

 この契約は双務的性格をもつもので、一方が義務を履行しない場合は契約が解消されることもあった。

 国王を旗頭とした強力な領主達が緩やかに手を組んだ連合政権の国家……それがジール王国だ。


 それぞれの爵位は世襲制で、領主が治める地名がそのまま氏族名となり、かつ爵位名となっている所が隣国のマーキュリー王国と決定的に異なっている。

 言い換えるなら、自分の領地を安堵あんどする代わりに忠誠を誓う、という契約が成り立っており、この王国で発言権を持つためには領地が必要だという事だ。


 だからこそ、彼等領地を持つ貴族達の力は国王といえども無視はできない程強力だった。

 そして王国の基本的な政治姿勢は『評議院』と呼ばれる有力領主同士の合議制によって成り立っており、評議院の議員は『貴族派』と称する派閥に属している。


 宰相であるラウレンツ侯爵は領地を持っていない。

 地位こそ侯爵と高位ではあるが、彼は法服貴族だ。

 即ち国王の直臣であり、国王が保有する直轄領地の政務を代行する事が許されているに過ぎず、その規模は領地を持つ貴族の中では末端爵位である騎士爵と同等かそれ以下だ。


 そして彼等法服貴族達は『貴族派』である領主貴族達から『王党派イヌ』と呼ばれ侮られている。

 しかし宰相という役職に就けるのは国王の直臣たる法服貴族だけであり、彼等は彼等で政治工作をして貴族派同士の内部対立を引き起こすように活動している。

 この二極構造によってジール王国は、隣国マーキュリー王国に対抗してきた。


 そんな中に台頭してきた勢力がある。

 それが『新貴族』と呼ばれる『土豪ユンカー』だ。弱体化した小領主達から実権を奪い取り、財力に物を言わせて伸し上がってきた成り上がり者達。


 国王の命令すら無視する貴族や土豪ユンカーは、再三の国王による停戦命令を無視し、争いを続ける。このような状態で宰相と呼ばれてもそれは名ばかりの存在でしかない。

 まさにこのジール王国は未曾有の内乱が各地で起こっており、王室にそれを抑える力がなかった。


「勇者を利用して、お互いを徹底的に疲弊させる……そのためには大義が必要だ」


 既に新興貴族と伝統的な貴族勢力の抗争で、街の空気は張り詰めていた。領地の境界、官職の配置、王室への献上金をめぐる攻防は、まるで目に見えない戦争のようだった。


「門閥貴族に『土豪ユンカー』……あの蒙昧もうまいどもに目にもの見せてくれる」


 呟くと彼は生活魔術の『着火』を用い、報告文を火の玉に変えた。特殊な素材でできた紙は一瞬の輝きを見せると直ぐに虚空へと消え果てた。

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