7.聖なる都……②

 フィルツブルク聖皇国西部を流れる大河キジーの流域に広がる平野。

 その肥沃な大地に築かれた白亜の都が、フィルツブルク聖皇国の心臓部、クロームだった。


 オレンジ色の瓦屋根と白壁の建物が整然と立ち並び、都市の中央には市民から『皇城』と呼ばれている巨大な神殿、『中央大聖殿』ツェントラリヌソボールそびえ、その黄金の尖塔は遠く離れた場所からでも仰ぎ見ることができた。

 そして街路も皇城から放射状に規則正しく配置されている。


 キジー大河は、都市の南側を悠然と流れている。その広大な水量は、勇者マックスが上陸した西方の港町ラターキンから続く水運の大動脈となっていた。

 しかし地形の影響から、川の流れが複雑に変化することや水深までもが不規則に変化することで、直接の水運には適してはいなかった。

 従って、ラターキンからクロームまでは馬車での陸路が主要な交通手段となっていた。


 マックス一行が辿った陸路は、約20日の行程だった。

 街道は良く整備されているものの、聖皇国西部の丘陵地帯を抜け、いくつもの支流を渡り、時には深い森を通り抜けなければならなかった。


 都市の人口は推定で50万人を超え、聖皇国最大の都市として知られる。

 キジー大河がもたらす豊かな水と肥沃な土壌により、周辺には広大な穀倉地帯が広がっていた。その富は、壮麗な建造物や整然とした街並みにも表れている。


 街の中心部には宗教施設が集中し、皇城を中心に数多の教会や修道院が建ち並ぶ。

 その周囲には貴族や富裕層の邸宅地区が広がり、さらにその外側に一般市民の居住区や商業区が配置されている。

 都市の外周には高い城壁が巡らされ、四方に壮麗な門が設けられていた。東門は首都への正門として特に装飾が豪華で『聖神の門』と呼ばれている。


 クロームは単なる政治的中心地ではない。

 アニマ教『フィルツブルゲン派』の中心地として、多くの巡礼者が訪れる聖地でもあった。

 街のあちこちで見かける僧侶の姿や、絶え間なく鳴り響く鐘の音が、この都市の宗教的な性格を物語っている。


 マックスが通された皇城の一室に設けられた高窓から、夕陽に照らされた都市を見下ろせば、整然と区画された街並みが、まるで神の意志によって描かれた魔術円マジックサークルのように幾何学模様のように広がっていた。


 人々は、この都市をアニマ神の地上における具現と呼ぶ。その秩序正しい街並みと荘厳な建造物は、確かにそう呼ぶに相応しい威厳を湛えていた。


――『フィルツブルゲン派』の聖皇国、『グロイビゲン派』のジール……信じる神は一緒だと言うのに……


 マックスは皮肉的シニカルな笑みを浮かべた。

 敬虔な『グロイビゲン派』のアニマ教徒だった父も母も殺された。同じ『グロイビゲン派』の貴族によって。

 宗派が異なれば、対立は更に深いものだろう。それに『フィルツブルゲン派』もまた二つの勢力が対立しているようだ。


「まるで、アニマ神そのものが、人間族ヒュームに争いを強要しているようだ……まるで闘技場コロッサスで戦う剣闘士を見物する皇帝のように」

「マックス……ここでそんな事言ったら……」


 傍らのナディアが小さく声を上げ、マックスを制する。


「すまん……暫く道化を演じなければならないと思うと、つい……な」

「うん、判ってる……でもどこで盗聴されているか判らないから、慎重に」

「ああ……」


 その時、ドアがノックされ、若いアニマの司教が静かに入室して恭しく一礼すると、室内にいるマックス達に声を掛けた。


「歓迎の式典の後、教皇猊下の謁見がございます。その前に、礼拝所で御祈祷を賜りたく」

「承知した」


 マックスは静かに応え、部屋を出て歩き始めた。ナディア達も、後に続き長い回廊に歩を進める。

 やがて、ひと際白く輝く聖堂の前に辿り着くと、目の前には、やはり二つの旗によって左右に分けられた者達が整列していた。


――ここでもか?


 マックスは内心で嘆息しながら、聖堂に敷かれた赤と金糸で彩られた絨毯の上を静かに進む。

 奥には極彩色に光る立像が祭られている。全体が銀色に輝くその立像の顔は無く、滑らかな鏡面が光を受けて鮮やかに輝いている。腕は無数に分岐しており、それぞれが光の剣や触手のように見える。

 頭部や背後には、円盤状の光輪が煌めき、祈りを捧げる者をスポットライトのように照らし出している。


――まるで全てを映す存在のようだな……


 よく見ると表面には、風・火・水・土を象徴する模様や流れる光が描かれている。


――四大精霊すら超越する至高の存在……アニマ……


 マックスは片膝を突き、両手を胸の前で組み合わせ静かに祈った。


「アニマ神よ、私は崇高なる教えを守るため、そして人々を救うために剣を振るってきた。この地でも、その志だけは曲げることなく……」


 祝詞を捧げるマックスの声だけが聖堂内に響く。その言葉は、港に響く鐘の音に溶けていった。

 宗教的な静謐さに包まれた聖堂で、マックスは祈りを終えると静かに立ち上がった。

 儀式的な祈りの間も、彼の心は冷静に周囲の状況を観察し続けていた。


 聖堂内に並ぶ人々の視線が、微かな敵意と好奇心を携えて彼に注がれている。

 その多くは、純白の法衣に身を包んだ聖職者達だ。彼らの瞳の奥には、この異邦の騎士への警戒心が潜んでいるように見えた。


 マックスは内心で嘆息する。この美しい都市の外観とは裏腹に、その内部では既に権力闘争の火種が燻っているのだ。おそらく彼の到着は、その火種に新たな風を送り込むことになるだろう。


「勇者様、こちらへ」


 司教が柔らかな声で案内する。マックスは従順に頷き、その後に続いた。

 聖堂から出ると、回廊には夕陽が差し込み、石畳に長い影を落としている。


 その光景に、マックスは故郷の教会を思い出していた。同じように夕陽が差し込む回廊で、幼い頃の彼は父から教えを受けたものだった。

 その記憶は今や、苦い追憶となって胸に残るばかりだ。


「教皇猊下の謁見まで、まだ少々お時間がございます」


 案内役の司教が丁重に告げる。その表情には何の感情も見て取れない。完璧な仮面のようだ。

 この都市で生きる者たちは皆、何かしらの仮面を被っているのかもしれない。整然と区画された街並みのように、人々の心もまた、表面的には整然と秩序づけられているのだろう。


 しかし、その仮面の下で何が蠢いているのか。マックスにはまだ見えない。ただ確かなのは、この美しい都市の地下で、既に暗い潮流が動き始めているということだ。


 彼は再び高窓から街を見下ろした。

 夕陽に照らされた白壁の建物群が、まるで燃えるように輝いている。その美しい光景の中に、彼は来るべき闘争の影を見た気がした。


 穏やかな水面の下で、新たな政争の渦が静かに廻り始めている。

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