18.魔術授業……⑥

 シェリルが育った孤児院を併設するユーリアラス教会は、村人が毎月納めている献金によって賄われている。

 しかし献金する金額は、個人の信仰度や経済事情によって金額はまちまちであり、一定の基準はない。


 また、旅の冒険者や、たまにやって来る商隊キャラバンなどがユーリアラス教会に宿を乞う対価として支払われる金銭も大切な収入源であるから、口数の少ないシェリルも、彼等の馬や驢馬、武器の手入れなどを丁寧に行って対価を得ていた。

 まして、彼等に接する時、対価の交渉をする時に冒険者プレートが有ると無いとでは信用度が圧倒的に異なることを、彼女は身を以て感じていた。


――こんなわたしでも……きっと何かの役に立つ……


 その思いを小さな胸に秘めて生きてきた。

『魔女』『バケモノ』と忌み嫌われ、自分が何者かも判らず、どうしてこの世界に居るのか? こんな自分を必要としてくれる場所はあるのか?

 ずっと問い掛け続け、今という時間を生きてきた。

 だからこそ、冒険者プレートは、自分が必要とされる目に見える・・・・・証左あかしだった。


 今も身に着けている銀のペンダントとともに……


 この学院に聖騎士パラディンユーリアと共にやって来てからは、使う機会もなく机の引き出しの中に仕舞い込んでいる。もちろん彼女が手にしていたのは、最下級である『木材ウッド』の冒険者プレートだったが、あの時抱いた気持ちは今でも忘れてはいない。


 今、イナバが付けている冒険者プレートは、シェリルより遥かに格上のものだ。

 最下級のシェリルにとっては、イナバは雲の上の存在と言っても良い。それでも冒険者プレートは、シェリルに特別な思いを沸き立たせるものだった。

 それは他の貴族の子女達では、決して感じることのない感慨だろう。


妖精銀ミスリルの冒険者プレート……」


 シェリルの小さな呟きを、持ち前の大きな耳で聞き取ったイナバは、にっこり微笑んで彼女に視線を動かした。


「おやぁ、流石はシェリルちゃん・・・、良い観察眼してますねぇ?」

「『ちゃん』って……」


 ハサンの時とは一転して人懐っこい笑顔を浮かべながら、急に自分へと水を向けたイナバに、シェリルは驚いて目を見開いた。


 この世界の冒険者のランクは、上から

金剛鈦アダマンタイト

神獣鉻オリハルコン

妖精銀ミスリル

白金プラチナ

黄金ゴールド

白銀シルバー

金銅カッパー

青銅ブロンズ

鋼鉄スチール

黒鉄アイアン

岩石ストーン

木材ウッド

 の12段階であり、ランクに応じて同質の素材でできたプレートを保持している。


 子供でしかなかったシェリルにとって、冒険者の資格を持つことは生活の糧を得るためであり、それ以外の理由はない。そしてランクを上げられるだけの力もない。

 しかし、黄金のプレートを持つレイモンドよりも高位のプレートを持つイナバの力強い姿に、心を揺さぶられるのを感じる。自分も いつかあのように強くなれるのだろうか……そう思った。


「魔術の使い手には、強靭な精神と体力が不可欠なのですぅ」


 シェリルが村での記憶を呼び起こしているうちに、イナバとハサンの模擬戦は終わりを告げていた。

 呼吸も激しく項垂れているハサンに対して、イナバはあれだけの大技を放ってもなお、平然としている。


「どんなに大きな魔力を持っていても、凄い威力の魔術を使えても、完全に使いこなせるかどうかはまた別なのですぅ」


 生徒達は固唾を呑んでイナバの言葉に耳を傾ける。彼女の真剣な眼差しと独特の口調に、疑いの色は見えない。シェリルもまた、イナバの熱い指導に心を動かされていく。

 イナバは再び微笑みを浮かべると、ゆっくりと金色の槌を下ろした。


「魔力は血液のように常に体内を循環していますですぅ。血流が活発になれば四肢全体に行き届くように、魔力も流れる『魔導路』を拡張しなければなりませんですぅ。さもないと魔力は枯渇し、魔術を行使した際に消費されるのは自身の体力となりますですぅ。体力を使い切れば、術者は死に至りますですぅ」


 生徒達の表情が引き締まり、彼女の言う事が理解できたことを確かめると、イナバは基本的な体操の指導を始めた。


「では、腕を大きく回しますですぅ」


 セラフィーナ、レイコ、クラリスは戸惑いを隠せない。

 幼い頃から上流貴族として育てられた彼女達にとって、激しい運動は未知の領域だった。

 一方、シェリルは躊躇することなく身体を動かしていた。その姿は無駄のない動きで、息切れする様子もない。横目でそれを見たステファニーの目に闘志が宿る。


「私だって、負けはしませんわ」


 ステファニーは歯を食いしばって体操に取り組んだ。しかし、優雅な社交ダンスとは違い、全身を使う運動は想像以上に過酷だった。


「はい! 背筋を伸ばして、腕は真っ直ぐですぅ! 筋力の多い男子は、これを付けるですぅ!」


 イナバは再び黒い亜空間の穴を呼び出し、手足に巻きつけるアンクルウェイトを取り出して、ハサンとトーマスに巻き付けた。


「うぉっ!」

「なっ!!」


 ズシリという感覚が手足から伝わってくる。とはいえ、手足が動かせない程の重みはない。


「これを2週間付けておくのですぅ! 勝手には外せないのですぅ!」

「えっ?」

「なんとっ!?」


 驚く二人の男子生徒に笑顔向けるが、何も応えず、イナバの指導は続く。

 軽い運動ではあったが、延々と続く動作に貴族令嬢達の額には汗が浮かび始めていた。シェリルだけが淡々と運動をこなしている様子に、ステファニーは複雑な感情を抱く。


「……聖女様は、やはり特別……そういうこと?」


 その言葉には、先ほどの皮肉な調子は消えていた。


「特別じゃない……ただ、身体を動かすことに慣れているだけ……」


シェリルの言葉は簡潔だが、誠実さが感じられた。


「はい、十分な『準備運動』ができましたですぅ。これから本格的な訓練に入りますですぅ」


 イナバの声が響き、生徒達に動揺が走った。今までは準備運動だと言う。

 これが魔術師としての第一歩。体力という基礎を築き上げることが、彼らの未来を左右することを、皆が理解し始めていた。


 運動場に並ぶ生徒達の姿は、華やかな社交界とは異なる、等しく汗を流す若者達の姿だった。

 魔術の道を志す者として、身分や立場を超えて、同じ地平に立つ瞬間。

 それは、彼らの学園生活の新たな章の始まりだった。

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