16.魔術授業……④

 ステファニー達女子生徒が運動場に出ると、朝の柔らかな日差しが生徒達を迎えていた。

 そこには既に女性の教師が待ち構えていた。

 年齢は20代前半だろうか? 担任マリオンや聖騎士パラディンユーリアと見た目・・・の年齢差は感じないように思われる若い女性だ。


 細く引き締まりながらも豊かな曲線を描く体躯は流麗で白く光り輝いている。

 そして何よりも印象的だったのは、天に向かって伸びる長い耳。


 彼女は間違いなく兎人族ラビノイドだ。

 兎人族ラビノイドは、この世界に数多生息する獣人種の中では、能力的に最も人間族ヒュームに近い存在だ。むしろ人間族ヒュームより弱いとさえ思われているが、その愛くるしい外見に魅了される者も多く、多くの兎人族ラビノイドがこのマーキュリー王国の各地で暮らしている。

 そのような兎人族ラビノイドが、この学院で体育の教師をしている事に生徒達は驚いた。


「皆さん初めまして!

 ボクはイナバ・ベローウッド、皆さんの体育を担当するですぅ!」


 にっこりと微笑むイナバの姿は、人々の目を惹きつけずにはいられなかった。

 裾丈の短い白いワンピースに、白銀の篭手ガントレット脛当グリーブが装着されたブーツに身を包んだその姿は、まるで降り積もった雪のようでもあり、肩や腰に巻かれた濃桃色スカーレットピンクのベルトやリボンが、全体を引き締めている。


 その下から見える肌も上質な陶磁器のように白く、そこに一筋の血管が透けて見えることもない。

 兎人族ラビノイドの一番の特徴である頭頂部から伸びる長い耳は、人間の腕ほどの長さがあり、先端に向かってしなやかに細くなっている。

 その耳が、微風そよかぜの中で優雅に揺れている。


 生徒達を穏やかに見つめる瞳の色は、深い紅玉ルビー色で、陽光を受けて宝石のように輝いていて、眼差しには優しさに満ち溢れている。白色の長い髪を後ろで三つ編みにして束ねており、耳の動きに合わせて揺れていた。


 先に更衣室を出たシェリルと男子生徒のトーマス、ハサンは既に運動場に到着しており、イナバの傍らで待機していた。

 しかし、先ほどから男子生徒達の顔が妙に赤いことに、シェリルの理解は追いつかず首を傾げてしまう。


 シェリルには知る由もないが、トーマスは純粋にイナバの美貌に見惚れ、年相応の男子らしく、妙齢の『大人の女性』に興味津々といった様子だったが、ハサンは不快感からだった。

 獣人族、それも弱小種族の兎人族ラビノイドが教師として立っている、そんな『劣等種イナバ』に授業を受けるという事実が、彼の中で上手く受け入れられなかった。


 イナバはやってきた女子生徒達の姿を確認すると、その特徴的な白い耳をピンと立て、柔らかな微笑みを浮かべた。


「改めて、こんにちは、なのですぅ!」


 その声は春風のように心地良く、しかし確かな芯の強さを感じさせた。語尾の「ですぅ」という独特の話し方は、彼女の可愛らしい印象を一層強めているが、その瞳の輝きには魔術教師としての威厳が宿っているようにシェリルには思えた。


「これからしばらくの間、皆さんには体力強化に取り組んで貰います……ですぅ!」


 イナバが話す度に、その長い耳が微かに動き、感情を表現しているかのようだった。嬉しい時は耳が前を向き、真剣な話をする時は真っ直ぐ上を向く。生徒達は思わずその仕草に見入ってしまう……一人を覗いて。


「教官殿、魔術の実技訓練は行わないのですか?」


 その一人である、ハサンが挙手して質問を投げかけた。イナバの表情が一瞬キョトンとしたものになる。


「そうですねぇ……やらないですねぇ……皆さんには魔術より体力強化が必要ですぅ」

「何と!?」


 ハサンが挑戦的な目を向けた。


「この『魔術の学校』で魔術をやらずに体練だけとは……?」


 問い返すハサンの声には明らかな侮蔑が含まれていた。

 彼の目には、兎人族ラビノイドという劣等種族が教鞭を執ることへの露骨な軽蔑の色が浮かんでいた。

 資源豊かなイオタ島の貴族であるハサンにとって、度々領地を荒らす獣人族は敵であり、人間族ヒュームより劣った存在と忌み嫌っている。


――戦闘能力の低い兎人族ラビノイドが、体育の教師? ふざけているのか?


 そう思っている。

 運動場にいるセラフィーナやレイコは、それを敏感に感じ取ったのか、彼女達の口から、小さな動揺の声が漏れる。


「ふむふむ、そうですねぇ……」


 イナバは長い耳をゆっくりと揺らしながら、穏やかな口調で説明を始めた。


「魔術を扱うには、イメージ力と魔力が必要なのは習いましたかぁ?」


 質問に、ハサンが「もちろん」と自信満々に応えると、イナバは何回か軽く頷いてみせた。


「でもそれらは、体力と密接に関係しているのですぅ。体育の時間は、その体力を強化するためにやるのですぅ」


 イナバが人差し指を上げて説明をする。が、ハサンは否定するように首を左右に振った。


「それは先生の感想ですよね?」


 ハサンは腕を組み、挑戦的な態度を示す。その様子に、イナバの耳が一瞬ピクリと動いた。

 それでも生徒の態度に慣れているのか、あるいは意図的に無視しているのか、ハサンの露骨な差別意識を感じさせる態度にも全く動じる様子を見せなかった。

 むしろ、その挑発的な態度を教育の機会として活用しようとしているかのようだった。


「じゃあー、ハサンさんの得意魔術って何ですかぁ?」


 どこまでも柔らかな口調で、イナバはハサンに訊ねた。


「我は土魔術の使い手であるので、当然土系統の魔術ですよ! 我の砂粒投射サンドブラストは絶品で、当家のお抱え魔術師マジシャンも絶賛する程で……」


 大きな瞳に見つめられて、ハサンは胸を張って応える。しかし、イナバは途中で拍手をして言葉を遮った。紅玉ルビー色の瞳を大きく見開き、憧憬にも似た表情を浮かべて。


「それは凄いのですぅ! ぜひボクに見せてください、なのですぅ!」


 関心を持ち、相手を持ち上げるその様子は、どこかのガールズバーのような様相を呈していたが、賞賛されるのは悪い気はしない。まして人生経験が僅か12年程度しかない子供の彼等には判ろう筈もなく、ハサンは気を良くしていた。


「これは我がターヒル家秘伝の技なので、そう易々と披露するものではないのであるが……どうしてもと仰るのであれば、まぁ、やぶさかではない……かな?」

「もう! ボクは見てみたいですぅ! 意地悪しないでください、ですぅ!」


 愛らしく臀部の短い尻尾を軽く振るイナバに、周りの女子生徒の冷ややかな視線に気づくこともなく、ハサンは見惚れていた。


――ハサン殿……チョロ過ぎではないか?


 その様子を見守っていたトーマスは頭を抱えた。

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