3.密談……③

「うむ……話は聞かせて貰った。如何にもジールの奸族の考えそうな事よ。内戦の間、我等に手出しできぬように、我が国にも内戦を引き起こそうと企みおる」

「では……我等を出汁ダシに……?」

「いや、アレはただの牽制だろうて……『手を出すな』という」

「ほう……」


 フェイの言葉にクランプは腕組みをした。


「では捨て置いても良いのではないでしょうか?」

「そうさな……むしろ憂慮すべきは、東のフィルツブルク聖皇国の動向じゃの。其方そなたの事だ、儂が言う前に気付いておったであろう?」

「これはご慧眼。恐れ入ります」


 クランプの言葉にフェイは首肯しゅこうすると、ソファーに腰を下ろして口を開いた。


「クランプよ」

「何でしょう、父上」

けいは『平和』と『安全』をどう解釈する?」

「……単語として単純に使い分ける事可能ですが、今、そのような答えはお望みではないでしょう?」

「無論だ」


 クランプの答えにフェイは笑った。


「されば我が存念を申しあげます。我が国に『平和』は必要ありませぬ……『安全』さえ担保できれば宜しいのです」

「ほう……なかなかおもむき深い話ではあるな?」

「我が国が戦乱に巻き込まれる事、戦乱の場となる事は何としても避けなければなりませぬ。我が国の周囲は異教徒の国ばかりです」


 再びクランプはパイプの中の葉を詰め替えて、紫煙を燻らせた。その煙越しに父の鋭い瞳が光って見えた。


「そもそも『アニマ教』は異教徒を排斥する教義……あの大森林である『魔の森』が無ければ、すぐにでも攻め込まれてしまうでしょう」

「さよう……故に我が国は、他国の何倍も強力な力を持たねばならぬ」


 フェイはクランプの言葉に頷いて応えた。


「ですが、国力には自ずと限界がございます。されば、他国に攻め入る口実を与えぬ事こそ肝要……その大戦略の前では武器を手放す『平和』は無用の長物……否、むしろ我等の足枷となりましょう」


 それは極めて冷徹な判断だった。一人の人間としてではなく、数多の者達の命と将来を担うものとしての……

 クランプは言葉を紡ぐ。


 非情な話ではあるが、例え他国が戦乱の渦に捉えられ、その大地が焦土と化そうとも、自国さえその影響を受けなければ良いのだと。

 そうする事により国民の生命と財産は保証される。

 こうして得られた『安全』を政治的、外交的交渉で調整する事によって継続し、国力を増大させていく事こそ『国家千年の計』なのだ。


 もちろん一般の国民が平和や理想を掲げ、主張、議論し合うことは一向に構わない。

 しかし、国の指導者がそのような事を述べていては、国は亡びる。

 国家間の争いでは、力無き理想や正義は戯言ざれごとにしかならず、正義無き力はただの暴力だ。それでも他国に侮られないよう、力は常に蓄えていなければならない。


 その為に軍備が必要と言うのならば、整えなければならないのは自明の理だ。マーキュリー王国は中立国ではない。

 この国の民の為には、何時叶うか判らない『将来の平和』よりも『現在の安全』を選ぶべきなのだ。

 その為には費用を投じてでも力の均衡による『安全』を維持しなければならない。それを為すのが『為政者』の責務であると。


「自国優先……という事であるな?」

「当然です……我々は夢想論者ではありませぬ……同じ神アニマを信奉していながらも教義の違いで互いに相争う国々など誰が信用いたしましょう?」


 クランプの言葉に是も非も無い。それは他ならぬフェイ自身が長年の経験で抱いている事だ。

 それは、8年前に起こった『テート公国』と『フィルツブルグ聖皇国』の争いを見ればわかる。

『フィルツブルグ聖皇国』は『アニマ神を冒涜した』との理由で『南方公国連邦』の一国、テート公国を一方的に侵攻蹂躙じゅうりんし、公王ゴドフリー・ティッチマーシュはアニマ教会より『破門』され、弁明の機会も与えられず断頭台の露と消えたのだ。


「まったく迷惑な存在だ」

如何いかにも……されば、我等も策を講じねばなりませぬが……」


 フェイは葉巻を取り出し、吸口をカッターで切って火を点けた。

 それは生活魔術の『種火』……彼の能力からすれば造作もない。紫煙を燻らせながら、葉巻を持った手を額に充てる。

 彼がこの行為を行っている時は、大抵思案を巡らせている時だ。


「故に『御前あの御方』も我等に働き掛けたのであろうよ」

「今年入学した『特別生イレギュラーズ』の件でありますな?」


 クランプの問い掛けにフェイは鷹揚に頷いた。


「うむ……手抜かりあるまいな?」

「はい。万事手抜かりなく」

「久方ぶりの『特別生イレギュラーズ』だ。『御前あの御方』の肝煎り故、齟齬そごが有ってはならぬぞ」

「心得ております。既に妹フーディエには『特別生イレギュラーズ』の観察と護衛を命じておりますれば」


 念押しするかのようなフェイの言葉に、クランプは応えると再びパイプに火を灯し、紫煙と共に言葉を付け加えた。


「……もちろん極秘の任務です……同学年ではありませんから距離感は弁えておりましょう」

「よろしい。アレフーディエならば、問題はなかろう」


 フェイの娘であり、クランプの妹であるフーディエは、今年16歳になる。現在はホーリーウェル魔導学院の第4学年に在籍している容姿端麗で頭脳明晰な少女だ。

 フーディエの観察眼は卓越しており、かつ、幼い頃より、父や兄の活動を目の当たりにしていた影響もあってか、諜報活動に於いては、クランプ配下の並みの諜報員よりも高い技量を誇っている。

 自身の身内という贔屓目ひいきめを差し引いたとしても、十分に評価できるレベルと言っても過言ではない。


「できればもう一人……味方が欲しいものよな」

「されば、我が弟、クロウリーは如何でしょう? 彼奴あやつは今、第2学年におりますので」


 クランプが応じるとフェイは首を左右に振った。


彼奴あれは始祖ハロルド公の再来だ。『ハイパーソンの血』を色濃く継いでおる。逆に言えば、腹芸は使えぬから、すぐに感情が顔に出る。それ以前に男子おのこだ。日々観察させては却って問題になるだろう」

「確かに……」


 クロウリーの諜報活動を思い浮かべ、クランプは思わず吹き出してしまった。

 同年代の男子より大柄で衆目を集めやすいクロウリーに潜入などできる筈もない。裏口や搦め手を狙うと言う選択肢は彼には無い。真っ直ぐに正門に向かって突撃し、門そのものを打ち壊して乗り込んでいく事だろう。


――血を分けたきょうだい・・・・・でもこうも違うものか……


 誰しも得手不得手があるのは当たり前だ。その事を新ためて噛みしめながら、クランプは父の姿を見た。

 よわいはいったい幾つだろう? 正直な所、フェイの年齢は長男のクランプですら知らない。ただ、その顔に刻まれた皺や白い髭が、長い人生経験を過ごしたことを表している。


「クランプよ」

「はい」


 フェイは葉巻を灰皿に押し付け、静かに瞑目した。


「儂は『御前あの御方』の理想や教えを信奉しておる……おそらく儂ほど『御前あの御方』と共に過ごした人間・・は他にはおるまい」

「それは『人間族ヒューム』として……ということでしょうか?」


 クランプの質問にフェイは「そうだな」と笑った。


「されど其方そなたの言う『我が国の安全』を考えるのであれば、今回の措置が全て無駄に終わることの方が良いのかもしれぬな」


 それは長年、王宮筆頭魔術師として王国を支えてきた『大魔導師メイガス』の偽らざる本音なのだろう。

 クランプは、ただ黙って、父親の姿を眺めていた。

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