2.密談……②

「私はこう見えて、小心者でしてな……事を成すには慎重に慎重を重ねたいのですよ。失敗は好みませぬ」

「では何故なにゆえに……?」

「理念は理念として共感も致しますし、微力ながら尽くしましょう……ですが、これは時期の問題ですな。今、起つべきが果たして真に良き頃合いなのか否か……ノイルフェール神も照覧ある事ゆえ、ここは思案の為所しどころでしょうな……」

「時期の問題……と、仰いましたか?」


 男の声には苛立ちが滲んでいた。クランプは穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりとパイプから煙を吐き出した。


「さよう。今この瞬間に行動を起こすことが、果たして我々の大義にとって最善の選択なのでしょうか? 私にはまだ疑問が残ります」


 クランプは立ち上がり、再び窓辺に歩み寄った。外では雪が舞い始めていた。


「ご覧なさい。季節の変わり目です。冬の訪れを告げる雪が降り始めました。しかし、まだ完全な冬ではありません。今は移ろいの時期なのです」


 男は眉をひそめた。


「我は非才なる身。比喩で語られても困ります。具体的に何が問題だというのです?」

――こいつは……とんだ低能だな


 クランプは紫煙と共に深い溜息を吐き、男の方を向いた。


「3つ述べましょう。まず、民衆の支持です。貴族の権力拡大が、果たして一般の人々にとって望ましいものだと思われているでしょうか?」

「平民どもの支持など不要でございましょう。何を仰るのかと思えば……」

――時代錯誤も甚だしい……今や民衆はそれほど愚かではない


 男が答えるとクランプは心底呆れた。まるで疎通手段プロトコルが違うようで全く話が噛み合わない。

 学院長に就任して以来、生徒達を目にする機会は激増し、貴族社会が如何に庶民から乖離し蛸壺化しているのかを見事に表現している。そしてこの男も。


 むしろ、当代の国王『エグバート3世』の方が余程世情に精通している。それでも彼は自分の意見を述べた。宿敵とも言えるフィルツブルク聖皇国が不穏な動きを示している今、国内を二分化させる政争などあってはならないからだ。


「二つ目、王宮は、この動きをどう見るのでしょう?」

「知れた事、王宮に軍勢を派遣し、我らが陛下を奉じ奉れば良いことです」

――話にならないな……陛下を幽閉など、中央情報局が黙って見逃すとでも思っているのか?


 クランプは再びソファーに腰を下ろした。


「そして最後に、周辺国との関係です。ジール王国の内乱は確かに好機かもしれません。しかし、その混乱に乗じて我が国が大きく動けば、他国はどう反応するでしょうか?」

「それ故に、貴公の魔術にて対抗していただきたい……我が主はそう申しております」

――フン……私を番犬にでもするつもりか?


 何も応えないクランプの態度に男の表情に焦りが見えた。暫くの沈黙の後、クランプは、慎重に言葉を選びながら続けた。


「それからもう一つ。アルフォード大聖堂……枢機卿カーディナル猊下げいかは、当然、このはかりごとに賛同いただいているのでありましょうな?」

「それは……」


 男は言葉に窮した。

 正教一致し、教会勢力の浸透著しいアニマ教とは異なり、世俗の権威から隔絶した存在であるノイルフェール教が、王宮や領主とは別に徴税したり、政治に介入したりすることは一切ない。


「やれやれ……貴殿等は、日頃介入しないからと、大聖堂を軽んじていらっしゃるようですな?」

「いやいや、陛下は陛下のままであれば、大聖堂に物申される謂れはないでありましょう」

「果たしてそうでありましょうか?」


 国政の正統性を認めるのは、大聖堂の役割なのは、建国以来変わっていない。アルフォード大聖堂にいる枢機卿カーディナルの宣言があってこそ、市井しせいの者達は、初めて国王をノイルフェール神より授かった統治者と認めている。

 決して等閑なおざりにはできない存在でる。

 クランプはそこを突いてきた。


「アストリア卿、それはどういう意味でございましょうや?」

――質問を質問で返すな、この愚か者め!


 顔を青ざめさせ訊ねる男に、内心毒吐きながら、クランプは努めて微笑んで見せた。


「私は学び舎の長……国のまつりごとに口を出す立場にはありません」


 そう言うと、クランプは立ち上がり、恭しく胸に右手を当てて左手で出口を指し示した。面会時間はもう終わったという事だろう。

 この玉虫色の対応に業を煮やした男は、不快さを隠そうともせず席を立った。


「この儀、我が主にありのままにお伝え申しますが、宜しいですな?」

「どうぞご自由に」


 相好を崩し、穏やかに微笑むクランプとは対照的に男は露骨に顔をしかめた


「では、失礼いたします。アストリア卿のご判断が、良き方向に向かうと宜しいですな!」


 男が捨て台詞を残して、出口に向かおうとした時、再び背後から声が聞こえた。


「ああ、それから……」


 呼び止められて振り返った男は、突如とした雰囲気の変貌に目を見張った。

 それまでの笑みを絶やさぬ『学院長』の姿ではなく、鋭い眼光を放ちながら睥睨へいげいする魔物のような凶悪さを秘めた雰囲気を隠そうともせず、彼を睨み付ける。


其方そのほうの『もう一人の主』に伝えよ」


 その口から出た言葉は、先程の丁寧なものではなく、敵に対して対峙した魔導師そのものの威圧が込められており、男は驚愕の余り、その場にへたり込んでしまった。


「『値踏みをするのはなんじの勝手だが、この私を安く見積もらない事だ』とな……一語一句違わずに伝えよ」

「はっ、はい!」


 腰を抜かさんばかりに、逃げるように退出していく男を、クランプは鋭い眼差しで見送る。再びパイプを咥え、自ら抱いた毒気と共に紫煙を吐き出した。


「下らん俗物風情が……私に物申すなど100年早いわ……」

「それで良い……これがまつりごとという物だ……」


 その時、隣に通じるドアが開き、別の男が姿を見せた。

 先ほどの使者の男よりも、よわいを重ねているようで、頭からフードを被っているが、その手は数多の皺が刻まれている。そしてそのフードもかなり服装は草臥くたびれているが、その青い瞳から放たれる眼光は非常に鋭い。


「お見えでしたか……父上」


 クランプの父にして、中央情報局長官の『フェイ・ヴォルゴート・ハイパーソン』の姿を目にすると、クランプは静かに立ち上がってその場に畏まった。

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