第2章 『特別生』の聖女

1.密談……①

 晩秋のホーリーウェル魔導学院も時折雪の華が舞うようになってきて、冬の訪れを告げる。

 広葉樹達は葉を落とし、針葉樹はその針のような葉を屹立させて、やがて訪れる冬を越える準備を始めている。


 窓辺に吹き当る風がカタカタと窓ガラスを揺らし、その向こうの暖炉が激しく炎を輝かせている様は、季節が秋から冬へと変わりつつあるのだという事を知らしめる。

 その窓辺に立ち、ようやく入手したコーヒーが放つ芳醇な香気を燻らせているのは、王宮筆頭魔術師であり、この学院の学院長を務める『クランプ・アーレ・ハイパーソン』だ。

 彼は、彼を訪ねてやって来た者と会談している最中であり、窓から見える景色を眺めながら、その者からの話に耳を傾けていた。


 初代国王で『開明王』と呼ばれるクリスファーⅠ世が即位してから約1,800年。彼らを必死で支えた魔術師マジシャンたる貴族達は、世代が進むにつれて、先祖の願った高尚なる願いを忘れ世俗化している。

『魔術』という常人が使えぬ能力を以て『世界の守護者』を任じられて、対価として与えられた特権は、今では当然の物として彼等貴族は享受している。


 もちろん全ての貴族家がそうではない。建国以来の精神を絶えず持ち続けている家も確かに存在している。

 その最たる存在が、クランプの生家であるハイパーソン家だ。

 王国が成立する遥か以前より、ハイパーソン家は、代々の王の剣として仕えてきた。時に苦言を呈し、時の王に疎まれ退けられる事はあったが、ハイパーソン家の当主達は頑なにノイルフェール神の教えを忠実に守り、王宮筆頭魔術師として今日に至っている。


 そんなクランプから見れば、この来訪者は『招かれざる客』であった。

 この男は『貴族派』からの使いだと言う。つまりは、マーキュリー王国の政治を王権による中央集権から、領地毎の自治運営に任せ、国の方針は領主達の合議制に委ねるというものだ。


「……お話は承りました」


 カップをソーサーの上に置き、高質な磁器だけが放つカチリという甲高い音を響かせながら、彼は答えた。


 面会してきた者は一人の男だった。身形みなりこそ冒険者を装っているように見えるが、着用している服の生地は高級品であり、本物の冒険者が目にしたら「ふざけるな! 舞踏会へでも行くつもりか!」と激怒しそうな代物しろものであった。

 もちろん着用している本人は全く意に介していないことが、クランプにも伝わってくる。


――まったく『危機管理』がなっていない……


 相対しているクランプもまた、内心嘆息してしまう。

 貴族派の上層部の意識などこの程度なのであろうとすら思えてくる。


――それとも……この私の油断を誘っているのか?


 そう思うと、この男の存在は反転してとても危険なものへと跳ね上がる。どちらにしても警戒するに越した事はない。

 用心深い男は、ソファーに腰掛けてコーヒーを口にするこの者を静かに観察し続ける。


「……では、我等にご同心頂けると……?」

「さて……まさにそこなのですよ」


 安堵の声を上げようとする男の言葉を制するように、クランプは声を上げる。


「……と、仰いますと?」

「起つべきか、起たざるべきか……まさに思案の為所しどころですな……」

「アストリア卿!!」


 カップが乱暴にソーサーに戻され、カチンという金属的な音が響く。冗談ではないという男の本心がそこから如実に伝わってくる。


「今この時を置いて他にはござらぬ! 御覧ごろうじろ! ジール王国は土豪ユンカ―共の蜂起が起こり、国を分かっての内乱状態に入りつつございます。我が国への武力介入どころではござりますまい!」


 男はテーブルの上に広げられたヴァストリタヴィス大陸西方の地図をバンと叩いて、情勢を告げる。


「さてさて……」


 クランプはにこやかに口角を上げたままソファーに腰掛けた。


「今や我が身は、この学び舎の長……まつりごとに口を挟むのは些か僭越というものでございます」

詭弁きべんろうされないで頂きたい」

「はて? 何のことでございましょうな?」


 クランプは慎重な男だった。彼は『特級魔術師スペリオルマジシャン』であり、この学院で習得できる全ての魔術を行使・指導できる能力を持つ。


 若くして才能を開花させ、30歳を迎える頃には既に『上級魔術師アークマジシャン』の資格を保持し、さらに『特級魔術師スペリオルマジシャン』となってからは、王宮筆頭魔術師を務めている。


 このホーリーウェル魔導学院の学院長に親補しんぽされたのは2年前であり、以来『表向きには』大過なく任を果たしている。


 国王から直接任命されることを親補しんぽと言うが、対象となる役位は非常に限られていた。文官では宰相や各大臣、武官では各兵団長に限られているが、ホーリーウェル魔導学院の学院長もその中に含まれている。

 この世界の魔術師の絶対数を考えてみれば、裏を返せば、魔術師の育成責任者というのは、それだけ重要な役職という事なのだ。


――貴族派こいつらの動きを内偵するのも選択肢の一つではある……だが……


 クランプは卓上に広げられた地図の反対側に視線を向けていた。


――ジール王国の内乱など、どうでもいい。今、憂慮すべきは聖皇国の方だ


 クランプの表向きの役職はホーリーウェル魔導学院の学院長ではあるが、同時に諜報活動を司る王室中央情報局の副局長でもある。中央情報局は国王直属の組織であり、構成員が誰なのかはごく一部しか知らない。

 そんな彼が集めた情報では、フィルツブルク聖皇国で不穏な動きがあると伝えられている。

 しかし、そしてそれをおくびにも出さないこと……人はそれを『老練』と呼ぶのだろう。


「最早、大勢は決しておるのですぞ! 臆しておられるのか!?」

「さにあらず。まずは落ち着かれよ」


 男の発言を制してクランプは、パイプを咥えると、おもむろに紫煙を燻らせた。

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