4.聖女の入学……①


 この世界に『魔法キャリブレーション』は存在しない。そう言われて久しい。

魔法キャリブレーション』とは『魔術マジック』では到達できない神秘であり、その時点における世界の文明の力では、いかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な『結果』をもたらすものを指すからだ。


 しかし、この世界にも、不可能を追い求めようとする者は、高位の魔術師の中には少なくとも存在する。


 魔力を操る者にとって『魔法使いキャリブレータ―』という称号は、この世界を超越した究極の存在であり、羨望と畏怖を以って呼称すべき存在と言っても過言ではない。


 そして、この世界には、その究極の存在に一歩でも近づこうとする教育機関が存在する。


『ホーリーウェル魔導学院』は、若い『魔術師候補生』のための教育機関の一つである。

 毎年9月になると、その年に12歳を迎える生徒が1年生として入学し、9年間の学院生活を送ることになる。


 この世界で魔術を操れる者は希少で全人口の約2%しかいない。


 魔術師マジシャンは『ノイルフェール神』……『天空神テリー』と『地母神ソフィー』この二柱の総称……と共に『邪神アニマ』と戦い、この地に住まうあまねく命を守った魔術師マジシャンの末裔達だ。


 その筆頭が現アムフォルタス王家であり、彼と共に命を懸けて戦ったのが今の貴族達である。以来、貴族の家系にしか魔術師マジシャンは生まれない。

 そう言われている。

 だからこそ王国は、彼等を庇護育成する専門の教育機関を立ち上げていた。それがこのホーリーウェル魔導学院だ。


 この学院を卒業したあかつきには、それぞれの適正と能力に応じて、王国の役人としての任務を与えられる。


『事に臨んでは危険を顧みず、

 身を以て責務の完遂に務め、

 以てノイルフェールの神の下、

 国王および臣民の負託に応える』


 これは貴族の特権と義務に関して、王国憲法に記載されている。これは『貴族の矜持ノブレス・オブリージュ』と呼ばれている。

 そして生徒達は、学院内の寮に住まい、共同生活を送ることで、様々な学問や魔術に加え、この貴族の義務を叩き込まれる建付け・・・になっている。


 ところが、その理念や義務は年を降る毎に形骸化していた。

 彼等が一番に学んでいるのは、学問でも魔術でもなく社会性だった。


 事実、ホーリーウェル魔導学院での生活で、生徒達の最大の財産となるのは『魔術』ではなく『人間関係』であると言っても良い。

 もちろん魔術の高みを目指そうと志す者も存在するが、学院生の大半が爵位を持った貴族の子供達である以上『魔力』より『政治力』や『社会性』・『人脈』を身につけて卒業する現実がある。


 それでも彼等は、成長した後、学院で得たそれらの力を駆使して、国の中枢で活躍していくことになるのは言うまでもない。

 9年間同じ釜の飯を食った仲間として、互いの良い点も悪い点も知り尽くしているからこそ、卒業後も長く続く友情が築けるのだと言える。


 学院長クランプは、前任の学院長であるハーキュリーズが容認したこの慣習を『悪しきもの』と捉えていた。

 もちろん全てを否定するつもりはない。

 しかし『社会性』ばかりを重んじてばかりいると組織そのものの風通しが悪くなり『腐敗』が進む。


 約1,800年の歴史を重ねた王国であるが、実情は、決して安定していた訳ではない。

 貴族の特権意識からの蛮行と反抗する民衆の蜂起、それに乗じた他国の侵略は何度もあった。しかし、その都度その動きはいつの間にか沈静化させられている。


 原因となった当事者の急死に敵軍の崩壊による撤退。人はそれを『神罰』と呼んでいるが、凝り固まった貴族の特権意識そのものは何ら変わっていない。


――これが進行すれば国が内側から崩壊する……


 将来の国を担う人材を輩出する学院の実情を目の当たりにして、クランプは愕然とし、そして憂いていた。彼だってこの学院の卒業生だ。彼が在学していた時も多少その傾向はあったものの、それでもまだ『貴族の矜持ノブレス・オブリージュ』による統制ガバナンスは効いていた。

 それがどうだ。わずか数十年の間で、一気に役立たずのクズ貴族の温床と化している。


――ハーキュリーズの俗物めが!


 大々的に公言する事はないが、数少ない王党派に属するクランプにとって、この惨状は見るに堪えない醜態であった。


 そこに今回、アルフォード大聖堂よりもたらされた『特別生イレギュラーズ』の話は、学院の綱紀粛正を目指すクランプにとってはまさに『渡りに船』の話だった。


 こうして新しい学年が始まる9月には、新たに入学してくる生徒が王国各地から集まってくる。

 頬を紅潮させ、期待に胸を膨らませながら弾むように門をくぐり抜ける者、緊張して身震いする者、入学時の1年生の姿は千差万別だ。


 その中に、聖騎士パラディンユーリアに伴われたシェリルの姿もあった。


 シェリル・ユーリアラスは両親の顔を知らない。

 彼女は孤児であり、幼少時を寒村の孤児院で過ごしていた。身分制度が確立しているマーキュリー王国の中でも身分は最下級のシェリルだ。


 このような場所は身分違いにも程がある。

 粗末な建物ばかりのウーラニアー村しか知らない彼女にとって、王都は恐ろしい程華美に見え、そこに住まう人々も異世界のもののように見える。


 しかし、周りはそうは見ていない。

 剛かなドレスや華美な装飾を施された礼服を身に纏う新入生と、その親達の中を、地味で粗末なワンピース姿のシェリルは却って注目を浴びてしまった。


 それ以上に、青白銀に煌めく鎧に白いマントという聖騎士パラディンの礼装で歩くユーリアの姿は、さらに目立った。


「ユーリア様……その……」


 誇らしげに歩くユーリアを見て、シェリルは大いに慌てた。


「心配いらないわ。曲者くせものが現れたら成敗せいばいするから」

「い、いえ……そういう事では……」


 貴族の子女が大半を占める中、平民のシェリルは極めて質素で、周囲の生徒達とは際立って異質だった。

 師であるレイモンドから贈られた抗魔の眼鏡越しに、桜色の瞳を周囲に向けると、彼女達を見てヒソヒソと話す貴族達の姿が見える。


「何ですの、あの子?」

「何てみすぼらしい……」

聖騎士パラディン様の下僕しもべではありませんこと?」


 居並ぶ令嬢達は扇子で口元を隠し、ヒソヒソと話している。しかしその一言一言がシェリルの耳に飛び込んできて、彼女は居心地の悪さを感じた。

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