13.聖騎士と大精霊……③

 彼女の主である『賢者セージシルヴェスター』ことシルヴィは、思慮深く心優しい男だ。部下の報告を無碍むげに退けるとは思えない。

 しかし、ユーフェミアの話では、シルヴィやアイリスが人知れず探している存在というのは、彼等にとって最重要情報センシティブなものなのだろう。


 不明確な情報を送っては、却って不興を買う恐れもあった。その思いが、ユーリアの心に重くし掛かる。


「何故そんなに長い間……?」


 ユーリアの声には、疑問と共に僅かな焦りが混じっていた。

あの子・・・の魂は、世界の均衡を保つ鍵じゃ。

 シルヴィは賢者セージになる前から

 幼いアイリスを連れ彼女を探し続けておった。

 我とて手を貸したかったが、『現実体マテリアルボディ』を失った身

 ゆえに、未だにこのざまじゃ……到底力にはなれぬ」


 ユーフェミアが応えると、その声には長年の無力感と後悔が滲んでいた。

 ユーリアは眉をひそめた。その表情には、複雑な感情が入り混じっていた。


「では、私が報告しても……」

「今に至るまで『天空の聖女セインテス』を探し続けてきたのじゃ。その存在は世界の均衡を保つ鍵。故に、二人は簡単には信じられぬのであろう。間違いなく自ら見極めに動くであろう」

「では、我等は何をすべきなのでしょうか?」


 レイモンドが口を開いた。その声は落ち着いていたが、その目には不安の色が浮かんでおり、ユーフェミアは優しく微笑んだ。その笑顔には、長年の経験から来る深い知恵が感じられた。


其方等そなたらがすべきことは、この地よりあの子を遠ざけることじゃ。

 そして、彼女の力が暴走しないよう見守るのじゃ。

 彼女の魔力は強大で、それ故に今の状態では制御できておらぬ」


 ユーリアは顎に手を当てて考え込んだ。その姿は、重責を背負った聖騎士パラディンそのものだった。


「本来であれば我があの者シルヴィの所に参り直談判するのが一番なのは存じておる……さりながら……我の力も限界に近づいておる」


 風の大精霊シルフィードの姿はどんどん薄くなっている。

 この世界で身体を維持させるのに限界を迎えているのは二人の目から見ても明らかだった。

 ユーフェミアの姿が消えゆく様子に、二人は切ない思いを抱いた。


――されど、ユーフェミア様の話も併せて報告すれば或いは……


 ユーリアは咄嗟に思い至ったが、ユーフェミア構わず話を続けた。その声は、徐々に弱くなっていった。


「……シルヴィとアイリスが確信を持てるような証拠を揃えるのじゃ……

 あの子・・・の特異な能力……彼女が示す過去の記憶の断片

 何か彼らが見逃せないような情報……」

「私が報告書を送ります。今までの事を逐一。併せてアニマの動向も……」


 レイモンドが応じると、その声には決意が満ちていた。

 ユーリアは、顎に添えていた手を下ろすと静かに口を開いた。その表情には決意が浮かんでいた。


「私は王都バーニシアに戻り聖騎士長キャプテンに話して参ります」

「よろしい……これでこの……長き旅路に……終止符を打つかもしれぬ……」


 声が途切れユーフェミアの姿が、翳りの中に消え去ろうとしている。

 その姿を見つめる二人の目には、悲しみと感謝の色が浮かんでいた。


「……此処までじゃな……精幽体スピリチュアルボディこそ、この地に在るが

 我が干渉する事は叶わぬ……故に最後に一つ、助言を……」


 二人は身を乗り出して聞き入ったが、既にユーフェミアの姿はなく、声だけになってしまった。その声は、まるで遠い彼方から響いてくるかのようだった。


「あの子の力は、絆に基づく感情と密接に結びついておる……

 心が安定していれば、力も制御しやすくなる……

 逆に、不安や恐れ、怒りなどの負の感情が強くなれば、

 力が暴走する危険が高まる……

 彼女の心を理解し、寄り添うことが何より大切なのじゃ……

 それができる者こそ賢者セージシルヴィ……」


 そう言い残すと、ユーフェミアの気配は完全に消え去った。

 部屋には、レイモンドとユーリアの二人だけが残された。


 空気が重く沈んでいく中、二人は互いの顔を見つめ合った。

 二人が窓の外に目をやると、相変わらず孤独に水桶を運ぶ作業をこなすシェリルの姿があった。その小さな背中に、二人は計り知れない運命を感じ取った。


「ホーリーウェル魔導学院の件……よろしく頼む」


 レイモンドの声には、切実な願いが込められていた。


「お任せください。私とて聖騎士パラディンの一人です。その程度の工作は造作もありません」


 ユーリアの返答には、自信と責任感が滲んでいた。


「私はこの地に留まる。留まって報告と共にアニマの尖兵を食い止める防壁となる」

「しかし、いくら上級魔術師アークマジシャンとは言っても、貴殿一人では……」


 レイモンドは決然と言い放った。その目には、固い決意の光が宿っていた。


「案ずるなユーリア殿。我とて聖騎士長キャプテンパラディンミシェル殿と共にアイリス様に教えを請うた身。そうそう遅れをとるものではない」


 レイモンドの言葉には、自信と共に、かつての師への敬意が感じられた。

 彼女の中に眠る計り知れない力と、遥かな時を超えた重大な使命。

 それを知った今、二人は新たな決意と覚悟を胸に抱いていた。


 部屋の中に静寂が広がる。

 窓の外では、依然としてシェリルが黙々と仕事を続けている。その姿に、レイモンドとユーリアは複雑な思いを抱く。


「彼女には、まだ何も告げるべきではないでしょうね」


 ユーリアが静かに呟いた。その声には、迷いと決意が入り混じっていた。


「ああ。今は彼女の日常を守ることが最優先だ。我々にできることは、影から見守り、必要な時に必要な行動を取ることだけだ」


 レイモンドの言葉に、ユーリアは無言で頷いた。

 二人の目には、シェリルの姿が映っている。小さな身体で水桶を運ぶその姿は、一見すると何の変哲もない村娘のようだ。

 しかし今や二人は知っている。

 その小さな身体の中に、世界の運命を左右する力が眠っていることを。


「出発の準備をしましょう。時間は待ってくれません」


 ユーリアが立ち上がり、身支度を整え始めた。その動作には、使命感に裏打ちされた力強さがあった。


「ああ。私も報告書の準備にとりかかる。一字一句、慎重に記さねばならない」


 レイモンドも立ち上がり、机に向かった。彼の手には、重要な情報を記すペンが握られていた。

 部屋の中に、二人の決意が満ちていく。彼らの行動が、これからの世界の行く末を左右するかもしれない。その重圧を感じながらも、二人は自分たちの役割を全うする覚悟を新たにしていた。

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