3.寒村の少女……①

 今に至るまで5千年。気の遠くなりそうな時を経て、人類はようやく、かつての文明世界を取り戻した。

 それでも『悪魔の1ヶ月』は世界の混迷を告げる前奏曲プレリュードとして歴史に刻まれている。


『悪魔の1ヶ月』で発生した大規模な津波・地震・噴火・岩盤の崩落・土石流や火砕流は大地を大きく変容させ、人間族ヒュームが今まで接したことのなかった神学的物質『アイテール』……俗称『魔素マナ』……の発生を見るに至り、人類は新たなる存在と邂逅かいこうすることになった。


 再び文明を取り戻した『ヴァストリタヴィス大陸』の豊饒な大地に、広大な領土を持つマーキュリー王国。その最前線と呼んでも良い地域に『エルスワース辺境伯』領がある。

 この地は、王国の東端に位置し、常に隣国との緊張関係に晒されていた。


 『ウーラニアー村』は辺境伯領とフィルツブルク聖皇国とのはざまに位置する寒村だった。両国の国境線から僅か数kmの場所に佇む、まさに最前線の村である。村の周囲には、幾重にも連なる険しい山々が広がり、自然の要塞のような地形が、この小さな村を外敵から守っていた。


 土地は痩せ、周辺には『魔の森』と呼ばれ、人々から恐れられる広大な大森林『ユーミルの森』がある。この森は、古来より数々の伝説や噂の舞台となってきた。

 迷い込んだ者が二度と姿を現さなかったという話や、夜になると不気味な光や音が聞こえるという噂も絶えない。


 村人達は、この森に対して畏怖と尊敬の念を抱きながら、その恵みにも感謝しつつ生活を営んでいた。

 多くの岩山と大きな渓谷が臨む険しい地形は、外敵の侵入を困難にするが、それ故に村人達の生活も決して楽ではなかった。


 しかし、彼らはこの厳しい環境に適応し、独自の文化や生活様式を築き上げていた。

 100人ばかりの人間族ヒュームと20人程の森風精族エルフが住まう集落であり、特筆すべき産業も豊富な資源を提供することはなく、戦略的には拠点とはなり得ない場所になる。


 それでも村人である人間族ヒュームと森風精族エルフは、長い年月をかけて互いの違いを理解し、尊重し合う関係を築いていた。森風精族エルフ達は、その長寿と自然との深い繋がりを活かして人間族ヒュームにその技能を伝え、村の農業や狩猟に貢献していた。


 種族の壁を気にすることもなく、ひたすらに王国の主神でもある二柱の神『ノイルフェール』を信奉し、祈りを捧げる穏やかな日々を過ごしていた。

『ノイルフェール』は、創造と破壊、光と闇、生と死を司る二面性を持つ神であり、村人達はこの神の教えに従って、自然と調和した生活を送っていた。


 村の中心には、小さいながらも荘厳な雰囲気を漂わせる石造りの教会があった。その尖塔は村で最も高い建造物であり、遠くからでもその姿を確認することができた。教会は単なる信仰の場所だけでなく、村の集会所や避難所としての役割も果たしていた。

 そして災害や病気、戦争で親を失った子供達を受け容れる孤児院としても。


 ウーラニアー村の日々は平穏そのものだった。しかし、その出来事は村全体に大きな衝撃を与え、やがて村の運命さえも変えることになる。

 村の教会に一人の女児が打ち捨てられる前までは……


                        ◆◆◆◆


 その年も押し迫り、雪の降る王国暦1767年12月24日。

『ノイルフェール』の一柱『地母神ソフィー』の降誕を祝う『光明祭ソフィスミゼ』の祝祭の日。

 この日は、一年で最も夜が長い冬至に近い日に設定されており、闇から光へ、死から生へと移り変わる季節の変わり目を象徴していた。


 村中が祝祭の準備に忙しい中、教会では司祭プリーストジェームス・ユーリアラスと修道女モンクエミリー・ウィンジャーが、夜の儀式の準備を進めていた。

 ジェームスは40代半ばの温厚な性格の男性で、司祭プリーストとなって20年以上、この村の精神的支柱として務めてきた。一方、エミリーは20代前半の聡明な女性で、孤児達の世話や教会の管理を一手に引き受けていた。


 雪が舞う寒い夜、教会の扉を叩く音が響いた。その音は、祝祭の喧噪とは明らかに異なる、切迫した響きを持っていた。

 音に気づいた司祭プリーストジェームスが扉を開けると、そこには誰の姿もなく、籠の中で声を上げる赤子が置かれていた。厳しい寒さの中、薄い布にくるまれただけの赤子の姿に、ジェームスは心を痛めた。

 赤子の泣き声が静寂を破り、ジェームスは慌てて赤子を抱き上げた。


「この祝祭の夜に……いったい誰が……?」


 ジェームスは、優しく赤子を抱きしめ周囲を見回す。しかし、教会の前に降り積もった雪に足跡はなく、彼は困惑しながら、奥に向かって声を上げた。


「エミリー! 来てくれないか!」

「どうなさいましたか? 司祭様」

「捨て子だ! 急いで毛布を持ってきてくれ給え!」

「まぁっ!」


 ジェームスの声には、緊迫感が滲んでおり、修道女モンクエミリー・ウィンジャーが駆けつけ、赤子を保護した。彼女の手際の良さは、これまでの経験から培われたものだった。

 ジェームスが暖炉の火勢を強め、エミリーがミルクを用意する。この教会は孤児院も兼ねている。時折このように生後間もない赤子を置かれる事は、今迄何度かあった。

 しかし、今回は多少様子が違うようにジェームスには思えた。


「それにしても、こんな雪の中をどうやって……?」


 エミリーの質問にジェームスも首を傾げて応えた。


「判らないんだ。外には誰もおらず、足跡もない……まるで空から降ってきたかのようだ」

「まさか? 幾らなんでも……」


 突拍子もない言葉にエミリーは苦笑した。ジェームスも「考えすぎだな」と笑って答え籠の中を覗くと、そこには、銀色に光る天使をかたどったペンダントとともに一枚の紙片が置かれていた。


「何々?……ノイルフェールの使徒にその身を託す……のもの……シ□○△……えっと……?」

「どうなさいました?」

「どうやら我等を頼ったふみのようだが……途中で焼け焦げて最後の文字が読めなくてね」


 ジェームスはエミリーに紙片を渡した。エミリー赤子を抱き上げながら読み進めてみるが、やはり最後の部分で目が止まってしまう。


「確かにかなり痛んでいますし、焼け焦げてますね。火事でもあったのでしょうか? それとも邪神アニマの信徒に追われていた……とかでしょうか?」

「そうだろうな……状況的に考えれば……」


 ジェームスは深刻な表情で頷いた。赤子は泣き止み、一心不乱にエミリーの出した哺乳瓶からミルクを飲み続けている。

 その様子を見ながら、ジェームスが腕組みをして考え込んだ。隣国で国境を接しているフィルツブルク聖皇国は、彼らの言う『邪神』である『唯一神アニマ』を絶対の正義としてみなしており、他の信仰は一切認めていない。


 必然的にこの村とは敵対関係にあり、この赤子も敵の兵士に追われて逃れて来たノイルフェール信徒なのだろう。ジェームスはそう結論付けた。


 しかし、そうだとすれば、この子の将来にはどのような試練が待ち受けているのだろうか? ジェームスの胸に不安が去来した。

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