第一章 早春の少女抄

1.シェリル・ユーリアラス

 シェリル・ユーリアラスは両親の顔を知らない。

 彼女は孤児であり、幼少時を寒村の孤児院で過ごしていた。

 そんな彼女が生きるこの世界……『ヴァストリタヴィス大陸』……には、幾つもの国が存在し拮抗している。その数ある国家群の中で西方の大国として君臨しているのが、彼女のいる『マーキュリー王国』だ。


 王国暦一七六七年……今から十七年前……の十二月二十四日。

 マーキュリー王国北方にある辺境の寒村『ウーラニアー村』の教会の前に、彼女は籠の中で置き去りにされていた。

 産着に包まれ『シェリル』と書かれた紙、そして銀色に光る天使をかたどったペンダントが添えられた状態で。


 以来彼女は、この教会の司祭ジェームス・ユーリアラスの下で育ってきた。

 ジェームスが、捨て子のシェリルを保護した日……十二月二十四日は……『ノイルフェール神』の一柱『地母神ソフィー』が地上で営むあまねく命を守るために『魔神を封じ神界に隠れた日』とされている。


 心優しき『ノイルフェール教』の司祭ジェームスを父親代わり、同じく教会に住まう修道女エミリーを母親代わりとして、司祭の子らしく質素な生活の中『ノイルフェール神』を信じながら幼女時代を過ごしてきた。


 彼女を特徴づけるのは、何といっても桜の花弁はなびらのような桃色の髪と同じ色の瞳だ。

 この村に司祭としてやって来る前まで、各地の教会で活動していたジェームスでも滅多に目にしたことのない色だったから、この閉鎖的で狭い人間関係で成り立っているウーラニアー村は元より、近隣付近でも、まず目にすることはないものだった。


 そんな桜の花弁はなびらのような髪を持つ彼女の存在は明らかに異質であり、この村に住まう『森エルフ族』の者たちよりも高い魔術適性があった。


 確かに神学的物質『アイテール(魔素マナ)』の存在が日常的になった今では、それを用いた『無等級の生活魔術』は誰でも使える。

 しかし『第一等級以上の魔術』の適性を持つ者は、非常に希少な存在であり、生まれながらに『魔術』の適性を持つ人間は王国の貴族以外存在しないのがこの世界の常識だ。


 彼女の奇特性がシェリルを孤高の立場へと追いやる事になり、気付けば周りには誰も寄り付かなくなっていた。

 そんなシェリルが没頭したのは、魔術や歴史書を読み漁ること。

 教会内に置かれた古い魔術書を持ち出しては読み漁り、村外れの誰もいない荒地で様々な系統の第一等級魔術の練習を繰り返す毎日を過ごしていた。


 そんなウーラニアー村にある時、王都バーニシアから一人の青年が医師としてやってきた。


 レイモンド・ドレッドノート……自らをそう名乗る青年は、王国の魔術騎士団で治癒師ヒーラーとして所属していたと言う。

 隣国ジール王国との国境を巡る紛争で戦場の悲惨さを目の当たりにした彼は、職を辞し、神学校に入って聖魔術を学び、今は治癒師ヒーラーとして、ジェームス司祭を頼りこの地にやって来た。


 レイは、いつも一人で魔術の練習をしているシェリルに、興味を持ち、自分が知りうる知識や技能を授けた。もちろん、幼く魔力量も少ないシェリルがレイと同じように魔術を行使できることはできなかったが、それでも幼年期に魔術の指導を受けたことは、のちの彼女の人生に大きく影響されるようになる。


 こうしてレイやジェームスの仕事を毎日手伝っていく内に、様々な系統の魔術を修得した彼女の実力は群を抜いており『ノイルフェール神』を信仰する教会の総本山『アルフォード大聖堂』が選出する『魔術師マジシャン』を目指す九年制の魔術の専修学校『ホーリーウェル魔導学院』への推薦学生に選ばれたのも当然であった。


 入学から五年。

 この冬で十七歳になるシェリルは『ホーリーウェル魔導学院』の第五年次生として、平民ながら学院の寄宿舎で生活していた。

 新年次が始まって、冬の足音がどんどん近づきつつあるこの日も、彼女はたった一人で剣を振っては身体を鍛え、詠唱を工夫しては魔術効果を高めていた。


 冷気が漂う訓練場で、吐き出す息が白く舞う。

 シェリルは自分自身を極限の状態に自ら追い込みながら、今日も一人で鍛錬をしている。そんな彼女と学内で一緒に行動する者はほんの数人しかいない。

 そう、彼女は平民であり、他の生徒は殆どが貴族階級に属しており、平民の生徒は、大商人の係累のような富裕層しかいない。このような階級社会の縮図のような学院の中で、彼女は『特別生』として在学を許されているに過ぎない。


 一頻ひとしきりの運動を終えたシェリルは、呼吸を整えると、胸元から銀色の光るペンダントを取り出し、桜色の瞳でそれを眺めた。天使をかたどった銀のペンダントはいつも彼女と共にある。天使が両手で抱くように中心には蒼く輝く宝珠が埋め込まれ、それが放つ輝きを目にする度に、シェリルは訳もなく一時いっときの安らぎを得ることが出来た。


 いつも探し求めている。

 自分自身の存在価値レゾンデートルを……この世で生きる意味を


――わたしは拾われ子……

  貴族の子でも、裕福な家の子でもない

  だからもっと頑張らないと!


 だからこそ彼女は必死に生きている。

 必要以上に侮られまいと、上級学年の生徒でも解けない魔術式を解き、日々図書館の蔵書を読み漁っている。

 せめて学業の面では、誰にも負けまいと、貴族社会の常識ともいえる『社交』には何一つ興味を示さず、流行のファッションにも無頓着で修学に明け暮れる毎日であり、目元を隠すためか、前髪を垂らした上に視力が悪い訳でもないのに大きな黒縁の眼鏡を掛けている。

 その結果、付いた綽名あだなは『図書館の魔女』だ。


――何とでも呼べばいいわ

  今は他人ひとに嗤われる醜いアヒルの子でも、

  いつの日か、天を舞う白鳥のようになればいいだけ!


 こうしてシェリル・ユーリアラスは、今日と言う日を必死に生きている。


 自分はいったい何者で何ができるのか?

 いったい何のために生まれてきたのか? 

 何故、今を生きているのか……?


 その答えを求めている。前だけを見て走り続ける。

 彼女の動きに合わせ桜色の長い髪が冷え切った虚空を舞う。


 その時、空を模したかのような蒼い光が僅かに煌めき、それまで黙々と木剣を振っていたシェリルは、ハッとなって周囲を見回した。


「……誰?」


 度の入っていない眼鏡を前髪ごと持ち上げてずらすと、大きな桜色の瞳が姿を見せる。その瞳は素早く虚空を彷徨さまよい、人影を探すが、彼女の視界には何者も映すことはできなかった。

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