プロローグ

 これから、とある一人の女性の話をしよう。


 世が平らかであったなら、彼女は一人の女性として、ごくありふれた生涯を過ごし、歴史に名を残すこともなく一人の民草として大いなる歴史の波に飲まれ泡沫うたかたに消えていったことだろう。

 しかし運命は、その少女を捨て置くことは許さなかった。

 多種多様な生物がひしめき合い、過酷な生存競争を繰り広げられている、この星に生を成したときから……




 我々が住まう地球と同じ質量を持つ碧き星、惑星『アナトリア』。

 かつてこの世界は滅亡の危機に陥っていた。五千年前の事だ。

 後に『悪魔の一ヶ月』と呼ばれる未曾有みぞうの大災害がこの星に巻き起こった。

 その災害は、人類を始めとしたこの星に住まうあまねく動植物に甚大じんだいな影響を及ぼし、劇的な環境変化で、文明はもとより、多くの生命いのち、多くのしゅうしなわれた。


 今に至るまで五千年。気の遠くなりそうな時を経て、人類はようやくかつての文明世界を取り戻したが、それでも『悪魔の一ヶ月』は世界の混迷を告げる前奏曲プレリュードとして歴史に刻まれている。


『悪魔の一ヶ月』で発生した大規模な津波・地震・噴火・岩盤の崩落・土石流や火砕流は大地を大きく変容させ、人間族ヒュームが今まで接したことのなかった神学的物質『アイテール』……俗称『魔素マナ』……の発生を見るに至り、人類は新たなる存在と邂逅かいこうすることになった。


 脅威として。


 童話や神話、はたまた空想物語で扱われていた『亜人種』や『魔物』……決して交わることがなかった存在が突如として現実世界に姿を現したのだ。

 亜人種や魔物との力の差は歴然であり『万物の霊長』として世界に君臨してきた『人間族ヒューム』が、一転して狩られる獲物になってしまった。


 この結果、人間族ヒュームの生存圏は、今まで以上に脅かされるようになったのだが『アイテール』の存在は、同時に人間族ヒュームにも大きな変化をもたらせていた。


『アイテール(魔素マナ)』を媒体として火を起こしたり水を湧き出させたりする技術……すなわち『魔術』……が誕生し、その『魔術』を行使できる存在……『魔術師マジシャン』……が歴史に登場するようになる。


 この世界で『魔術』は『魔法』とは違う。

『魔法』とは『魔術』では到達できない神秘であり、その時点における世界の文明の力では、いかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な『結果』をもたらすものを指すからだ。

 それこそ『奇跡』や『神の御業』と呼ばれるようなものだ。故にこの世界に『魔法使いメイジ』は存在しない。

 上級の魔術を操れる者に『上級魔術師ウィザード』の称号が与えられるばかりだ。


 それでも、亜人種や魔物が跋扈ばっこするこの時代を生きる人間族ヒュームにとって『魔術師マジシャン』は、肉体能力的に他の種族に圧倒的に劣る人間族ヒュームが、唯一対抗できる存在だった。

 火・水・土・風・光・闇などの属性を持つ『魔術』を振るい、それらを持たなない数多あまたの人間たちを導く存在として、彼らは活躍していた。その姿は、いつか再び人間族ヒュームに春が訪れることを信じるに足る存在に見えた事だろう。


 こうして『魔術師マジシャン』は、人々からの支持を受け集団のリーダーとなっていく。

 生活圏を脅かす『魔物』を駆逐し、かつての勢力を取り戻すことは、人間族ヒュームにとって悲願でもあったからだ。

 以来五千年。

 この地に住まう人間族ヒュームは、『上級魔術師ウィザード』と『魔術師マジシャン』を中心とした貴族社会を形成し、立憲君主国家である『マーキュリー王国』を建国し、『亜人種』との対立や和解そして融合を繰り返し今に至っている。

『悪魔の一ヶ月』で荒廃した世界で、迷える人々を導いたという二柱の神『天空神テリー』と『地母神ソフィー』を総称する『ノイルフェール神』の教えと祝福を信じて。


 そして今、このマーキュリー王国では、『ノイルフェール神』の導きに従い、混迷の世界で人々を率いた『魔術師マジシャン』の子孫は『貴族』として遇されており、それ以外の者は『平民』と呼ばれるようになっている。




 そんな『魔術師マジシャン』達の末裔が通う魔術の専修学校に『彼女』はいた。

 彼女の名前は『シェリル・ユーリアラス』。

 彼女は何時どこで生まれたのか、この世界に生きる者は誰も知らない。


 彼女は『孤児』として、『マーキュリー王国』の北部にある寒村『ウーラニアー村』の教会前に捨てられていた。産着に包まれ『シェリル』と書かれた紙が添えられた状態で。

 雪の降る王国暦一七六七年十二月二十四日の事だった。

 この日はマーキュリー王国で信奉されている『ノイルフェール神』の一柱『地母神ソフィー』を祝う『光明祭ソフィスミゼ』が行われる。

 この夜……赤子の彼女は、その後に訪れる運命を知ることなく、籠の中でひたすら泣き続けていた。


 鳥のような羽を背中に持ち、光輝く銀色の天使をかたどったペンダントとともに。



 後に『天空の聖女セインテス』と呼ばれ多くの人々からの慕われる存在となるシェリルではあったが、この世界に名を記した時、世界はまだ彼女を受け容れることができなかった。

 そして彼女自身、自分自身を理解できていなかった。


 自分はいったい何者で何ができるのか?

 いったい何のために生まれてきたのか?

 何故、今を生きているのか……?


 漠然とした疑問と不安を抱えながら、シェリルは今日と言う日を生きている。


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