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 中学二年生にして恋人の出来てから、およそ五年間に亘り、私の人生はきわめて緩慢に、自分でも知覚しえないほど緩やかに老衰していった。

 彼女との交際は半年ほど順調に続いたが、彼女が高校へ進んでからは逢瀬の頻度も減少し、いわゆる自然消滅的な結末と相成った。私にとっては唯一の彼の形見である避妊具は、結局使われないまま、気づけば何処かで失くしてしまった。

 中学最後の春夏秋冬は彼が現れる以前の如く、ただ静かに経過してゆき、翌四月、彼女のとは違う高校へ入学した。元来皆無であったような軽薄な人脈がすっかり消え去り、また同じような三年間の過ぎることが容易に予感された。そうしてそれは果たして、現実のものとなっていった。私は教室では浮かず沈まず、誰に対しても温和な人物と称された。ただし、私は青く、若かった。夢希望の類など持ち合わせてはいなかったが、願えば大抵のことには手が届きそうな気もしていた。日常は刻一刻と鈍色を呈し始めていて、それに気づかないでもなかったけれど、そんなものを直視していても全然平気だった。

 学び、騒ぎ、威張り、笑った。その全てがもう、それまでの私の経験とは比べ物にならぬほど現実としての肌温度をもっていて、物質的だった。軽やかで、倦疲など意識にも入らぬような、透き通った日常が延々と続く。不思議なことに私は、これらの日々を描写する術を知らないし、どうしてか描写する気にもなれない。香草ハーブの微香が初夏の青空に漂っているような幻覚だけが、今や唯一つの実感として記憶にこびりついている。

 そんな息切れした万能感が青春と呼び習わされることに気づかないまま、高校も卒わり、私は終に十八になった。

 見えてはならぬものが見え始めたのも、実はこの頃──否、それはそもそもの初めから私の身辺に付き纏い、新鮮な感性を奪い続けていたのであろう。ただ私が、自然に目を逸らし得ていただけで。

 ここまで来てようやっと理解したのであるが、私の生命は常に感性のはたらきに依って張合いを保っていたのであって、私は、感性によって現実を視て、理性のうちに生きるという、世人が当然に行っている生活の方法を知らなかった。理性的に自己を現実へ映し、それを、まこと自然に呑み込んで、きちんと感性の対応端子へ接続するような、いわゆる、きちんと役に立つ生き方なぞ、私には到底能わぬものに思われた。

 私は地元の公立大学へ入学した。幸いにも、この阿呆大学は私の鈍重な頭脳を以てしても平気で通えるところであって、新入生らが街灯に集る虫みたく騒いでいるなか、濁った眼で登下校を繰り返していた。

 もはや、何事にも興味をもてないのである。

 何か絶望すべきことがあったわけではない。私の人生は寧ろ円滑に進んできたものであろうし、私が生命を維持する限りには、この先も斯様な平地が続いていくものと察せられる。それが凡夫における全ての可能性──存在の全質量に他ならないことを、解らぬほどの阿呆ではないつもりである。だか私には、それがどうしても厭で厭で、夜な夜な呻吟し、舌を噛みちぎりたい衝動に駆られること幾多、自分でももう、どうすれば良いのか判らないでいた。

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