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 彼が私を許すことは決してなかっただろうし、私とてあの日、そんなことを期待して激昂したわけではなかった。しかし結果として、その大騒動はいじめの抑止力にもなりうる面倒事だったらしい。流石の先生も目を光らせるようになったし、彼らも飽きたのか、私には構わなくなった。

 それから卒業までの日々を、私はまったくの孤独にて過ごす羽目になったが、それは却って安楽な時間だった。私は無口になって、休み時間は読書に耽ったり、呆と校庭を散策したりした。そんな生活は少しずつ、私を無気力で怠惰な人間にした。自己主張に意味を見い出せなくなり、与えられた日課をこなすことを日常と認識するようになった。とはいえ、授業や行事においては先生が特別に配慮してくれたし、実際的な問題は何も無く、本当にただ静かに、私は小学校を卒えた。

 その後、彼らは同じ町にあった中学校へ進み、私はというと、もう彼らの顔を見たくはなく、また、両親に心配をかけるのも心苦しく、隣町の中学校へ通うことにした。幸いにも私の家はどちらかと言えば隣町に寄っていて、自転車でも問題なく通うことができた。

 隣町の学校には、もちろん隣町の子たちが沢山来ていて、私にとって居心地のよい場所とは言えなんだが、それでも私は目立たぬように努め、排斥されることだけは回避した。痛い目を見て初めて学ぶこともある。私の場合には法外に高い授業料となってしまったが、そのぶん、二の轍を踏む心配はなかった。そんなだったので、中学生の私はとかく地味でパッとせず、大人たちからすれば言うことをよく聞く真面目な子であった。面倒で部活に入ることもしなかったから何処かのコミュニティに組み込まれることもなく、ひたすら空気のような存在に成り下がっていった。

 小学校時代の半分を孤独に過ごした私は、一人でいることに、実によく慣れていた。最初こそ寂しいと思うことも多々あったが、そんなことにも慣れてしまえるのが人間である。

 私は知っていた。

 孤独と上手く付き合うには、意識をきっちりと自我の範疇に収めなければならない。

 客観視をしては駄目である。

 自分がどこにも属しておらず、今日明日消えたって悲しむのは肉親くらいのものだと思えば、それこそが哀しいのである。そんなことも認識しなければ──つまり、自分だけを見つめていれば、ただ、人生は早送りのように過ぎるだけで、私に孤独の感じを与えないのだ。

 この頃の私はもう、素朴な興味から昆虫や草花に気を取られることも無くなり、もう少し現実的な視界でもって世界を観察し始めていた。今にして思えば、これこそが悪夢の始まりであったとも思われるけれども、当時の私はそうとも知らず、少し高くなった視界から世界を眺めていた。

 私はテレビゲームの類をあまり好まず、それは、やることにはやったけれれど、割と直ぐに飽きてしまうので、そうそう頻繁にプレイしてやろうという気も起こらなかった。その代わりに私は、葉っぱの緑とか空の青とか、水の透き通った感じとか、そういうことどもに興味をそそられていた。言葉を選ばなければ変人の片鱗を垣間見せているだけに過ぎないが、当時の私は未だ中学生、いわゆる科学の子と思えば、将来有望に見えないでもなく、大人たちには褒められることの方が多かった。特に生き物を眺めているのが好きで、水を張ったピカピカの水槽に魚を泳がせておけば、それはもう一時間でも二時間でも、飽きずに眺めていられたのだった。

 そんなだったので、学校には居場所という居場所がなく、家は変わらず安楽な場所であったが少々退屈といった具合だった。

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