一章(21)
早朝、リュトは予定通り身支度を済ませ部屋を出た。まだ多くの者が寝ている時間だからと、音を当てないように廊下を歩く。エルの部屋のドアをゆっくりと開け中へ入った。ぐっすりと眠る妹の寝顔をしばらく見つめる。もしかしたら、会えるのはこれで最後になるかもしれない。別れがつらくならないようにと、エルが寝ている内に旅立つことにしたが、どうしても一目、顔を見てから行きたかったのだ。可愛い妹にも自分と同じように、本物の太陽の下を歩かせてあげたい。綺麗な青空や、大きな月と共に輝く満点の星空を見せてあげたい。エルが生まれる前に失われてしまった世界を取り戻して、綺麗な世界で生きて欲しい。リュトは名残惜し気持ちに蓋をして、静かに部屋を後にした。
門まで歩くと、スファラに加えヴォルガンら数人に出迎えられる。
「よお、よく眠れたか?寝不足で出発なんて最悪だからな」
「スファラは今日が楽しみで、夜更かししてたんだよな?」
「変なこと言わないでよ!準備してて寝るのが遅くなっただけだから。十分睡眠はとったわ」
「女の子は何かと入用なのよね」
「女の子って、スファラのことか?俺は弟だと思ってたぜ」
「あんた、そんなこと言ってるから彼女ができないのよ」
「いついかなる時も女性は大切にって、ヴォルガンの教訓を忘れたのか?」
「成功者の言葉はちゃんと聞かないとなぁ」
「そういうおまえらだって、彼女いねぇじゃねぇかよ!」
「お前ら、くだらない話はそこまでしとけ」
ヴォルガンを中心にして一列に並んだ。
「リュト、スファラ。今までこの村を守ってくれたこと、感謝する。旅に出るという選択を、俺達は応援している。困ったことがあれば、いつでも帰ってくればいい。この村は再度お前たちを歓迎しよう」
「今までこの村でお世話になったことを、私は一生忘れません。この村で教わったことを胸に、私は新しい道を歩きます。私がまたここに戻って来る時は、目的を果たし旅の報告をする時です。その時はきっと……青空の下で再び会えることを願って」
「一同、敬礼!」
見送りに来た仲間たちが一斉に礼を取る。それに応えてスファラも礼をした。
「行きましょうか」
別れを終え、仲間たちに背を向け歩き出す。門を潜れば、後戻りはできない。次にここへ来るときは、世界が元通りになってからだ。胸に決めて門を潜った時。後ろからリュトを呼ぶ声が聞こえ、二人は振り返った。
「お兄ちゃん!」
「エル……」
しばらくは合えないと思っていたエルが、リュトの元へ走って来る。先ほど確認した時は、しっかりと眠っていたのに。まさか自分が起こしてしまったのではないかと、一目会いに行ったことを後悔した。
抱きしめてと言わんばかりに手を広げるエルを、リュトは仕方なく抱きしめる。
「またお出かけしちゃうの……?」
リュトの服にしがみつき、エルが行かないでと涙を流し始めた。
「しばらく帰って来れないけど、皆がいるから寂しくないだろう?」
先日、ヴォルガンらの捜索で数日間会えなかった時に、エルが言っていた言葉だ。あの時は少し寂しさを感じたが、今はエルの成長を喜ばしく思えた。大丈夫だろ?と問うように、リュトは下を向き泣きじゃくるエルの顔を覗き込む。目が合った途端、エルは顔をリュトに押し当てた。
「やだ!お兄ちゃんがいないと嫌だもん!」
寂しがり屋だが聞き分けのいい子だと思っていたエルが、こんなにも駄々をこねる姿をリュトは見たことが無かった。村に来て以前より幸せそうに見えたものの、環境が変わって不安なのかもしれない。エルを残し旅立つと決めた決意が、少しずつ揺らいでいく。このまま村で暮らした方がいいのか。そう考え始め不意に視線がエルから離れると、今まで忘れていた周りの視線に気が付く。旅立ちを出迎えに来たヴォルガン達が、兄妹たちの話の行く末を静かに見守っている。きっと彼らは、リュトがこのまま村で暮らす選択をしても、責めたりはしないだろう。リュトは村にとって恩人であり、最高の戦力でもある。出自のせいで、まだギクシャクはしているものの、表立って追い出そうとする者はもういない。エルのお願いを叶えてあげることが、これまでのリュトにとって一番優先すべきことだ。それはこれからも変わらない。
リュトは、泣きつくエルを抱く腕を解き、その小さな両肩を掴むと、ゆっくりとエルを自分から引きはがした。想定外のできごとに、エルは泣くのを忘れ、固まった。リュトはエルを真正面から見つめ、言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「お兄ちゃんは、この村から離れて遠くへ行かないとならないんだ」
「どうして?」
「世界を綺麗にするためだ」
「エルも行く」
「駄目だ。村の外には怪物がいっぱいいて危険だから。エルも見ただろう?黒くて大きな怪物を」
「見たよ。でも、お兄ちゃんがやっつけてくれたもん。キラキラっていなくなったよね」
「そうだな。前はそうだったかもしれない。でも、次も守ってあげられるかは分からないんだ」
今までだってギリギリだった。
城では人間に命を狙われていたが、城の主だったおかげで何とか牽制できていたにすぎない。だが、その牽制もままならなくなってきて、結局は城を出ることにしたのだ。
異形の相手だって、エルと二人きりの時は苦労した。スファラがいるとしても、大型のものや大群で襲われたらどうなるか分からない。
「お兄ちゃんは強いから絶対エルを守ってくれるもん!」
確かに今までは守ってこれた。だが、これから先も守れるかと問われて、絶対と言えるような自信を、リュトは持ち合わせていなかった。
「必ず帰って来るから。それまでいい子で待っていて欲しい」
これがリュトからエルに返せる、精一杯の言葉だった。この約束さえも、果たせるかは分からない。ここから先のことは、全く想像の及ばない未知なのだから。リュトは自身の服を握り続けるエルの拳にそっと手を重ね、その手を服から剥がした。
エルは大きな瞳を見開き、信じられないと言いたげな眼差しで、リュトを見つめている。無理もない。いつもなら泣き止むまでずっと傍にいてくれた兄が、初めて自分を突き放したのだ。リュトが望みとは異なる行動を取ることが理解できないのか、泣きつくことも忘れ、呆けたように茫然と立ち尽くす。ただ涙だけが大きな瞳の淵にゆっくりと溜まってゆき、とうとう堪えきれなくななった涙が、大粒の滴となって零れ落ちる。キラキラと虹色に光輝く滴は、地へと落ちずに空中で弾けた。そして、奇跡が起きた。
リュトの前に神が姿を現したのだ。白く長い髪と虹色に輝く瞳。背はリュトよりも少し高い。
「嘘……」
すぐ傍でスファラが息を呑む音が聞こえた。どうやら神が見えているのはリュトだけではないようだ。ヴォルガン達も驚愕の表情を浮かべているのを見れば、聞かずとも分かった。
周囲の反応など気にもせず、神は話し始める。
「前に一度紹介してもらったけれど、お互いの顔を合わせるのは初めてになるね。こういう時は始めましてでいいのかな?私のことは覚えているかい、リュト」
「***」
リュトは昨日エルから聞いた名前を答えた。
「覚えていてくれたようだね。リュトとはこれから仲良くしたいと思っているんだ。その為にお互い名前で呼び合うのがいい」
どう答えていいのか分からず、リュトは黙ったまま***を見た。
「ねえ、リュト。さっそく提案なんだけれど、エルも一緒に連れて行ってくれないかい?もちろん私も一緒に行くよ」
「あなたには、この村でエルを守って頂きたいのだが」
「確かにそれも悪くないと私は思うよ。でもね」
***がリュトに近づき、耳打ちをする。
「きっとエルはリュトを追って村を出てしまうだろう。そして、私にはそれを止めることはできない。もちろん持てるすべての力でエルを守るけれど、見ての通り私は不安定な身だ。必要な時に必ず動けるかは、約束できないよ?」
「俺を脅しているのか」
神はリュトから離れエルの後ろに立った。
「まさか。私はただ、リュトといる方がエルは安全だと言っているだけだよ」
ねー、とエルに同意を求める姿は、優し気な兄のように見えるが、耳元で囁く声は鋭く冷ややかだった。
神話には、神は魔に対して絶対的な力を持っていたと書かれていた。聖力の魔力に対する有効性を身をもって感じているリュトは、その話が本当であると理解している。だが、***の言う不安定というのも気になるところだ。もしかすると***は今、聖力を自由に使うことができないのかもしれない。
それともう一つ気になるのが、実体の有無だ。***は実体のない存在だと思っていいたが、今は見ることも触れることもできる。有り無しを自身でコントロールできるのであれば、初めに姿を現していた筈だ。つまり、姿さえも自由が利かないのだろう。確かに、任せておくには些か心配事が多すぎる。急に消えてしまうことも十分あり得るのだ。
「では、俺に旅立つなと言っているんだな」
「そうではないよ。エルと一緒にいて欲しいと言っているんだ。それがエルの望みだからね。私は最大限エルの望みを叶えてあげたいんだよ。旅に出ることには大賛成さ」
「エルを連れて危険な旅には出られない」
「危険とは、異形のことを言っているのかい?それとも人間かな?異形は私の得意分野だ。私が傍にいれば、だいぶ楽に立ち回れるよ。人間は、君の得意分野だろう?」
「君に旅立たないという選択肢はないと思っていたよ。迷っているのがエルの為だと言うのなら、勘違いもいいところだ。エルの一生を、狭い城と小さな村で終わらせる気でいるのかい?」
「そうしない為に旅立とうとしていたんだ」
「世界を元に戻したいのなら、神聖力が必要不可欠だ。そして、神聖力が使えるのは神子のみ。リュトがやろうとしている事には、神子であるエルが必要なんだ」
なぜ***が旅の目的を知っているのかと思ったが、後の言葉の方が気になった。まるで世界を元に戻す方法を知っている様な口ぶりではないか。
リュトは少し考え、答えを出した。
「わかった。エルも連れていく」
苦渋の決断ではあった。だが、これが最善だと信じて進むしかない。リュトには元より、選ぶ権利などなかったのだ。旅に行くと決めた時から、エルの同行も既に決まっていたのだから。
リュトは、おいでとエルに左手を差しだす。差し出された手と、エルは右手を繋いだ。
「また沢山歩かないといけないぞ。それでもいいのか?」
「うん!お兄ちゃんと一緒なら、エルはどもまでだって歩いて行けるよ」
最後の心配事を口にすれば、頼もしい言葉が返ってきた。
もう何も言うことはない。リュトはエルとの旅の計算を始める。
「そうだ、レジスタンスのリーダーさんに、特別なお守りを上げよう」
「私にですか?」
「ああ、君にだ」
神はヴォルガンに聖石のペンダントを渡した。
「これはスファラの物だと記憶しておりますが……」
「スファラがエルに渡した物だね。それを今度は私から君に渡したんだけれど。ダメだったかな?」
ヴォルガンがスファラに視線を向けた。神もスファラを見る。
「駄目なんて、そんなことありません。あのペンダントが神の役に立つというのであれば、これ以上嬉しいことはありません」
「私のと言うよりは、リーダーさんのだね。そのペンダントの聖石に私の加護を与えたから、肌身離さず持っていて欲しいんだ。リーダーさんを魔から守ってくれるだろうから。リーダーさんは、その分村の皆を守るんだよ」
「より一層、村の意維持に力を入れて参ります」
行ってきますと、エルが元気よく言った。笑顔で手を振るエルに、見送り人も手を振り返す。
村の門を三人が並んで抜けた。
リュトに手を引かれながら、エルは段々と遠くなる村へと、影が見えなくなるまで手を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます