一章(20)
夜、皆が寝静まった頃に、リュトは外へと出た。昼間は太陽の役目を果たす聖具は、夜になりその姿を月へと変えている。
星のない空を見上げ、リュトは先ほどの会議でのやり取りを思い出した。
アジトを出る際、夜間番の受付に少し出てくると話しかけた。ただそれだけで嫌そうな顔をされてしまった。
単に手間のかかることが嫌だったのか、相手がリュトだったからなのかは分からない。
もしもここで暮らすのであれば、できるだけ村人とはいい関係でいなければならないと思う。その為には、理由が後者である場合、今後どうすればいいのか考える必要があるだろう。
リュトは広場のベンチに座り、目を閉じて風を感じた。現実は昼も夜も同じ風が吹いている筈なのに、夜の風は少し涼しく感じる。
風に舞う髪を整えようと、いつものように手を伸ばしたが途中で止める。長かった髪は、会議の後ルーシャに短く切り揃えられ、邪魔になるような長さではなくなったのだ。
この数日で、また多くのことが変わってしまった。リュトはその波に呑み込まれないように、必死になって自分の道を探した。
以前は幼かったこともあって、流されるままになってしまった。
城に閉じこもって、何年も時が止まったように同じことを繰り返す日々。当然、自分の意志などなかった。気づけば同属の思い描く自分を演じることしかできなくなり、そこから逃れようなどと思いもしなかった。
過去のリュトがそうであったように、一度流されてしまえば簡単には戻れない。
最終的には自分の道を選ぶことができたが、それでも数年もかかってしまった。
だからこそ、リュトは過去に縋るのではなく、他者に委ねるのでもなく、自分で選択すると決めたのだ。
そして次の道へと辿り着いた。まだ歩き始める前ではあるが、リュトの脳裏には目指すべき未来がしっかりと浮かんでいる。
青い空と緑あふれる大地。薄れつつある記憶の片隅にある、数年昔は確かに存在した景色を、もう一度取り戻したい。
リュトが旅に出ることを決意した、最大の目的だ。
冷たい夜風に防寒もせず体を晒していると、誰かがそっと布を掛けてくれる。
「砂漠の夜は冷えるから、あまり外へ出るのはおすすめしないわよ」
振り返るリュトの横へ、スファラが腰掛けた。彼女も同じ布を羽織っているが、それでも寒そうに体を抱きしめている。
「こんな世界でもか?」
リュトはなんとなく聞き返してみた。何もかもがデタラメな世界で、過去の当たり前を耳にすることに、懐かしさを感じたからだ。
「こんな世界でもよ。世界の常識を忘れてはいけないわ」
「この世界ほど非常識なものは無いと思うが」
「今はまだね」
リュトは目を閉じ、口元を緩ませる。
「常識ある世界を取り戻しに行くんでしょ。それなのに常識を忘れてしまったら、後で苦労するわよ」
「確かにな」
しばらく二人は静かに笑い合う。
落ち着いた頃、スファラが意を決したように口を開いた。
「私も行くわ。あなたには仲間を助けてもらった借りがあるから、それを返したいのよ」
リュトは少し考えてから答える。
「それなら、この村でエルが安心して暮らせるように見てやってくれ」
「村の人は私がいなくても、エルちゃんのことを大事にしてくれるわ。神子様だし、神様だってついているんだから。無下になんてできるはず無いわよ」
「あんたは俺と年が近いから、エルも安心できると思ったんだ」
「ルーシャさんの方が懐かれてるでしょ。任せるならルーシャさんの方が適任よ。だから私は……」
「俺の問題だ。あんたには関わって欲しくない」
リュトはスファラの申し出をハッキリと拒絶した。その際に思いがけず大きな声が出てしまい、驚いたスファラが目を丸くする。
大きく見開かれた瞳は、次に拒絶されたことを理解すると、細められ怒りの色を浮かべた。
「あなただけの問題?それって世界がこうなってしまったことうを言っているんだとしたら、馬鹿なことを言うのは止めて」
スファラは立ち上がり、リュトの前に立った。
「世界はそこに生きる皆のものよ。だから、この世界のことは皆で考えないといけないの」
「俺の身内のせいで世界が壊れたんだ。俺が何とかするべきことだろう」
「そうね、あなたには責任を取ってもらわなくちゃいけないわね。でも、あなただけでやる必要なんてないでしょ」
リュトは黙って俯いた。その横にスファラはもう一度腰を下ろした。
「あなたは強いから、私がいると足手纏いかもしれない。でも、それは戦闘に限った話よ。世界を元通りにする手がかりは、異形を倒すだけでは手に入らない。人に聞いたりして情報を得ないといけないわ。そうなった時、あなただけで何ができるの?この世界のことを何一つ知らないあなたが、どうやって情報を集めるの?私ならどこに街があるかも知っているし、街ごとの特徴だって知ってる。ここから一番近い街へはどうやっていくか分かる?辿り着くのにどれくらいかかるか知ってるの?その街がどんな街かなんて、あなたは知らないでしょう?」
自分の価値を示し、意地でも着いて来ようとするスファラを、本当は止めたかった。彼女を危険な目に合わせたくなかったのに。
でも、リュトにそれを強要する権利はなくて、決意の固いスファラを村に留めて置くことは、どうもできそうにない。
「どう?私を連れていく気になった?」
「確かに、あんたがいた方がいいかもな」
リュトは折れるしかなかった。疲れた顔でため息を漏らすリュトに、スファラは満足げに微笑んだ。
「あんたじゃないわ、スファラよ。これから一緒に旅をするんだから、名前くらい覚えてよ」
「……わかったよ」
やれやれと、リュトも笑う。
「ちゃんと名前で呼ばないと返事しないから」
「わかったよ、スファラ」
「うん、リュト。これからよろしくね」
人口の月が照らす寒空の下で、二人は本当の仲間になった。
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