一章(19)
各々が席につき会議が始まる。メンバーは初日に顔を合わせた者たちだ。
「では、遠征報告会議を始める」
ヴォルガンが口を開くと、皆が口を閉ざしヴォルガンを見る。
ここへ呼ばれたのは遠征の英雄としてだったはずで、報告会だとは聞いていない。また面倒な質問攻めに会うのかと溜息をついたが、不思議と前ほど不快感は無かった。
「と言っても、今回の件にはここにいる全員が関わっているから、遠征については報告をするまでも無いんだがな」
ヴォルガンは困り顔で笑った。
そんな今さらなことを開始早々言い出すのならば、招集前にもう少し理由を考えるべきだろうに。他のメンバーも苦笑しながらヴォルガンの話を聞いている。
「それと、話し合いを始める前に俺達からリュトに話がある」
いいか?と聞かれ、また不躾にと思いはしたが、嫌だとは答えなかった。同意を示すと、ヴォルガンは他のメンバーに目配せをする。
何が起きるのか分からず様子を窺っていると、全員が一斉に立ち上がり、自分に向かって頭を下げた。
「今回の遠征はリュトがいなかったら成功は愚か、ここにいる大半の者は生きてすらいなかっただろう。本当に感謝している」
頭を下げたまま誠意を込めた言葉で感謝を伝える姿に、いつかの騎士を重ね見る。
主に頭を下ることは騎士にとって当たり前だった。かつての自分は、常に敬意を示され敬われる存在だった。
だがそれは、リュトが王族だったからに過ぎない。ただのリュトして感謝されるのは初めてのことだ。胸の内がじんわりと熱を持つ。
「だと言うのに、帰還早々に仲間が無礼をしたそうだな。すまなかった」
感謝の次は謝罪と、頭を下げることに忙しいやつだな。
例え一時の間でも城の主であったのだ、人の上に立つと面倒事が多いことはリュトもよく知っている。抱える人が多ければ多いほど、足並みが合わず苦労するだろうし、今回のように意思の合わない行動をする奴が出てくるものだ。
だから許すというわけではないが、責める気もなかった。
「この世の中では、あれが普通なんだろ。その度頭を下げるつもりなのか」
リュトの言葉に、ヴォルガンが表情を固くする。
「確かに、俺たちは教会の言葉を信じて生きてきた」
教会の言葉とは、皇族が罪人である、赤毛は悪魔だ、などと言ったことだろう。罪人や悪魔を嫌悪するのは当たり前だ。
「だが、リュトを見て考えが変わった。魔力崩壊を起こした皇帝が罪人であることは、変えようのない事実だ。しかし赤毛が悪魔かどうかは、決めつけに過ぎない。俺が知る赤毛はリュトだけだ。俺にはリュトが悪魔には見えないんだがな」
ヴォルガンに、違うのか?と冗談めいた表情で聞かれ、軽く首を振る。
「さあ、俺に聞かれても困る。なんせ、悪魔だと言う奴に会ったことが無いからな。自分が悪魔かどうかなんて調べようがない」
「それはそうだな。悪魔を見たことが無いのに、悪魔かどうかなんて分からんだろうな」
ヴォルガンが笑った。その様子に不安げに成り行きを見ていた他の団員は、安堵し頭を上げた。ヴォルガンが席に座り、全員がまた席に着いた。
「それで、今回話し合う内容は、街の変異だ。俺たちが遠征に出ている間に、神聖樹が活性化したことは知っているな?」
「ああ、知ってるぜ。こないだまで枯れかけてたってのに、さっき見たら緑の葉がいっぱいで驚いたってもんよ」
「心なしか空気も澄んでいるように感じたわ」
「そうだな。そう感じる者は多いようだ。それと関係しているか分からないが、一部の魔力病患者の様態が良くなったそうだ」
「それが本当なら、神聖樹が活性化したことによって、周囲の魔力が浄化されているってことじゃないかしら」
「十分にあり得る話だ。神話では魔を取り込み聖へと変えると記されているからな」
「神話と言えば、神聖樹に実がなっいましたよ。ルーシャさんが、切って持ってきてくれるって言ってましたけど」
何者かがドアをノックした。丁度話が出たところで、ルーシャが切り分けた神聖樹の果実を持ってくる。
失礼しますと声がしてドアが開けられた。ワゴンには人数分の皿が乗せらている。その上に載った薄桃色の物が、例の果実なのだろう。切り分けられたうちの一切れが一枚の皿に乗せられていた。
目の前に置かれたそれを、じっくりと観察する。
串切りにされた果実は瑞々しく、桃色の皮が薄桃色の果実に張り付いたままの状態だ。果実特有の蜜のような甘い香りが鼻をくすぐる。果実などもう随分と見たことが無かったが、記憶にある果実となんら変わりないように感じた。
ここにいる者は成人しており、16歳以上だと聞いている。つまり魔力爆発以前の生まれだ。過去では一般的に普及していた果物を一度くらいは食べたことがあるのだろう。
彼らの果実を見る目は、初めて見る物への驚きと言うよりも、懐かしい物を久しぶりに目にした感動に近かった。
「これが神聖樹の果実か」
ヴォルガンが落ち着きのある声でつぶやいた。
「さしずめ禁断の果実ですね」
フェルは興味深そうに眺めている。
「聖書によると、善人が食せば祝福が与えられ、悪人が食せば身を焼かれるそうよ」
アシエが相変わらずの無料場でロッシュを茶化す。
「おいおい、一気に食欲が失せるじゃなーか!」
ロッシュが果実を遠ざけるような仕草をし。
「確かに。いつも悪戯ばっかりしてるもんね。食べない方がいいんじゃない?」
スファラが笑いを堪えながら言った。
「マジ?」
イバルが心配そうに果実を見つめる。
「冗談よ。大丈夫なんじゃないの?だぶん」
視線を感じそちらを見れば、何か言いたげに俺を見ているとティヌと目が合が、すぐに反らされた。
悪人が食せば身を焼かれる……か。
聖書に書かれたできごとが現実に起きているのだから、逸話だと一蹴することができないのは皆同じようだ。その中で一番悪人としての可能性が高い俺を気にするのは当然のことだろう。
その視線が心配なのか侮蔑なのかは分からないが、もしかすると、同じ物を食べた人間が焼けるかもしれないのを恐れているのかもしれない。
自身が焼けるかどうかも半信半疑だというのに、人の心配ばかりしても何の意味もないというのに。
「さて。俺はそろそろ腹を括ろう」
ヴォルガンが果実に手を伸ばした。
「俺はお前たちに無理に食べろとは言わない。だが、この果実は今後この村の貴重な食料になり得る。安全性が認められれば、村人全員で分け会えるはずだ。今回はその検証で、毒見のようなものだな。試す人数が多いほど、安全性の確証が得られる。例え聖書の記述が正しかったとしても、ここにいる全員が悪人なんてことは無いはずだ。残ったものが多ければ安全。少なければ、その後考えるとしよう」
全員が目の前の果実と向き合う。
「誰が残っても恨みっこなしってことですね」
フェルが果実を手に取った。
「あんただけ焼けたりしてね」
アシエは果実の乗った皿に手をかける。
「俺ほど純粋な人間はいないだろ?もちろん俺もたべるぜ。久しぶりの御馳走だ。食べないで死ぬよりは、食べて死にたいよな?」
ロッシュはヒョイと果実をつまんだ。
「死にたくはないけど、私も食べるわよ」
スファラが決意した目で果実を手にする。
「俺もとりあえず食うよ」
イバルは怖々果実を持ち上げた。
「リュト。お前さんはどうする?」
ヴォルガンが問う。同情も侮蔑も感じられない眼差しで、他の仲間と同様にリュトに意見を求めた。
「せっかくの機会だ、頂こう」
全員が食べると決断をし、果実を皿から持ち上げた。
「この度の遠征成功を祝して」
皆がヴォルガンの掛け声と共に口を開く。
『リザの大地に光あれ』
リュト以外の全員が果実を口にいれた。遅れてリュトも果実を口に放った。
すると、すぐに痛烈な苦みが舌を襲う。吐くほどではないにしても、とても食用にはならない味だった。他に食べ物があるのであれば、無理をして食べる代物ではない。
かといって口に入れた者を出すわけにもいかず、リュトは気合で飲み呑んだ。
「美味い!」
苦しさを堪え俯いていたところへ、唐突に聞こえてきた歓喜に顔をあげる。
「なにこれ!すっごく甘いわ」
「生きている内に、こんなものが食べられるなんてなぁ」
「まさか、これほどの美味しさだとは思わなかったわ」
「美味すぎて泣ける……」
リュトとは真逆の感想に、耳を疑った。これが上手いのか。リュトには苦みしか感じられなかったが、他の者には甘かったようだ。
元は一つの果実を切り分けただけのもの。本来ならそこまで味の違いが出るはずはない。もしかすると、食べた者によって味の感じ方が違うのだろう。
これが聖書に書かれていた、善人と悪人の差か。記述のように焼け死にはしなかったものの、苦みを感じたのは俺が悪人だからなのだろうか。
そこで気になったのが、ヴォルガンの反応だ。甘いのなんのと騒いでいる中に、ヴォルガンは含まれていなかった。気になり様子を窺うと、茫然とした表情で咀嚼を繰り返している。
あの大口でまだ果実を味わっているのは少し妙だ。果実を食している筈なのに何の反応も示さないのも不気味に思えた。
甘さに頬が緩むでもなく、苦さに顔をしかめるのでもない。ヴォルガンはこの果実の味をどう感じているのだろうか。
周りの空気が少し重たく感じ、高濃度の魔力場に似た歪みが視界に混ざる。
「お頭、なにしけた面してんですか?」
ロッシュに声をかけられ、ヴォルガンに表情が戻った。同時に感じていた重たさや歪みも消える。
「……あまりの美味しさに感動して言葉が出なかったようだ」
苦し気な言い訳のようなセリフだったが、仲間たちはヴォルガン変化に気づいていない。
「そこまで驚くなんて、大げさですよー」
「そんなことないわ。ヴォルガンはずっと苦労してきたもの。これから村の皆がこんなにも美味しい物を食べられると分かって、感慨にふけっていても可笑しくないじゃない」
「お頭は村の代表として、思うところがあったのね」
「そうだよな。長い間、村で育てられる最低限の物しか食べられなかったんだ。もちろん、食べられるだけ満足しなきゃいけねぇことは分かってる。でもよ、たまに思っちまうんだ。あの頃はもっと美味いもんがあったなぁ……てな」
「そう考えれば、感動しない私たちの方が薄情なんじゃないの?」
「俺は感動したから美味いっていったんだよ」
「年の差もあるかもしれないわね」
「俺が年だって言いたいのか?」
「冗談よ」
「責任感の差かもしれないわ」
「要するに、お頭は最高のお頭ってことさ」
笑い合う仲間たちの輪に、ヴォルガンも溶け込んでいる。先ほどの妙な気配も消え、今は普段通りに戻っていた。
空いた皿を片付けルーシャが去って行くと、ヴォルガンは真面目な顔つきで訪ねた。
「リュト。お前さんはこれからどうするんだ」
自分が生まれてから、身の振り方をずっと考えてきた。
ある時は皇子で、ある時は大罪人の生き残り。最近では悪魔と言われる存在だ。
どうするかなんて考える暇もなかった。
これまで流れに身を任せ生きてきたが、たった一人の大切な妹だけは譲れなかった。それ以外はどうでもよくて、自分がどうするか決めるのは、いつもエルの為だった。
今もそのことに変わりはない。ただ、これからすることはエルの望みではなく、自分の理想のためである。結果は当然エルのためになることだ。
「旅にでようと思う」
リュトの答えに、ヴォルガンは瞳を少し大きくさせる。
「随分と急だな。お前さんは妹と安全に暮らせる場所を探してたんじゃないのか」
「そうだぜ、兄ちゃん。外をうろつくよりも、この村にいた方がずっと安全だ。なんでまた、旅に出ようなんて思ったんだ?」
ロッシュが、心底不思議だという風に首を傾げた。物騒な荒れ地に好んで行くような人間など、この地にはほとんどいない。もちろんリュトもそうだ。旅に出るのは、それなりの理由があった。
「もしかして、遠慮している訳じゃないわよね?」
スファラ心配そうに尋ねた。
「だったら無駄な心配だな。俺たちはもうアンタのことを仲間だって認めてる。村にはまだ文句を言う奴がいるかもしれないけど、恩人を追い出すようなマネは絶対にさせない」
イバルが真剣な眼差しでリュトを見ながら、強く拳を握り締める。
「そうよ。代わりロッシュが追い出されるから安心して」
アシエは無表情でしれっと言った。
「なんでだよ!」
すかさずロッシュがツッコミを入れる。
リュトにとって、村人に受け入れられるかどうかも一つの悩みではあった。だが、それはもう心配いらないだろう。
今のリュトには、例え英雄扱いされようとも、ここで暮らすという選択肢はなかった。
リュトは生まれて初めて、自分の意志で成し遂げたいことを見つけたのだ。
「やることがあるから旅に出る。それだけだ。村人の評判など知ったことか。悪魔でも恩人でも、好きに思えばいい」
「やることって?」
スファラが尋ねる。
「エルに本物の太陽を見せてやりたいんだ」
「それって、あの場所に行くってこと?」
あの場所とはきっと教会の最高峰のことだろう。確かにあそこは雲が裂け、唯一青空を見られる場所だと聞く。
「絶対に行けないわ!あそこに行くには、すべての神殿を通らなければならないのよ。最下層の神殿でさえ簡単には扉を開かないわ」
「そうだぞ。いくら兄ちゃんでも、天井に行くのは無理ってもんだぜ」
「諦めなさい」
「夢見るぐらいにしておけよ。正攻法じゃアンタは絶対に辿りつけない場所だ。まさか神殿相手にやり合う気じゃないよな?」
「外から行こうにも天井へ辿り着く道は限られている。高い峰の上だからな。当然、道には教会の見張りがいるだろう。もし崖の下からって言うならおすすめはしないぞ。空が開いているのは教会中心部のごくわずかな範囲だけだ。苦労した分の見返りは見込めないだろうな」
「そうよ。それにリュト一人なら辿り着けるかもしれないけれど、エルちゃんを連れていくのは無謀と言う他ないわ」
斜め方向へと勝手に話を進めていく彼らに溜息をこぼす。
「エルは村に置いて行くつもりだ。あんな狭い隙間から太陽が見えたところで、大した意味も無いだろう」
「お前さんまさかとは思うが……」
「俺は世界をあるべき姿に戻す」
「そんなことができるの?」
「さあな。でも、父上……皇帝が変えた世界だ。血縁じゃの俺がどうにかできる可能性はないとは言えないだろう」
「あれからもう十年も経つが空は相変わらずだ。教会のお偉いさんでもできないことを兄ちゃんがやっちまったら、そりゃ凄いことだぜ。英雄になれちまうな」
罪人の生き残りが英雄になるなんて、狂った世界だ。
「お前さんのやろうとしていることは良く分かった。しかし、よく考えろ。もしかすれば二度と妹に会えなくなるかもしれんぞ」
「覚悟の上だ」
リュトはじっとヴォルガンを見つめた。
「そうか。ならば俺が言えることはもうないな」
ヴォルガンが深く頷く。
「俺たちはお前さんが英雄であろうとなかろうと、この村でお前さんの帰りを待っているからな。疲れた時は遠慮なく帰ってこい」
「気が向いたらな」
皆が笑顔の中、温かな雰囲気で会議は幕を閉じた。
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