日本昔話「ファラオの茹で卵」

ゴオルド

ずっといっしょ

「エジプトに詳しい日本人といえば誰?」そう質問されたら、たいていの人が思い浮かべるヒゲのおじさんがいるでしょ。あのおじさんが監修したエジプト料理本があるのよ。もう絶版になってるんだけどね。「ファラオの茹で卵」のレシピはその本で見つけた。ファラオってのはエジプトの王様のことね。なんでも卵とタマネギの皮を一晩ぐらい一緒に煮てつくるらしいんだわ。長時間煮ることでとろとろで美味しい茹で卵になるんだってさ。支配者が召し上がるのにふさわしい茹で卵ってわけ。私はこのレシピを図書館で読んで、断然食べてみたいと思った。だって考えてもみてよ、もし私みたいな庶民が古代エジプト生まれなら、そんな贅沢はできない。でも令和の日本。やろうと思えばできるわけでしょ。古代の王様と同じものを食べられるだなんてすっごく贅沢な気分じゃない?

 しかし、貧乏独身女性の私にはガスを一晩つけっぱなしにする余裕はない。だから、お正月休みに祖母が温泉旅行に行くとかで一軒家の留守番を頼まれたとき、私はファラオの茹で卵を作るチャンス! って思ったんだ。



 祖母を見送った後、私がまっさきにやったことは家中の電気を消して、暖房をとめることだ。これから一晩ガスを使わせてもらうわけだし、さすがに罪悪感がある。せめて節電くらいはしようと思ったんだ。

 寒いのでコートを着て、私はさっそく作業に取りかかった。卵は持参した1パックを贅沢に全部使っちゃう。タマネギの皮と一緒に茹ではじめた。ただいま時刻は午後7時すぎ。明日の朝にはファラオの茹で卵が出来上がっているってわけだ。楽しみでしかたがない。


 午後11時を過ぎた頃だった。ドンドンと玄関を叩く音がした。こんな夜遅くに誰よ。面倒だし無視しちゃおっかな。でも留守番を任されているわけだし、そういうわけにもいかないか。私はコートの前をしっかり合わせて、玄関へ向かった。

「もう、こんな遅くに何ですか」

 ドアの向こうに尋ねたけれど、相手は黙っている。変だな。私はそっとドアを開けてみた。そこには細身のイケメンと妊婦さんが立っており、月明かりで照らされた顔に思い詰めたような表情を浮かべていた。

「誰……」

「うぉりゃー!」

「ダーリン~!」

 いきなりイケメンがタックルしてきた。妊婦がなんか叫んでいる。

「何、ちょっと。え、待って、勝手に入らないで!」

「それ、今だー!」

「ダーリン~!」

 イケメンと妊婦は勝手に上がり込んで、台所のほうへと走っていった。一応靴は脱いでいるのが律儀だ。っていうか今の一体何? 玄関に仰向けに倒れていた私は慌てて身を起して、二人を追いかけた。駆けつけた台所で私が見たものは、せっかくのファラオの茹で卵をはふはふと飲むように食らう妊婦と、それを微笑みながら見守るイケメンの姿だった。

「う、なんかこの卵、ちょっとタマネギ臭いかも……でも美味しいわ」

「なんでひとの家に侵入して茹で卵食べてんの!?」

 イケメンが立ち上がって、私に包丁を突きつけてきた。ただし、柄のほうを私に向けて。

「これでお詫びということで。私を刺してください」

「は?」

「さくっと殺ってしまって構いませんので」

「は?」

「卵の弁償です。我が命で償います。さあ、どうぞ!」

「だ、ダーリン~!」

 妊婦が茹で卵を頬張りながら泣いている。なんだコレ。私はとりあえず包丁を受け取った。この不審者が刃物を持っているよりは、自分が持っているほうがマシだしね。

「えっと、どういうことか事情を説明して?」

「実は私、ヘビの化身でして」とイケメンは言う。

「ある日、田んぼでカエルを食べようとしていたら、我が妻の父にやめてくれと言われまして。カエルが可哀想じゃんって」

 妊婦はこくんと頷いた。

「私のお父さんって優しいの」

「カエルを見逃すのなら、娘を嫁にやるって言われまして」

「私のお父さんってちょっとヤバイの」

「それで結婚しまして」

「だって彼ってイケメンでしょ、しかも優しいし」

「おお我が妻よ~」

「もぉダーリン~」

 なんか二人は抱き合っている。

「話の続きぃ!」

 私が包丁をふり回しながら叫ぶと、イケメンはしぶしぶといった感じで抱擁をといてこっちを向いた。

「それで結婚して、我が妻が妊娠したんですけど、このままだと我が妻は……し、し、死んじゃうんです~!」

「ダーリン~!」

 ふたりはしっかり抱きしめ合うと、しくしく泣き始めた。

「なんで死ぬのよ。病気? 呪い?」

 私がそう言うと、二人はキっと私を睨んできた。

「あなた、なんかさっきから口調が冷たくありません?」

「そりゃまあ、茹で卵を盗まれたら冷たくもなるよね」

「ちょっとこの人、心が狭くない?」

「卵ぐらいでケチすぎませんか」

「は? なんなの? まじで刺そうか?」

 私が包丁を振りかざすとイケメンが両手を広げた。

「本望! さあ、さあ!」

「だ、ダーリン~!」

「ああもうウザイウザイ、そういうのやめて。で、死ぬって?」

「人の身でありながらヘビの子を身ごもってしまった女は命を落してしまう宿命なのです……っ!」

「だ、ダーリン~!」

 奧さんは泣きながら茹で卵を食べている。見た感じすごい元気そうだけどな~。本当に死ぬの?

「幸いなことに、我が妻を救う方法があります。それはワシの卵を食べて、そして夫がワシに殺されること。そういう話をWikiで見ました」

「Wikiで」

「なんか過去にもそういうことがあったらしくて。そういうわけで殺してください! 私がワシに殺されたら、我が妻は助かるのです!」

「ダーリン~! 殺されたら必ず輪廻転生して私のところに戻ってきてね。そして親子3人で一緒に暮らすんだから」

「我が妻~! 必ずや生まれ変わっておまえのところに戻ってこようぞ。というわけですので、さあ、殺せ」

「いやいや、いろいろおかしい。ワシに殺されたいんでしょ? ワシって鳥の……。え、あれか、もしかしてうちの名字が鷲野わしのだからうちに来たとかそういうアレ?」

「そういうアレです」

「ダジャレ! 私はワシじゃなくて人間だよ。それにさっきから奧さんが食べているのはニワトリの卵だし。そんな適当で大丈夫?」

 イケメンはいかにも不快と言いたげな顔をした。

「ええい、細かいことにこだわる面倒臭い人間め、いまどきワシの巣なんて簡単には見つからないんですから、ごちゃごちゃ文句言わないでくれますか」

「ええ……いや、まあ、あんたたちがそれで良いなら、私はどうでもいいんだけどさ」

「殺せ!」

 男は床に大の字にひっくり返った。

「ええ……?」

「この人が苦しまないように、ひといきにお願い!」

「ええー……」

「我が妻よ、手を握ってくれないか」

「ダーリン……」

「ええー……? なんかもうすっごい迷惑だなあ?」

 私、殺すの? まじで? いや無理じゃん?

 私が包丁を持って立ち尽くしていたら、

「うっ、これは……、あっ、生まれそう!」

 唐突に妊婦がおなかを押さえて床にうずくまった。イケメンはがばりと身を起し、「え、え、え? どうしたらいいのだ、どうしたら」とオロオロしはじめた。

「産気づいたのなら病院に行くしかないでしょ。かかりつけの病院は……」

 そのとき、ぽんと音がして、ころりと白い物が床を転がった。テニスボールぐらいの大きさのまんまるな卵だった。

「う、生まれた!」

 子供って卵なんだ。父親似ってこと?

 イケメンはうやうやしく卵を取り上げ、妻に見せようとしたが、彼女はまだ苦しそうに眉根を寄せていた。

 ぽん、ぽん、ぽん。続けざまに産卵していく。

 イケメンは私に卵を突きつけてきた。

「は? 何?」

「温めてください」

「は? どうやって」

「あなたの服の中に入れて、体温で保温してください」

「ええ……生まれたての卵を服の中に入れるとか生理的に無理かも」

「うちの子が寒くて死んでもいいっていうんですか!」

「ええー……」

 私は強引に服の中に卵を入れられて、四つん這いの姿勢にさせられて卵を保温することとなった。そうして奧さんが産卵するたび、私の服の中に卵が詰められていく。

「うう、次で最後かも……」

「頑張ってくれ! 私がついているぞ!」

「なんかヌメっとする気がするなあ、これ」

 台所の床で産卵する妊婦、励ますヘビ男、四つん這いで卵を保温する私。ちなみに包丁は私が握ったままだ。

 もうわけわからん。そう思っていたところで、またポンと音がして、妊婦がはふう、とため息をついた。

「もう終わり。もう全部産んだ」

「お疲れ、お疲れ!」

 最後の卵を私に渡すと、二人は熱い抱擁を交わした。私は呆れて声もでない。

 そのとき、「あの~、大丈夫ですか~」と上から声が降ってきた。床に這いつくばった姿勢のまま首を動かして見上げると、ご近所さんが台所を覗き込んでいるところだった。

「なんか騒がしいから心配になって見に来たんですけど……」

 そして、私たち3人を見て、

「あ、これ修羅場? そうなのね、なんかアレなのね、三角関係的な? 不倫的な? んま~大変大変」と、なぜか笑顔で呟きながら去っていった。きっと明日には街中の噂になっていることだろう。鷲野さんところのお孫さんは不倫してるってね。絶望!


 ピシっと硬質な音がした。私のおなかの下からだ。まさか卵が割れてしまったのか。焦って体を動かそうとすると、「動かないでください! 子が怪我するかもしれません」とヘビ男に制止された。

 ピシピシという音はどんどん増えて、ピシピシの大合唱になり、おなかがじわっと何かで濡れる感じがした。

「わっ、もう無理!」

 私が思わず飛び上がると、コートの裾から何かがぼとぼとと落ちてきた。それは小さなヘビで、全部で12匹いた。色は全部違う。赤いの青いの、白いのにオフホワイトにアイボリーに、あとなんだ、とにかく10匹は微妙に色の違う白ヘビだった。

 10匹の白ヘビは、お互いの尻尾をくわえて一つの円となった。イケメンも一匹の白蛇に変身し、その円に加わった。そして、ふわりと浮いたかと思うと、そのまま天井をぶち破って、2階部分も破壊して、屋根を吹き飛ばして、夜空へと上昇していき、ついには見えなくなった。



 破壊された祖母宅を呆然と見上げていたら、「ちょっとよろしいですか」とまたもや声を掛けられた。声のするほうに目を遣ると、見知らぬ中年男性が私の隣に立っていた。いつのまに。

「えーっと、どちらさまでしょうか」

「私はカエルの化身です」

「はあ」

「あの日、ヘビから食われそうになっていたところを、こちらの奧様のお父様から救っていただいたカエルでございます」

「はあ」

 奧さんのほうは呆然と空を見上げており、カエルの言葉には無反応だ。そりゃまあ夫が空に消えちゃったらねえ。

「奥様はこれでひと安心でございましょう。ワシの卵を召し上がって、ヘビは子の力を借りて昇天しましたわけですから、もう命の危険はございません」

「はあ。ワシの卵をねえ……」

 ニワトリの卵だと思うんだけどなあ?

「一件落着。……しかし、おつらそうだ」

 奥様は涙をぽろぽろ零していた。

「つらくないと言ったら嘘になるけど、でもあの人はきっと帰ってきてくれるから」

「もちろん帰ってきましょうとも。おそらくいまから300年後に。輪廻転生の道はあまりに長い」

「さ、三百年……」

「おっと」

 気絶して後ろにひっくり返りそうになった彼女を、カエルおじさんはすんでのところで支えた。

「このカエル、お父様にご恩がありますゆえ、こうしてしゃしゃりでてきた次第なのですが、奥様、どうです、あのヘビと同じところへ行きたいのでしたら、私が送ってさしあげることもできますが」

「えっ! も、もちろん、もちろん行きたい!」

「やはり。では、お送りいたしましょう」

 カエルが何やらもごもごと口を動かしたかと思うと、奧さんの体はすーっと空へと浮かび上がり、そしてぐんぐんと上昇して、やがて見えなくなった。ヘビ男と同じように。

「どうぞお幸せに」

 カエルは空に向かってつぶやいた。そして私に会釈すると玄関のほうへと歩き出したので、私は慌てて声を掛けた。

「いや、待って。なんか良い話ふうに終わろうとしているっぽいけど、待って」

「はい?」

「この家、破壊されたんですけど?」

「そうですね、お気の毒です」

「いやいや、修理してくれません?」

「なぜ私が?」

「あのヘビ男の関係者なんでしょ。連帯責任ってことで、妖怪パワーてきなやつで修理をお願いできませんか」

 留守を預っている手前、できる交渉はしておくべきだろう。修理までできたらなお良い。

「そういうのを私に言われましてもねえ。私はあなたには何の恩もありませんのでね」

「ええー……」

「あ、でも、赤ヘビと青ヘビが残ってますから、彼らが何とかしてくれるかもしれませんよ、知らんけど」

「適当~。言い方が適当~。っていうか、なんでこのヘビたちは残ってるのかな」

 私の疑問には、本人たちが答えてくれた。

「力を持っていないから」と赤ヘビは恥じ入るように言った。

「私たちはただのヘビとして生まれてしまったので、地上に置いていかれてしまったの」と青ヘビは言って、泣き出した。

「あー……」

「あー……」

 私とカエルおじさんには掛ける言葉もなく。

「まー、うん、そうですね、そういうこともありますよね、どんまい! ……じゃ、私はこれで」

 カエルおじさんは走り去ってしまった。


 私はひとまず2匹のヘビとリビングに移動し、一緒にこたつに入った。こたつの温かさに大喜びしているヘビたちを見ながら、もしかして卵の保温が悪かったのではと、そのせいで2匹のヘビに悪影響があったのではと、そんな気がして罪悪感をおぼえたり、いや、そもそもなんで私が罪悪感を覚えないといけないのだ、と憤ったりしていた。




 その後。旅行から帰宅した祖母は、泡を吹いて卒倒した。まあ、2階部分と天井が破壊されているわけだしね。

 私は自分のアパートで2匹のヘビと暮らし始めた。この子たちも父親みたいにイケメンに変身するのかなと思ったけれど、人の姿になってくれと頼んでみたら、二人ともおかっぱ姿の小さい女の子の姿になった。まるで双子の姉妹だ。可愛いのう。

 結局ファラオの茹で卵は食べずじまいだ。どんな味なんだろう、ファラオの茹で卵。

「いつか食べてみたい」

「それってお母さんが全部食べちゃったやつ?」

「ごめんなさい……」

 あんたたちは何も悪くないよーと私が慌てて言うと、二人とも私に抱きついてきた。なんかもう本当に妹みたいに思えてきた。



 そんなこんなで。私とヘビ娘たちは、末永く仲良く暮らしましたとさ。



 <おわり>



関連作品

『ワシの卵』     三部作の一作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139556982122869



『よろづせなのノ卵』 三部作の三作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139557180497661

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日本昔話「ファラオの茹で卵」 ゴオルド @hasupalen

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