うそつきさん

遠越町子

うそつきさん

 その男の人はみんなから、うそつきさん、と呼ばれていた。本当の名前は、シモツキさんだとか、アキヅキさんだとか、そんな名前らしい。けれど、ぼくはうそつきさんが、名前で呼ばれているところを見たことがなかったので、本当はなんていうのか知らない。

 うそつきさんがそう呼ばれるのには、ちゃんと理由があった。ぼくのお母さんとお父さんだけじゃなくて、みんなのお母さんとお父さんが口を揃えてこういうのだ。

「あの人はうそばっかり言うから、関わっちゃいけませんよ」




 うそつきさんは、ぼくの家の近くにある公園によくいる。いとこのお兄ちゃんと同じくらいの見た目だから、たぶん二十歳とかそれくらいの歳だと思う。でも、うそつきさんはよっぽど暇なのか、大人なのにぼくみたいな小学生と遊んでばっかりいる。毎日公園にいるというわけではないけど、ふらっとやってきて子どもと遊んでふらっと帰っていく。

 そんな様子を見てぼくらの親たちは、あの人とは関わるなって言ってくる。お母さんはぼくがうそつきさんに何か危ない目に合わせられないか心配している。お父さんは、ぼくが将来“あんな”ふうにならないか心配している。でも、ぼくは知っている。お母さんやお父さんが思ってるほど、うそつきさんは変な人じゃない。それに、一緒にいると楽しい。だからぼくはいつも家族には内緒でうそつきさんと遊んでいるのだ。


 うそつきさんは、面白い話をよくしてくれる。幸せを呼ぶおまじないの方法とか、猫とおしゃべりができた話とか、旅行先で見た白い虹の話とか。といっても、そういった話のほとんどはうその話だけれど。うそつきさんはお話するのが上手なのか、あの人がする話は面白くていつも聴き入ってしまう。たとえそれがうその話だとわかっていても。

 うそつきさんがうその話をするときは、その大きな目をキラキラさせている。いつもは何も楽しいことがない、みたいな顔をしているのにうその話をするときだけはとっても楽しそうだった。




「魔法使いがなぜホウキで空を飛ぶか知っているかい?」

 その日、ぼくとうそつきさんは公園のシーソーに乗ったままお話をしていた。急にそんな話をされたから、ぼくはただうそつきさんを見つめた。するとうそつきさんが立ちあがったので、シーソーはがたんとぼくのほうに傾く。

「ほら、魔法使いは空を飛ぶときにホウキにまたがるだろう」

「うん、だけどそれがどうしたの」

「君は、どうしてまたがるのがホウキじゃないといけないか知っているかい? 杖や傘じゃダメな理由は?」

ぼくはまたうそ話が始まったとワクワクしてきた。うそつきさんはヒョロっと縦に大きい体の上にちょこんと乗った小さな頭を軽くかしげた。そうして、優しい顔をさらにニコニコさせてぼくの答えを待つ。

「うーん、そんなこと考えたこともないや。ホウキが当たり前だからなんじゃないの」

ぼくがそう答えるとうそつきさんは、わっはっは、と大きく口を開けて笑う。

「ダメだぞ少年。当たり前に思われていることこそに疑問を呈さなければ、人々はいつか退屈で死んでしまうよ」

「なにそれ」

うそつきさんはたまに難しいことをいうからよくわからない。

「教えてあげよう。これは昔、知り合いの魔法使いに聞いた話だ」

ぼくの困り顔なんか気づかないようにうそ話は再開された。うそつきさんはまたシーソーに腰かける。それに合わせてぼくの足も地面からふわりと浮いた。

「魔法使いがホウキを使うのにはちゃんとした理由がある。それは足あとを消すためなんだ」

「足あと? 誰の?」

ぼくは浮いた足をぶらぶらさせる。それでもシーソーは全然動かなかった。

「そりゃあ、魔法使い本人のだ。魔法使いは人には見られちゃいかんものだ。だから、自分がそこにいた証拠を隠滅するために、常にホウキを持っていなくちゃいけないのさ」

「えー、なんかドロボウみたいでカッコ悪い」

ぼくの目の前、シーソーの片側からまた、わっはっはと大きな笑い声が聞こえた。

「しかしそれが真実だよ。なんせ魔法使い本人に聞いたんだからな」

「それ本当なの?」

 そう聞くとうそつきさんはニヤリと笑って、ぼくのほうを見た。

「さあ、どうだろうな」

この言葉は決まり文句だった。うそつきさんがうそをつくときに本当かどうか尋ねると、ニヤリと笑って必ずこの言葉を言う。でもなんだかぼくはそれが嫌いではなかった。つられてぼくも笑う。

 遠くのスピーカーから、五時を知らせる放送が流れてきた。気づくと夕日が僕たち二人の顔を照らしている。

「さあ、そろそろ帰りなさい。今日のお話はこれで終わり」

そう言いながら、うそつきさんはぼくが転ばないようにゆっくりとシーソーを降りた。ぼくの足はそれに合わせて地面を踏む。公園の砂にはぼくの運動靴の裏側がはっきりと写しとられた。




 ある日、学校から不審者に気をつけるように、なんていう内容のプリントが配られた。そこには、子どもに話しかけてくる不審者に気をつけましょう、とか、知らない人にはついて行ってはいけません、とか、よく聞くようなことがずらりと書いてあった。具体的な特徴こそ書いていないけれど、なんだかうそつきさんのことを言っているように思えた。大人たちは遠くからしかうそつきさんを見ないから、あの人が優しい人で、子どもをひどい目にあわせることはしない人だって知らない。ぼくはプリントをグシャグシャに丸めて、ランドセルの奥に押し込んだ。

 その日、公園に行ってみるとうそつきさんはベンチにひとりで座っていた。いつもは何人か遊んでいる小学生がいるのに、今日配られたプリントのせいか、公園にはうそつきさんしかいない。ぼくは公園の周りに大人がいないことを確認してから、うそつきさんに声をかけた。

「こんにちは。なに持ってるの」

「ああ、君か。こんにちは」

 いつも軽装のうそつきさんはめずらしく何か黒くて大きい布を持っていた。ぼくが質問すると、うそつきさんはその布をひらりとはおった。それはカラスの羽のようにヌラリと光って、うそつきさんの肩にきれいにかけられた。

「これはマントだよ。どうだい、似合っているだろう」

「うわあ、暑くないの、それ」

まだ夏になっていないけれど、いまの時期にはとっても暑そうに見えた。けれど、うそつきさんは涼しい顔でマントをまたひるがえす。

「いいや、意外にこれは見た目ほど暑くないよ。羽のように薄いからね」

「へえ、なんか魔法使いみたい」

 ぼくはこのあいだの話を思い出した。すると、うそつきさんがその言葉に反応する。

「おや、そうか。このあいだ君には魔法使いのホウキの話をしたんだったか」

ぼくはうなずいた。そんなぼくの様子を見たうそつきさんは、みるみるうちに笑顔になっていく。それから、そうかそうか、と言って肩からマントをスルリと取った。やっぱり暑かったのだろうか。

「それじゃあ、君にはもうひとつ魔法使いの話をしてあげよう」

ぼくはベンチに座って、いつものうそ話を聞く体勢になった。

「魔法使いにはひとつ守らなくてはいけない決まりがある」

「決まり?」

「そうだ」

そんなことは聞いたことがないなと思った。このあいだのホウキの話は想像がしやすかったけれど、今日の話は検討もつかない。

「魔法使いはうそをつかない」

 うそつきさんはぼくの瞳をじっと見つめていた。いつもはニコニコとうそ話をするうそつきさんが、その言葉をいうときだけは真剣な、真面目な顔をしていた。

「魔法を使うためには呪文が必要だ。呪文というのは言葉に特別な力がこめられたものだ」

 だから魔法使いは言葉を大切にしなくてはいけない。うそを言って自分の言葉をないがしろにし、その責任を放棄すると、魔法使いは言葉に力を込められなくなる。呪文が、魔法が使えなくなる。

 一通り説明し終えると、話を切り上げる合図のようにうそつきさんはぼくに向かってにっこりほほえんだ。あんまりに真剣で見たことのない表情で話すから、ぼくはなんにもしゃべれなかった。

「そういうことだから、魔法使いはうそをつかない。つけないのさ」

「……うそつきさんは、なんでいつもうそをつくの?」

 ぼくの口から出た言葉に、うそつきさんはその大きな目をこれでもかというくらいに大きく開いた。そしてそれから、

「……」

これもまた見たことのない表情で、なにも答えず困ったようにぼくの方を見て笑うだけだった。いつもなんでも答えてくれるうそつきさんが、初めてなにも答えなかった。




 その夜ぼくは夢を見た。

 その夢の中でぼくは寝ていた。夜中に二階にあるぼくの部屋の窓を叩く音がする。目を開けてカーテンをめくると、そこにはうそつきさんがいた。

 うそつきさんは、昼間の黒いマントをはおって、空を飛んでいる。まるで魔法使いのようだ。けれど、そのまたがっているものはホウキではない、なにか細長い棒。よく目をこらしてみると、それは物干しざおだった。窓を開けてぼくはうそつきさんに話かける。

「魔法使いだったんだね」

「ああ、黙っていてすまない」

「どうしてホウキじゃないの?」

またがっている物干しざおを指さすと、うそつきさんは、わっはっはと大きく笑った。

「師匠の時代くらい昔はちゃんとホウキにのっていたんだけどね。コンクリートで道が舗装されるようになってからは、足跡も残らなくなってしまって。ホウキを持っている理由がなくなったよ」

今はこっちの方が飛びやすくて好きだけどな、と言いながらうそつきさんは物干しざおでぐるりと一回転して見せてくれる。

「じゃあ、うそつきさんは、本当はうそなんかついてなかったんだね。全部本当だったんだ」

うそつきさんは言っていた。魔法使いはうそをつかない。ということは、魔法使いの嘘つきさんが話ていたことは、全てうそではなく本当の話だったのだ。なんだか、ぼくはそれが嬉しかった。ぼくの言葉にうそつきさんもとても嬉しそうにほほえんだ。

「私はもうすぐこの街を出ていかなくてはいけない。君は、私の話に一番付き合ってくれた。だから、ここを離れる前にひとつお礼代わりの約束をしにきたのさ」

 うそつきさんは、すい、と窓辺にいるぼくのほうへ近寄ってくる。そうしてゆっくりと優しくぼくの頭をなでた。

「君がこの先ずっとうそをつかず生きていけば、もし君が魔法使いになりたいと思ったときに弟子にしてあげよう」

「それはうそじゃない? 本当?」

 ぼくはいつものようにそう尋ねた。うそつきさんは、ニヤリと笑って、

「さあ、どうだろうな」

と、いつものように答えた。

 それから、だんだんと遠のく意識のすみで、うそつきさんが呪文を唱えるのを聞いた気がした。それはまるで楽しげな歌のようで、おごそかな台詞のようで、とても心地の良いものだった。


 目がさめると、いつも通りの朝だった。たったひとつをのぞいては。

 ぼく以外のみんなは、うそつきさんのことをすっかり忘れてしまっていた。そんな人は始めから存在しなかったみたいに、どこにもうそつきさんがいた記憶も証拠も残っていなかった。ぼくの記憶だけを残して、うそつきさんは自分の足跡を消してしまった。

 後に残ったのは、ぼくのランドセルの底で丸まっている不審者注意のプリントだけだった。

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うそつきさん 遠越町子 @toetsumatiko

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