「こんな時に、子ども扱いかよ」
老人の叫び声が医務室に響き渡る。体の芯に響きそうな絶叫がトウヤの体を震わせる。デボラは両手で耳を塞いでる。
デボラは神妙な顔つきで「あちらに」と言って、イリスが寝てるベッドを指さした。
老人はすばやくベッドに駆け寄った。今にも泣きだしそうな表情だ。
「デ、デボラ! イリスの容体は!」
「ドミニク学長! 手は尽くしましたが、ここにある薬では……」
デボラは、目を閉じて「はぁ……」と深い溜め息をつくと、首を左右に振った。
その様子を見たドミニクは、再びイリスの方に向いた。
――何言ってんだ、この医者? さっきは寝てれば大丈夫と言ってたじゃないか!?
そう思った矢先、デボラが鋭い目つきでトウヤを睨む。目くばせのつもりだろうか。デボラの口元には、黙れ、と言わんばかりに人差し指が添えらている。
「デボラよ! イリスを治療するには、いくら必要なんじゃ!? 大事な娘のためじゃ。金に糸目はつけん!」
「そうですね、金貨5枚……いえ貴重な薬なので、相場次第では10枚は必要になるかと」
真剣な面持ちで訪ねるドミニクに、デボラは負けじと哀愁をまとって応対する。
トウヤが二人の様子を茫然と眺めていると、ベッドの方から「ふわぁあ」と間の抜けた声が聞こえた。
ドミニクは歓喜の涙を浮かべた。トウヤはベッドに慌てて駆け寄った。
イリスがむくりと上半身を起こす。目蓋が薄らと空いている。
「ふあぁ、おじいちゃん?」
あくび混じりの声で言うイリス。その様子を見てトウヤは安堵した。
「イリスが倒れて、医務室に運ばれたと聞いたから、仕事放り投げて来たんじゃよ!」
老人は言い終えると、険しい表情でデボラの方に向き直った。
「これは一体、どういう事じゃ? デボラ」
「奇跡ですよ! 学長!」とデボラは物怖じせずに口を開く。
「奇跡!?」と素っ頓狂な声をあげるドミニク。
イリスは寝ぼけ眼で頭を揺らしている。二人の会話が耳に入ってないようだ。
「ええ、適切な治療を施し、希少な薬を投与して、肉体が完治しても必ず目が覚めるわけではありません。もしかして模擬戦で恐ろしい目にあって、それが原因で心が塞ぎ込んで目覚めない事もあります」
デボラは神妙な顔つきでハキハキと言う。ドミニクは浮かない顔をしているが、口を挟むつもりはなさそうだ。
続けてデボラは口を開いた。
「しかし、愛する我が娘のために学長は、親身になって声をかけた事によって、彼女は目を覚めたんです! 医者は患者の傷を治す手助けしかできません。最後の最後に患者の力になるのは、医者でも薬でもなく家族の愛なんです! 昏睡状態の娘が家族の声によって目覚める! これを奇跡と言わずして、何と言えばいいでしょうか!」
デボラの表情は、自信に満ち溢れていた。後ろ暗さや陰謀は微塵も感じない。
「ふむふむ、儂のはち切れんばかりの家族愛が起こしたのか」
ドミニクはデボラの言葉を真に受けたのか、うんうんと頷いている。
「はぁ、もう少しで酒代が浮いたのに」と小さく呟くデボラの声をトウヤは聞き逃さなかった。
――癖の強い人だけど、イリスの様子を見る限り、腕は信用しても良さそうだ。
しかし、こんな医者が街に居たら、金がいくらあっても足り無さそうだ。現役の間は、士官学校に閉じ込めた方が安全だ。ここなら犠牲者は、学校関係者だけで済むだろうし。
「イリス、体は何ともないのか?」
「うん、まだ寝足りない事を除けば」
「良かった。心配したんだぜ」
イリスは屈託のない笑顔を見せた。トウヤは直視するのが照れくさくなり、少し目を背けた。
「で、お前は誰じゃ? わしの娘とどんな関係じゃ? 制服を着てるみたいだが、貴様みたいなヒョロヒョロした生徒に覚えがないぞ」
ドミニクはトウヤを威嚇するように言った。白髪だらけの頭髪、皺だらけの顔。しかし、トウヤを見据える目は、老練の戦士を彷彿とさせる凄味がある。
今の顔が本来のドミニクなのだろう。目を合わせただけで、息が詰まるような圧を感じる。
「ト、トウヤ オリベと言います」
張り詰めた空気の中で精一杯の言葉を紡いだ。緊張で思わず背筋がピンとなる。
ドミニクは言葉を返さず、ただトウヤを怪訝そうに見ている。
「お爺ちゃん、あたしの子を脅かさないで!」
イリスは、はっきりと言った。愛くるしい円らな瞳がドミニクを睨みつけている。
「怖がってるじゃない。ほうら、よしよし……お爺ちゃん、怖いでちゅねー」
イリスはトウヤの手を優しく握ると、上下に動かした。
――こんな時に、子ども扱いかよ。
トウヤは少女と見紛うイリスに、子ども扱いされた事を苦々しく思った。
しかし、ドミニクの様子が一変した事により、張り詰めた空気が緩和した事には感謝した。
ドミニクの顔には、この世の終わりを悟ったかのような絶望感が色濃くでている。
程なくして、ドミニクの全身がわなわなと震えだした。
「爺さん、大丈夫か?」
「大丈夫よ。新しい家族の誕生に感激で打ち震えてるのよ。お爺ちゃんたら、恥ずかしがり屋さんなんだから」
「イリス! お前に子供は百年早いわ!!」」
ドミニクが青筋を立てて、イリスに詰め寄った。
「安心してお爺ちゃん。ちゃんと育児の文献は一通り目を通してるわ。離乳食の作り方やオシメの取り替え方だって、ちゃんと頭に入ってるわよ」
「ほほう、この間までオネショを隠蔽する子供だったくせに」
「子供の前で何言ってんの、このジジイ!」
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