「オーバークロック」
「あのイリスが正攻法で勝つ日がくるなんて!」
「明日は槍か火の雨が降るな」
歓声とは別の話声が耳に入る。
バルナバスはトウヤを一瞥すると、試合会場から一足先に出て行った。
「こ……これで模擬戦前日は安心して食事が出来るな」
「俺なんか不眠薬を盛られたせいで、試合当日ふらふらだったしな」
「まだいいじゃん。僕なんて下剤だよ? 家の名を守るために、泣く泣く不戦敗したんだよ」
見物人から様々な声が上がる。
トウヤは、今後の生活に一抹の不安を覚えた。
「トウヤ!」
後ろからイリスの声が聞こえた。トウヤは声の方に振り返った。
そこには、体をふらつかせながらも二本足で辛うじて歩いているイリスの姿があった。タブレットは宙に浮いている。イリスの顔は、疲労が色濃くにじんでいる。立っているのがやっとだろう。
トウヤは「大丈夫か!」と言うと、イリスは駆け寄った。
イリスは気怠そうに口を開く。
「うん、怠いし眠いけど……怪我は、無いわ。それより、何かグリモアいじってたら急に、体から力が吸い取られた感じがして……」
「ちょっと見せてくれないか?」
続けてイリスはグリモアの画面をトウヤに向けた。
画面には、英語で大きくoverclocking timeoutと表示してる。
――オーバークロック 時間切れ?
画面の表示を確認した直後、アイコンがずらりと並ぶ画面に切り替わった。画面のアイコンを一つずつ確認する。その中の一つに、日本語でオーバークロックと書いてあるアプリがあった。
アイコンは、黒い四角形に銀色の足が生えたLSIだ。
オーバークロックは、PCの頭脳と呼ばれるCPUを規格以上のクロック周波数で動作させることで処理能力を向上させる機能。
デメリットは、CPUに無理を強いるのでCPUの寿命を縮め、最悪PCを破壊する。
――確か小さいころ、親父がPCを色々といじくってる時に、重たいソフトはオーバークロックすればどうにかなる、とか言ってたな。
まったく、このタブレットは、俺達を何だと思ってんだ。気怠そうなイリスと先の戦いの最中に起こった事象、まさにオーバークロックと呼ぶに相応しい力だな。
トウヤが思索にふけてると、目の前からグリモアが忽然と消えた。
イリスの体がトウヤにもたれかかる。トウヤは一瞬ひるむと、両手でイリスの体を支えた。
華奢な体は見た目通り軽い。まぶたは閉じている。安らかな表情に思わず目を奪われた。
トウヤは慌てて頭を振ると、首元に手をあてて脈を測った。脈動を感じる。
イリスが生きてる事を確認すると、安堵の溜息をついた。
試合の後、トウヤはイリスをおぶり、衛兵の先導の元、医務室まで歩いた。
本来、全員の試合が一通り終わった後は、教室に戻ってから解散の流れだが、ロザリーの計らいで二人は早急に医務室に行くことになった。
医務室には、恰幅の良い中年の女性がいた。ベッドは部屋の半分を埋めるくらいに配置してある。今は誰も使ってないようだ。
衛兵は、中年の女性にトウヤとイリスについて、ひとしきり説明すると「では先生、あとは頼みます」と告げてから、医務室を出て行った。
「その子は、このベッドに寝かせておきな」
先生は、ぶっきらぼうな口調で言った。トウヤは一瞬ムッとするも、大人しく指示に従う事にした。
先生と協力して、イリスをベッドに下ろした。先生は棚から毛布を持ち出すとイリスに優しくかけた。
「さて、まずはあんたを診ようかね。ほら、そこの椅子にかけな」
そう言いながら、先生はドカっと椅子に座る。大柄な体型のためか、椅子が軋んだように見えた。
トウヤは指定された椅子に座った。対面には難しい顔をした先生が腕を組んで、トウヤを見据えている。
「あんたホムンクルスなんだって? えっと名前は……」
「トウヤ オリベです。先生は何て呼べば」
「あたしゃ、デボラ。デボラ=バッハマン、このクソ士官学校 専属の医者ってところだね」
「デボラ先生、先にイリスの方を診てもらってもいいですか?」
「あの子は心配無いよ。毛布かけるついでに軽く診たけど、あれは過労だね。暖かくして寝てれば大丈夫さ」
「そうですか……よかった」
トウヤは胸をなでおろした。
「次はあんただ。ほら、上を脱ぎな。全部ね」
デボラに言われるがまま、制服を上着とシャツを抜いだ。胸から腹まで肌が露出した。
腹部には複数の痣があった。左胸のフラスコの模様は青白く輝いている。
デボラは値踏みするように、トウヤの上半身を見ている。
「へぇ、よくそんな体であんな化け物どもと戦ったねぇ」
デボラは呆れたような口調で言った。
「そんなに変ですか?」
「あったり前でしょ! 魔導士ってどいつもこいつも人間離れした化け物じゃない! そんなヒョロヒョロの体でどう戦ったんだい? 痣だらけの腹を見る限り、武術の達人にも見えないし」
「色々とあったんですよ」
今のトウヤにはそれが精一杯だった。別に隠し事があるわけでは無い。色々とありすぎて一度、整理しないと説明ができないと思ったからだ。
「うーん、その様子だと、記憶に異常は無さそうね。頭は強く打ったかい?」
「いえ、頭は一切、攻撃を受けてないです」
「それじゃあ、大丈夫だね。服はもう着ていいよ」
「え? なんか薬の処方とか回復魔法とか無いんですか?」
「ホムンクルスなら薬は、いらないでしょ。重傷なら応急措置はするけどね」
――そういえばイリスも、ホムンクルスなら大丈夫とか言ってたな。もしかすると一晩寝ればゲームみたいに全快するのか?
「あとね。あたしゃ魔法は使えないよ。病で倒れた人には薬を出し、傷が負った人には治療するだけの、しがない平民の医者さ」
「てっきり回復魔法でサクっと傷が治ると思ったので」
「最近のホムンクルスは魔法と聞いたら、何でもできる神の御業と勘違いしてるようだね」
トウヤの軽薄な口調に、デボラの顔つきは一層険しくなった。
「もう一つ言っておく。確かに、この世界には魔法はあるさ。でも、人の傷や病を治す魔法は無いよ。そんなものがあるなら医者はみんな廃業さ」
デボラは厳かな口調で言った。
「だから、その子にも無茶しないように釘を刺しといとくれよ。その子が模擬戦に参加する日は、急患が増えて忙しいったらありゃしない」
トウヤは「伝えておきます」と愛想笑いを浮かべながら言った。急患というのは、イリスに一服盛られた運の悪い対戦相手の事だろう、と察した。
突然、激しくドアが開け放たれた。トウヤとデボラがドアの方に注目する。
そこには、厳かな緑色のローブを纏った老人がいた。短い髪は年相応に白く染まっており、顔には無数の皺が刻まれてる。
口周りと顎からは短い頭髪とは対照的に長い髭が生えている。いかにも威厳のある老練の魔法使い、と言う出で立ちだ。
老人は息苦しそうに呼吸が乱れており、肩が上下に動いている。目尻と目元の皺が垂れ下がっている。
老人は一歩前に踏み出すと、ドアを閉めてから口を開いた。
「わしのイリスは無事かぁぁぁああああああああああああああ!」
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