「習うより慣れろ」
「グリモア!? しかし、後天的にグリモアが顕現するなんて聞いた事が無いぞ!」
焦燥感が混じったバルナバスの言葉を皮切りに周囲の関心が集まる。
ただ、トウヤにとってイリスの目の前にある板状の物体は、とても馴染みのある物だった。
現代世界の先進国では、広く普及してるデバイスの一種。大きさからしてスマートフォンよりもタブレットが相応しいだろう。
イリスの顔色を見る。タブレットが顕現したためか、落ち着きを取り戻したようだ。代わりに茫然と板状の物体を眺めている。
――一体、何が表示されているのだろうか。
剣と魔法が飛び交う世界に、突如現れた文明の利器は、トウヤの興味を惹きつけた。
「な、何これ!?」
イリスが驚きの声を上げる。続けてトウヤが板状の物質を覗き込む。
――なるほど、イリスが驚くのも無理も無い。
タブレットを模した板状の物質には、たしかに文字が表示されていた。但し、それは日本語で書かれている。
「ト、トウヤ……これ読める?」
イリスは、すがりつくような表情でトウヤを見つめている。その様子から察するに日本語には馴染みが無いようだ。
「ああ、どうやら指紋認証が必要みたいだな」
続けて、イリスに伝えるために、画面に表示してる日本語を読み上げる事にした。
「スタートアップ 初めにペアレントとチャイルドの指紋認証が必要となります。注意書き ペアレントは人間、チャイルドはホムンクルスの指紋です」
「指紋認証って何よ!?」
「この場合、人差し指を板の丸い線の部分に乗せろってことだ。しかも画面の文言を見る限り俺とイリス二人分、必要らしい」
――俺の世界なら、この手のデバイスの操作方法は、幅広い年齢層に知れ渡ってる。だけど、この世界の住人には、認証どころか指紋という名詞から説明が必要になる。
でも今は、言葉で懇切丁寧に教えたところで、時間を浪費するだけだ。こういうのは習うより慣れろだ。
今、大事なのは目の前のタブレットを操作する事。だけどイリスの様子を見る限り、このデバイスに親しみが無さそうだ。画面にはペアレント、チャイルドと表示してある。
たしかマスターとスレイブ、プライマリとセカンダリみたいな、デバイスの管理者と管理される側のように役割分担を指しているはずだ。それならデバイスの扱いに長けた自分がペアレントになった方が良いだろう。
「それじゃ手本を見せてやるから、イリスは俺の後に続いてくれ」
トウヤは右手をタブレットまで伸ばし、人差し指を画面のペアレントの下にある丸い枠に置いた。
その瞬間、人差し指に激痛が走った。唐突な痛みにトウヤは身動ぎする。ペアレントは人間、チャイルドはホムンクルス……目の前のタブレットは表示通り、人間とホムンクルスを区別してるようだ。
「あー、やっぱり。基本的に他人のグリモアには触れないからね」
「待ってくれ、今は失敗だ。今度こそちゃんとやるから」
――自分がチャイルドというのは解せないが、せっかくのタブレットだ。画面の指示に従うとしよう。
トウヤは右手をタブレットまで伸ばす。人差し指を画面のチャイルドの下にある丸い枠に置いた。痛みは無い。程なくして、レ点のチェックマークが出てきた。どうやら認証に成功したようだ。
「ほら、大丈夫だろ? だからイリスもやってみな、そこの丸い枠に人差し指を乗っけるだけだ」
「う、うん」
イリス恐る恐る手を伸ばした。人差し指が小刻みに震えている。丸い枠に人差し指が触れると同時に、ぎゅっと目を瞑った。
イリスの様子に変化は無い。画面を見るとレ点のチェックマークが出てきた。
「もう大丈夫だ。目、開けていいぜ」
「ほ、本当に?」
「ついでに指も離してくれると助かる、何が表示されるのか見たいからな」
「わかった」
次は……スタートアップ完了、グリモアを起動します と出てきた。
――バルナバスの言った通り、目の前にあるタブレットはグリモアと見て間違いなさそうだ。グリモア、つまり魔導書と言うからには全て本の形をしてると思っていた。
だけど、先ほどイリスが言ってた通り人によって形状と中身が違うようだ。
つまり、こいつは電子書籍型のグリモアなのか。いくつかアイコンが並んだ画面に切り替わったぞ。まるでホーム画面みたいだ。アイコンの下には、ご丁寧にアプリの名前らしき日本語が書いてある。
見た目だけでなく、中身もスマートフォンみたいだ。実は、地球上にある先進国の大手企業が、資源を求めて異世界に進出してるんじゃないかと思えてくるな。
トウヤは、イリスの様子を伺った。イリスは、唖然とした表情で画面を見つめている。どうやら画面の様々な変化する模様についていけてないようだ。
「ちょっと触らせてくれ」
トウヤは画面の設定と書いてある箇所に人差し指を置いた。するとペアレントの指紋認証の時と同様に激痛が走った。
「くっそ! ダメか」
「さっきのは偶然だったみたいね」
トウヤが痛みに耐える様子を見て我に返ったのか、イリスは淡々と言う。
――他人のグリモアには触れない、これは本当に異世界の共通ルールのようだ。ただ"基本的"と枕詞がある以上、他人が触れる条件が何かしらあるはずだ。先ほどの指紋認証のように。
しかし、今はそんな事よりも、俺が操作できない以上、イリスに操作方法を教える事が先決だ。
もしかすると模擬戦を切り抜けるための有効手段が見つかるかもしれないからな。
「イリス、俺の言う通りにグリモアを使ってくれ。文字の上に模様があるだろ? どれでも良いから人差し指で触ってくれ」
「こんな意味不明な板切れじゃなくて、普通の本がよかったなぁ」
イリスは、ぼやきながらもトウヤの言う通りにした。不慣れな操作のためか、人差し指を乗せる所作がぎこちない。
設定の上の模様に指が触れる。すると表示が切り替わった。
「イリス=フレーベル、そろそろ試合の時間です」
衛兵がイリスに声をかけた。グリモアの操作に気を取られてる内に、試合の時間になったようだ。
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