「俺が先に死ぬかもしれないけどな」

 トウヤは試合会場に目を向けた。バルナバスが槍を携え、宙に本を浮かせて待ち構えている。


「イリスは今、お取り込み中でして……すみません、ちょっと武器を取ってきてもいいですか?」

「君はイリスでは無いだろう? ほら、自分の会場にいったいった」

「いや、俺は、イリスのホムンクルスなんです。ほら、これが証拠です」


 トウヤは左胸が見えるように上着をはだけた。青白いフラスコの模様が日の下に晒される。


「ふむ、確かにフラスコの刻印のようだ」


 衛兵は納得したようだ。すると衛兵は腰にさしてる武器をトウヤに差し出してきた。それは刃引きされた剣だった。


「今日のところは、これでいいかい?」

「ありがとうございます。でも俺、武器を持つのが初めてなのでやっぱり自分で選びたいな……なんて」


 トウヤは少しでも時間を稼ぐために、見苦しい言い訳をした。


 すると衛兵が「それもそうだな」と返すと槍、斧、短剣、弓とどれも刃引きしてあるが立派な武器を地面に置いた。

 トウヤの魂胆を見透かしてるようだった。

 どこからあんな武器を取り出したのか? という疑問が浮かんだが、今それを解消したところで意味が無さそうなのでぐっと飲み込んだ。


「それとせっかくだから、ホムンクルスが模擬戦に参加する時のルールも伝えないとな」

「何かあるんですか?」

「ホムンクルスは魔導生物だからな。魔導生物は魔法の一部。つまり、ここでの魔導生物はあくまで攻撃手段だ」


 トウヤの脳裏に先ほど見た、数多の虫がバラバラになる映像が浮かび上がった。


「つまり魔導生物が死ぬ程度では、俺達は止めに入らない。ついでに言うと、魔導生物の意思による降参も無しだ」

「それじゃイリスが降参した場合は?」

「生徒の意思による降参は、元から許容してない。模擬戦はあくまで訓練の一環。降参を許容したら、誰も戦わなくなるからな」

「そんなあ。死んだら元も子もないのに」

「うー、そんな顔しないでくれよ。だから俺達は、生徒の身に危険が迫った時だけ止めに入る。これも学校の方針だ、悪く思わないでくれ」

「要するに俺が生きて試合を終わらせるには、相手を負かすしか無いって事ですね」

「ああ、すまないな」


 衛兵は申し訳なさそうに言った。

 トウヤは時間を稼ぐために、武器を値踏みするフリをしようと考えた。しかし、衛兵の好意を踏みにじるようで心苦しくなったので、時間稼ぎを止める事にした。

 観念して剣を拾い上げる。イリスはいぶかし気な表情でグリモアと睨めっこをしている。


「イリス、ホムンクルスは死んでも試合が終わらないって話、知ってたか?」

「え? そうなの?」

「今、衛兵に聞いたから間違いない」

「ごめん、そこまでは知らなかったわ。それじゃ、あんたは予定通り場外にで――」

「そんな事より、一つ、伝えておきたい事がある」

「何よ」

「困ったら左上の端に指を乗せるんだ。そうすれば表示が元に戻る」


 イリスはぎこちない所作で画面の左上端に指を乗せた。アイコンが等間隔で配置されてる画面に切り替わった。心なしかイリスの表情が明るくなった。


「後は色々といじってみてくれ。こういうのは、習うより慣れろだ。操作に失敗しても、死ぬことは無いだろうからな」

「うん」

「俺が先に死ぬかもしれないけどな」

「え!? ちょっと、試合に出るの?」

「ああ、だからイリスは場外で大人しくしてろ」

「そんなの出来るわけないでしょ。あたしは、ここの生徒なのよ」

「それもそうか」

「でも、時間稼いでくれると助かるわ」

「わかった」


 そうイリスに告げると、トウヤは意を決して試合会場に歩を進めた。

 バルナバスと対峙する。イリスは試合会場の枠線ギリギリの位置でグリモアをいじっている。


「待たせたな。あんたと違ってイリスは忙しくてな」

「フッ、安心したまえ。今日は君を徹底的に打ちのめすだけだ。ただ、死んでも恨まないでくれたまえ」

「出来れば、手加減してほしいんだけどな。大体、被害者はロザリーであってお前じゃないだろ?」

「我がゲルストナー家は、ミストダリア家に仕える騎士。主君のお目を汚した、ならず者を捨て置くわけにはいかない!」


 バルナバスは両手で槍を構えた。槍の切っ先と鋭い眼光がトウヤに向けられる。


 ――良くも悪くもバルナバスは、騎士道に重んじているようだ。

 頭部だけは死守しよう。刃が潰れてても打ち所が悪ければ死んでしまう。いや、この場合……痛い事と苦しむ事が怖いんだろうな。


 人生初の喧嘩では、運悪く相手の拳が顎に入り、痛みを感じる前に意識を失った。そのため、トウヤには痛みの耐性が無いのだ。

 トウヤは両手で剣を構える。張り詰めた空気に気圧され、固唾を飲む。両腕が痛みに対する恐怖で小刻みに震えている。


「では、始めい!」


 衛兵が試合開始の合図する。同時にバルナバスがトウヤとの距離を詰めた。槍の先端がトウヤの体に迫る。


「ぐっぅ」


 トウヤがうめき声を上げた。槍の先端が腹部にめり込む。激しい痛みと同時に呼吸が一瞬、止まる。


 ――ダメだ。あいつの動きが早すぎて反応が出来ない。


「やはり素人か」


 バルナバスは吐き捨てるように言うと、槍を何度も突き出した。決して薙ぎ払いをせずに只管、突きを続ける。

 トウヤは受けに回る事しかできなかった。しかし、戦いも喧嘩も素人のトウヤでは、全ての攻撃をいなす事ができなかった。

 槍の先端が体に触れるたびに痛みで顔が歪む。


「所詮、イリスが造ったホムンクルス。本人に似て脆弱で役立たずの無能だな」


 その言葉にトウヤは憤りを覚える。先ほどのイリスの辛そうな姿が浮ぶ。続けて、教室で自分を庇ってくれた事を思い出す。


 ――イリスは、見ず知らずの、衣服を身に着けてない異性に対し、嫌な顔一つせずに世話を焼いてくれた。

 あいつの言う通り、戦う力が無いから士官学校では、肩身狭い思いをしてるのは想像に難くない。

 だけど、少なくとも無責任な人間じゃない!


 トウヤは剣を強く握りしめ、バルナバスを睨みつけた。トウヤの眼光に気圧されたのか、バルナバスは一瞬ひるんだ。

 バルナバスはトウヤから距離を取ると火球を放った。火球はトウヤに目掛けて直進する。トウヤは痛みを堪えつつ火球を避けた。火球が地面に着弾した箇所が黒ずんでいる。トウヤの体には、かすめた火球の熱が残っている。


 ――あんなものまともに食らったら死ぬだろうな。


 トウヤは改めて、この体に特別な力が無い事を思い知らされた。


 ――どうせなら、もうちっとマシな体にしてくれれば良かったのに。


 ちらりと衛兵の方を見る。衛兵の視線はトウヤとバルナバスを行き来している。判定負けとかあるのだろうか。ふと頭によぎる。しかし、すぐに振り払った。


 ――違う! いくら強くても、女性を侮辱するような奴は許せねぇ!

 せめて一撃だ! 一撃、食らわせないと気が済まねえ! 奴の槍と炎を掻い潜って、この剣をあの気障ったらしい顔に叩き込んでやる。

 イリスに全てを押し付けようとした、情けない俺自身も含めてな。


 しかし、今のトウヤの身体能力では、無傷では済まない。槍は刃が潰れているが、魔法は食らったらひとたまりもないだろう。命を落とす事を覚悟しなければならない。

 そう考えた後、ふと立ち止まる。


 ――あれ、俺はまだ生きていたいのか? こんな剣と魔法が飛び交う物騒な世界で、何の力も持たないままで……


 目をそっと閉じる。激情で熱くなった心と体が少し冷えた。


 ――一度は名前も知らない女性を助けるために失くした命。

 それなら二度目は、自分を庇ってくれた女性の尊厳を守るために使うのも良いかもな。


 今、トウヤの頭の中は、バルナバスに一矢報いる事だけが支配していた。攻撃を避けるつもりは微塵も無い。

 目を見開く。視界にバルナバスを捉える。

 トウヤは渾身の力を込めて切りかった。リーチの長い槍で迎え撃つバルナバス。先に触れたのはバルナバスの槍だった。

 激痛がトウヤの体を強張らせる。

 しかし、痛みを堪えながらも、バルナバスの腕に剣を振り下ろした。

 剣はバルナバスの腕に当たった。バルナバスがうめき声を上げると同時に槍を落とした。


「ざまあみろ」


 続けて二の太刀を浴びせるために駆け出した。


「図に乗るな! 人形風情が!」


 怒声を上げるバルナバスの右手から火球が放たれた。

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