「俺の身に何が起こってるの?」

「服、助かったよ。一時はどうなるかと思った」

「どういたしまして」


 トウヤは今、机に向かっていた男たちと同じ規格の服を身に着けている。

 服を着たトウヤとイリスは今、廊下と思わしき場所を歩いている。


 ――それにしても見慣れない風景だ。レンガを積み上げたような石造りの建物に澄み切った青空から降り注ぐ光、行き交う人のほとんどは軍服を彷彿とさせる制服を着ている。こんな風景はファンタジー映画でしか見た事が無い。

 服も何とかなったし、そろそろ自分の身に何が起こっているのかを確認しておくべきだろう。


「イリス、でいいんだっけ? 質問いいかな?」

「ええ、どうぞ」

「ここってどこ? 後、俺の身に何が起こってるの?」

「ここは、エルヴィン王国の王都にある士官学校よ」


 イリスの口から出てきた言葉に、トウヤは頭を痛めた。聞き覚えの無い国の名前が出てきたからだ。眼前に広がる中世時代の風景と今の境遇を合わせたら、胸騒ぎがした。

 イリスはトウヤの様子を気にも留めずに言葉を続けた。


「トウヤの身に何が起こったか、と言えば……をあたしが呼び出したの」

「え!? 死んだの!? 俺!?」

「そうよ。あんたこそ、前の世界ではどんな最後だったの? 見たところ年は、あたしとあまり差が無さそうよね」

「どんな最後と言われても……」


 イリスの言うという言葉がどうしても信じられなかった。裸になる前に物凄く痛い思いをしたとか、体が冷たくなる感覚等は一切無かったからだ。

 しかし、今いるこの場所はどう考えてもでは無い。それだけは確かだ。


 トウヤは死因を探るべく、一糸纏わぬ姿になる前の状況を思い返す事にした。





 トウヤは高校二年になり、柄にもなく大学受験というものを意識したので、放課後に塾に通い始めた頃だ。

 それはある日の塾帰り。時計は22時を回っていて、辺りは暗く人通りも少なかった。

 いつも通り自転車で市街をを走らせていた時、何気なく公園に目を向けたのだ。その公園は広大な面積を有する事で名を馳せている。二つの池があり、木々が生い茂っていて平日でも遊歩道は多くの人で賑わっている。さらに貸しボートや多種多様な運動施設、売店まで併設しているため家族サービスとデートスポットの役割も兼ねている。

 そんな公園に二人の人影が見えた。取っ組み合いをしているようだ。微かに声も聞こえる。トウヤは自転車から降りると、人影の方に向かって行った。

 仲裁に入るつもりは無い。ただの痴話げんかなら、遠くから少しだけ眺めてから引き返せばいい。明日の学校での話のネタにするだけだ。退屈な勉強漬けの毎日に辟易したところに、好奇心を刺激する見世物が近くある。それだけの話だ。

 人影が大きくなるにつれて、心臓の鼓動が早くなる。緊張感と高揚感で体感温度が狂う。ただの夜の公園だと言うのに、非現実的な世界に足を踏み入れているようだ。気が付いたら、人影の性別が分かる距離まで詰めていた。男性と女性が揉めている様だ。

 その時、女性の悲鳴が聞こえた。よくよく人影を見ると男性が女性に乱暴を働こうとしているようだ。先ほどの悲鳴は、女性が抵抗した時に口が自由になったから発せられたのだろう。

 体が強張る。しかし、後頭部の辺りが妙に冷えている。

 男性の手の平が女性の口元を覆うのと同時に、トウヤは二人の前に飛び出した。

 何をやっているのだろうか。勢いよく飛び出すまでは良かったが、そこで足が止まった。


 ――危険に首を突っ込む性格じゃないはずだ。ましてや赤の他人を助けるために危険を顧みない聖人を演じるつもりもない。ネットやニュースでよく見かける他人の死に一時的な緊張感を抱く事はあるが、それも物の数分で消える。それに幼少期から今の今までイジメや喧嘩というものに縁が無い人生だった。周囲には被害者も加害者もいなかったし、当事者になった事もない。家庭環境だって裕福とは言えないが平和だ。そんな荒事とは無縁の日常しか知らない自分が今、見知らぬ男と対峙している。


 男の鋭い眼光がトウヤの体に突き刺さる。荒事に縁が無いトウヤにとって、それだけでも恐怖で身がすくむ。男がトウヤに向けて、ドスの聞いた声色で話しかけている。しかし、トウヤ自身の耳には入ってなかった。


 男が自分に何か言っている。男が女性を危ない目に合わせようとしている。時間にして僅か数秒の間にトウヤの脳内は、この2つの認識で埋め尽くされていた。体を縛っていた恐怖は、徐々に薄れていった。


 ――このままだと女性が危ない。


 そう思った瞬間、トウヤは男性に殴りかかった。思考を置き去りにして体が飛び出す。そこで意識が途切れた。






「思い出した。確か男を殴りつけてやろうと思ったら、意識が無くなったんだ」

「そう」


 イリスは興味無さそうに言った。トウヤはイリスの態度に気にも留めず、死因を探る。


 ――顎に強力な一撃をもらって気を失う。その後、気絶してる体を池に放る、首を締める、頭を何度も殴打する等で絶命したのだろうか。

 だけど不思議と後悔は無かった。それどころか自分が見ず知らずの女性を助けるために身を挺するとは思わなかった。

 それとも、慣れない勉強漬けの日々で鬱積した不満を晴らしたかっただけなのか。今となっては、気にしても仕方のない事だ。

 それに今こうして物事を考えてるし、体にも異常は無い。健康体そのものだ。もし、ここが死後の世界と言われても、驚き以外の感情は浮かばないだろう。

 ただ唯一の気がかりは、あの時の女性は無事なのだろうか。今となっては確かめるすべが無い。草葉の陰から無事である事を祈ろう。


「試合場に着いたよ」


 イリスの言葉に、トウヤは思案の海から引き戻された。

 目の前には、幾つかの区画に分かれた敷地が広がっている。各区画には、兵士と思わしき人間が武器を携えて立っている。これなら複数の試合を同時に進行する事ができそうだ。

 校舎から離れた所にあるし、何より屋外だ。これなら多少、派手な事をしても迷惑をかける事も無いだろう。


「模擬戦か。士官学校って言うからやっぱ、剣とかで使うのか?」

「自分の好きな方法で、死なない程度に戦う感じね。剣、斧、槍、弓等々。どの得物も訓練用に刃を引きつぶしてるわよ」

「死んだら意味無いしな。当たったら痛いのは変わらないと思うけど」

「後は……魔法、とかね」


 トウヤはという言葉を聞いて、改めて自分が異世界にいる事を思い知らされた。

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