第6話 カコを救う方法
「バタフライエフェクトって知ってる?」
無表情にミクはそう聞く。
バタフライエフェクト――聞いたことがある単語だ。
でも詳しくは知らない。
俺は半ば呆然としながら首を横に振る。
「『ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?』
気象学者エドワード・ローレンツが講演したタイトルに起因する、微視的な影響がより強大な物理現象を引き起こしてしまうのか、っていうカオス理論という分野で議論される考えよ」
⋯⋯そう流暢に難しい言葉を並べられても理解できない。
よくわかっていないそんな俺の様子を知ってか知らずか、ミクは話を続ける。
「つまり、どんなに小さな力でも時間が経過したり、組み合わせによって大きな影響を齎してしまうってこと。
今回の場合、私達が起こさなければ、あのおじさんはゴミ捨て場で朝まで寝てしまうの。
それでインフルエンザになって、一週間後の点検に行けなくなる。
それによってあの道路の信号機の不具合が見抜けずに、事故に遭った当日信号機が故障してしまった。
という流れね」
噛み砕いて説明されても、あのおっさんを起こした理由を話されても、いまいち実感が湧かないし難しすぎてよくわからない。
よくわからないが、ミクの話を聞いて一縷の希望を感じ取った俺は思わず彼女の両肩をガシッと掴んだ。
「お前の言っていることは俺にはちっとも理解できないけど、要するに幼馴染を⋯⋯カコを救えたってことなのか――!?」
SF映画でも見たことある。
過去を変えることによって大事な人を救う物語。
どういう仕組みか俺達は過去に――二週間前に飛び、おっさんの未来を変えた。
結果的に起こった信号機トラブルを無くし、カコを死なせずに済んだということなのか。
それならば、ミクが俺を無理矢理連れ出したのも、『後悔を無くす』という意味もわかる気がする。
だが――、
「いいえ。これだけじゃ貴方の幼馴染を救ったことにはならないわ」
ミクの言葉は残酷に希望を打ち砕く。
そうやって首を横に振るミクに俺は歯ぎしりを立てる。
「なんだよ⋯⋯ッ! それじゃあ、おっさんの行動変えた意味ねぇじゃねぇか!?」
カコを救えないんじゃあ何のためにおっさんの未来を変えたのか、意味がわからない。
せっかく期待したのに――また裏切られた。
無表情な彼女の顔に、勿体ぶって話すその口調に、だんだんと苛立ちが募ってくる。
それなのにミクは態度を改めずに俺をじっと見つめてくる。
「いいえ。あのおじさんは確かに意味があるわ」
「は? じゃあ何か!? あのおっさんが俺の『後悔』を無くしてくれるっていうのか!?」
「そうよ」
「――! だからそれが意味がわからねぇって言ってるんだ!?
わざわざあのおっさんの行動を変えたってカコを助けられないんじゃ何のために⋯⋯?」
「言ったはずよ。
「――――!?」
ミクのその一言で俺は声を詰まらせる。
「貴方の幼馴染の事故はほんの小さな出来事が大量に積み重なって発生した不幸。
それをなかったことにするためには、多くの事象を変える必要があるの」
あのおじさんを起こしたのはその一つよ、とミクは冷静に答える。
つまりカコを救い出すためには、おっさんの行動を変えるだけじゃ駄目で、他にも影響している過去を変える必要があるということだ。
「そのために私は未来から来たの」
だからミクは来たのだ。未来から。その過去全て変えるために。
信じられない気持ちと時間が巻き戻っているという事実に俺の頭や気持ちに整理が追いつかない。
「お前は⋯⋯なんで⋯⋯?」
だから震える声でミクに質問をすると、ミクはフッと微笑を浮かべ
「言ったでしょ? 私は貴方の後悔を無くすためって」
また同じ答えを言った。
「――だけど、貴方の幼馴染を救うためには、どうしても貴方の力も必要なの。だから一緒についてきてくれるかしら?」
そしてミクは俺にそう協力を求めた。
まだミクに対して信用しきれない所がある。
でも、カコを、カコの未来を続かせる方法があるならば、俺は――。
「わかった。お前のことはまだよくわからないが、カコを助けるためなら俺は何だってするよ」
これでまた騙されたとしても、もう良い。
むしろ騙されたと思ってミクの話に乗ろう。カコを助けられる最後の望みだ。
ミクにとことんついていってやる。
「⋯⋯良い返事を貰えてよかったわ」
そう言って、ミクはポケットから蝶型の機械を取り出した。
何かを操作しようとしているようで、動きにくそうだから俺は掴んでいたミクの両肩を離した。
「ならばすぐに時間移動の準備を――あら⋯⋯」
その瞬間、彼女のTシャツの下から何かが落ちた。
「おっと⋯⋯ん? なんだ?」
と反射的に掴んでしまったそれは掌よりは少し大きく柔らかく、そしてほんのりと暖かさもあった。
なんだこれは、と思ってミクの方を見ようと前を向いた瞬間⋯⋯⋯⋯⋯⋯ミクの胸が何だか小さくなっている気が――。
「あぁ、パッドね」
⋯⋯パッ――!?
冷静に答えるミクのその言葉に俺は掴んでいたそれを思わず落とす。
「これもバタフライエフェクトの影響かしら?」
と無感情にミクは自分の胸を確かめるように触り、だけど特に気にした様子もなく、
「まぁいいわ。時間も迫っていることだし、とにかくさっさとこの時代から移動するわよ」
動揺し放心している俺の手を掴むと、ミクは蝶型の機械を操作した。
そこからのことは記憶にない。
ちょっとショックが大きかったからだ。
だけど俺達は確かにその場から消えたらしい。その証拠に次の瞬間には俺達は別の時代の別の場所にいつの間にか着いていた。
こうしてカコを救い出すため、何の準備もなく、何の覚悟もなく、俺達の時間旅行が始まったのである。
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