“女狐”と“女郎蜘蛛”

 昨日は本当にたくさんのことがあった。亜梨花に告白をされ……うん、これについてはどんな形にせよ俺も答えを出さないといけない。そしてもう一つ、姉さんとのことだ。昨日の話はもっと姉さんのことを知る機会でもあったし、姉さんが想ってくれるのと同じように、俺も姉さんを大切だと考えていることを改めて認識した瞬間でもあった。


「……姉さん」

「な~に?」


 今日も今日とて学校の日、朝にすることと言えば朝食である。いつもと同じように姉さんが作ってくれた朝食を食べているわけだが……いつも向かいに座るはずの姉さんが今日は横に座っている。しかもニコニコと俺の顔を見つめてくるわけだから非常に食べづらい……あれ、昨日もこんな感じじゃなかったかな。


「今日はいつにもまして仲がいいな。昨日の夜何かあったか?」

「ふふ、どうかしらね。ねえ蓮♪」

「……何かあったといえばあったけど」

「……マジで?」


 目を丸くして兄さんが見つめてくるけど、兄さんが想像しているようなことではないよ。まあ兄さんもその辺りは分かっているのか深くは聞いてこなかった。ニコニコ顔の姉さん、少し疲れた様子の俺を見てある程度は察したみたいだ。


「……あむ」


 抜群の味付けをされた卵焼きを口に運ぶ……うん、美味しい。白米、卵焼き、鯖、味噌汁とよくある朝食だけどこれ以上ないほどに美味しい。家族が作ってくれる料理というのは、弁当も含めて無償の愛とも言うけれど本当にその通りだと思う。ただでさえ美味しいのに、こうして作ってくれる優しさもあって更に美味しく感じてしまう。


「ありがと姉さん。本当に美味しいよ」

「! うん! どういたしまして!」


 こっちまで心が温かくなる姉さんの笑顔だ。それからも暫く見つめ続けられたが、姉さんもちゃんと朝食は食べないといけない。家族三人揃って雑談を交えて朝食を終え、諸々の準備を終えて玄関に向かった時、ちょうどインターホンが鳴った。


「?」

「誰かしら」


 見送りに来てくれていた姉さんと共に首を傾げる。俺が学校に行く時間帯ということでそこそこに早い時間帯だ。宅配でもなさそうだし、そうなると知り合いの誰かという線が濃厚になるわけだが、今までこのようなことはそんなになかったため来客の見当が付かない。


「俺が出るよ」


 とはいえ待たせるのも申し訳ないため、俺は玄関を開けて来客の正体を知った。


「……亜梨花?」

「おはよう蓮君!」


 来客は不審者とか知らない人とかではなく、思いっきり俺の知っている人だった。朝から眩しいくらいの綺麗な微笑みで挨拶をしてくれた亜梨花だったが、流石にいきなりの訪問に驚いてしまうのは仕方がないことだろう。


「お、おはよう亜梨花」

「うん!」


 どうしてここへ、というか家の場所教えたっけ……色んな疑問はあったが何とか俺は挨拶を返す。今浮かんだ疑問がどうでもよくなるくらいの亜梨花の笑顔である。こうした突然の訪問、姉さんに似て亜梨花も勘が鋭い子だ。だからこそ俺の困惑にも当然のように気づいてくれた。


「いきなりごめんね。でも今日から攻めまくるって決めたから来ちゃった。もちろん蓮君に迷惑なら明日からはこんなことしない……えっと、冗談抜きでダメだった?」

「ダメじゃないよ全然。寧ろ朝から色々ご馳走様というか……でも家の場所教えたっけ?」


 ご馳走様というのは美少女の笑顔をありがとうという意味だ。その後に続いた俺の疑問に亜梨花が答えようとしてくれた時、亜梨花の視線が俺から横に移った。俺も釣られるようにその視線を辿ると、姉さんが靴を履き替えて腕を組みながら俺の横に立っていた。


「……………」

「……………」


 交差する二人の視線、心なしかバチバチと何かがぶつかり合っているような錯覚を覚える。暫く見つめ合う二人だったが、最初に姉さんが口を開いた。


「おはよう、久しぶりね“女狐”」


 ちょっと!?

 口元は笑っているが目は笑っていない姉さんだが、いきなり女狐ってどうしたんだ。俺には決して向けることのない冷たい視線は真っ直ぐに亜梨花を射抜いている。久しぶりという言葉が気になりはしたが、流石に姉さんから亜梨花を庇おうとして……直後に亜梨花から返された言葉を聞いて俺は動きを止めた。


「おはようございます。お久しぶりですね“女郎蜘蛛”さん」


 ……おや?

 すまない、ちょっと目の前で行われるやり取りに頭の整理が追い付かないんだが……え? 今亜梨花は姉さんに向かって何て言ったの? 聞き間違いでなければ女郎蜘蛛とか言ったような気がしたんだが……女狐、女郎蜘蛛……確かにお互いそう言った……よね?


「……二人とも――」

「なあに?」

「どうしたの?」

「ひっ!?」


 二人とも全く同じタイミングで俺に視線を向けたものだから思わず情けない悲鳴が出てしまった。あっと声を出した姉さんが俺に近づき抱きしめてくる。


「あああああっ!!」


 聞いたことがないような亜梨花の悲鳴、姉さんがクスクスと笑うように口を開く。


「ごめんね蓮。あんな怖い目を向けられたら怖いわよね?」


 いやそれは姉さんも……その瞬間グッと腕を引っ張られる。姉さんの抱擁から抜け出たかと思ったら今度は亜梨花に抱きしめられる形に。


「大丈夫だよ蓮君。私が守ってあげるからね? あんな目を向けてくる怖い人なんかに――」


 いやだから君も……はぁ、疲れた。

 何だろう、最初はどうなることかと思ったけどこの二人を見てると大丈夫そうに思えてくるな……息が合ってるというか、元から知り合いのような雰囲気だ。

 俺を抱きしめている亜梨花に射殺すような目をしていた姉さんだったが、一つ溜息を吐いてその威圧のようなものを解く。


「亜梨花、色々とお互いに話すこともあるでしょう。その内時間を作りましょう」

「えぇ、こちらこそお願いします。蓮君のことを任せてくださいと改めてお話をしないとですから」

「あ? 冗談は寝て言いなさいよクソガキ」

「あら、耳が遠くなりましたかオバサン」


 ……今日の授業は何だったかなぁ。

 現実逃避する俺だったが、家の奥から兄さんもこちらを見ていることに気づいた。助けてくれという視線を送るが、兄さんは小さく首を振って消えてしまった。


「……姉さん、学校に行くから。亜梨花もほら」


 二人の間の空気に耐えられずそう口にして俺は歩き出す。俺の後ろを慌てて追いかける亜梨花、そんな時姉さんが俺を呼び止めた。


「蓮」

「何?」


 振り向いたその直後、俺の頬に姉さんが唇を当てた。


「ふふ、いってらっしゃいのキスよ。勉強頑張ってね」

「……おう」


 マズい、不意打ちすぎて呆然としてしまった。口を大きく開けて言葉を失う亜梨花を鼻で笑った姉さんはそのまま家の中へ戻っていった。

 何とも言えない空気に取り残された俺と亜梨花だったが、亜梨花がスッと動いて姉さんが触れた方とは違う頬に同じようにキスをしてきた。


「こ、これで同点だから! ほら、早く行こう蓮君!!」

「お、おう……」


 何だろう、嬉しさやトキメキよりも疲れの方が大きいと感じてしまうのは。

 それから暫く会話もなく歩いていたが、ある程度すればどちらかともなく話を振ることに。少しして若干の気まずさは残ったが普通に話せるようになった。


「亜梨花は姉さんと知り合いだったのか?」

「うん……結構前に会ったことあるんだよね」

「へぇ、それは知らなかったな」


 ……亜梨花の様子からそれだけではなさそうだ。嘘を言っているわけでもなさそうだし、かといって本当のことをそのまま言っているというわけでもなさそうで……うん、詳しくは分からない。けどこうして一緒に歩いていると色々噂をされそうだし、有坂がどう思うのか想像するだけでも胃が痛くなりそうだ。


「あ、蓮君。彰人君のことを気にしてるならその心配はいらないよ?」

「どうして?」

「ちゃんと話はしたから。芽は摘んでおかないとだからね」

「……どういうこと?」


 その言葉の意味を俺は学校に行って知ることになるのだった。

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