麻美の想い

 姉さんに部屋に呼ばれて早々押し倒されたでござる。

 いつもの揶揄いというか、少しばかり行く過ぎた姉弟としてのスキンシップとは思ったが……どこか覚悟を決めた目に思わず反応に困ってしまう。

 さっきの夕飯の途中で何かを思い出したような姉さん、それからの雰囲気の変わりようは今も続いている。こう言っては何だが、今までよりも姉さんの感情が伝わってくるような気がしたのだ。


「蓮、好き。本当に好き」


 そう言って姉さんは俺の頬に自身の頬を当ててきた。スリスリと姉さんという存在をマーキングするかのようなそれに俺は何と言葉を掛けたらいいのだろうか。……ただ、こうして姉さんからのスキンシップが色々な意味でヤバいというのは間違いないが、こうして密着しているからこそ気づけることもある。姉さんは何か安心を求めている、俺はそんな気がしたんだ。


「姉さん」

「蓮?」


 今にも顔が触れてしまいそうな至近距離で姉さんと見つめ合う。姉さんは頬を赤くして目を閉じたのだが、残念ながら姉さんの期待に応えるわけではないんだなこれが。俺は目を閉じた姉さんの顔の後ろ、つまり頭に手を添えるようにして胸元に誘った。


「え? ……蓮?」


 違うそうじゃない、そんな声が聞こえてきそうだが俺はそうしたかった。だって姉さん、少し無理をしているようにも見えたから。


「ちょっと落ち着こうよ。姉さん、どこか無理してない?」

「な、何のことかしら……」


 ……いや分かりやすすぎるから。

 俺の表情を見て姉さんは狼狽えていたが、すぐに見抜かれたと思ったのか小さく溜息を吐く。そして俺の胸元に顔を置いて大人しくなった。


「……ねえ蓮、横で一緒に寝てもいい?」

「この体勢から変わるならお願いしたい」

「ふふ、それもそうね。ちょっと急ぎすぎたかなぁ」


 俺の上から退いて姉さんは横になった。元々ここは姉さんの部屋でそのベッドの上なのだから俺の許可はいらないんだけどな……まあ姉さんが退いてくれたのだから良しとしよう。隣に移動した姉さんは俺の顔をずっと覗き込むようにしている。


「そんなに俺の顔が見たいの?」

「うん。出来るならずっと見ていたい。それこそ蓮を部屋に閉じ込めて永遠に見ていたいわ」

「冗談だよね?」

「冗談……そう言いたいけど、少し目を離すと蓮は遠くに行ってしまいそうだから」


 ……まただ。遠くに行ってしまいそう、そう言った時の姉さんは何かを堪えるような感じだった。そんな雰囲気を感じるとさっきの泣いていた姉さんを思い出してしまう。俺は傍に居る姉さんの手を取るように握りしめた。


「蓮?」

「……何となく、姉さんが辛そうだったから」


 姉さんが何に苦しんでいるのか俺には分からない。だから俺に出来ることはこうして姉さんの傍に居てあげることと、姉さんが許すのなら話を聞いてあげることくらいだ。


「蓮は……」

「うん。なに?」


 姉さんの言葉に耳を傾ける。姉さんは少し戸惑いながらも言葉を続けた。


「大切な人が死んでしまったとしたらどうする?」


……えっと、それは一体どういうことなんですかねと。たぶん今の俺はポカンとした顔をしているはずだ。しかし姉さんの表情はいたって真剣、だからこそそのような唐突な問いかけではあったが俺はちゃんと答えることにした。


「絶対に悲しむと思うよ。俺だけじゃなくてみんなそうだろうけど」


 言葉を選んだとか無難な答えをしたとかそんなつもりはない。素直に俺はこう思うと考えたからこその言葉だ。姉さんの俺の言葉を聞いてそうだねと頷き、再び俺の腕を抱くように身を寄せて言葉を続けた。


「少し独り言を話すから……気持ち悪くなったらやめろって言ってね」

「うん」


 それから俺は姉さんの話を聞いていた。

 遠い世界の話、それこそ夢のようなものだと前置きがあって話は始まった。ここと似た別の世界で姉さんと兄さんはもちろん俺も一緒に過ごしていたらしい。家族三人で過ごしていく日々、ずっと続くと思われたその日常は俺という存在が消えてしまったことで終わりを迎えたのだと。


「蓮が居なくなってから私は生きてはいたけど死んだようなものだったみたい……涼にそう言われたわ」

「……………」

「ふふ、最後まで聞いてくれてありがとね。正直途中で笑われたりするものだと思ってたから」


 笑うつもりなんてないし途中で終わらせるつもりもなかった。姉さんの口から聞いたもう一つの世界の話、どこか他人事とも思えなかったし何より……今の俺にとって“二つの世界”という言葉は決して意味のないものではないからだ。


「さっきまでの私はそれを覚えてなかったけど、きっと心のどこかで蓮を求めていたんだと思う。失ってしまったあなたが傍に居る、その幸せな生活を手放さないようにと無意識に」


 ……つまりそれほどに姉さんは俺を……神里蓮という存在を大切に思っているということだ。瞳を閉じて何かを考え込む姉さんを横目で見つめながら俺は自分自身に小さく問う。


(俺自身も同じだろう? 幼いころからの記憶は……両親に関してはあまり覚えてないけど、姉さんと兄さんが俺を慈しんでくれた記憶はちゃんと残ってる。……あぁそうだ。たとえ姉さんたちが俺の知るあのキャラだとしても、もう俺はこの人たちを他人とは思えないんだ)


 少し前まで姉さんに対して複雑な気持ちを抱いていたのは本当だ。けれどこうして姉さんと……もちろん兄さんもだが一緒に過ごしていると心地良いんだ。今まで姉さんたちと過ごしていた日々は嘘じゃない、確かな家族としての繋がりを感じられるからこそ俺も……この人たちが大好きなんだ。


「よいしょっと」

「蓮?」


 小さく声を出して俺は起き上がった。姉さんも同じように体を起こして俺の顔を見つめた。俺は小さく深呼吸をして、見つめてくる姉さんを見つめ返すようにしながら口を開いた。


「ありがとう話してくれて。その上で俺は姉さんに伝えたいことがあるよ」

「?」

「俺は大丈夫だ。姉さんを残してどこかに行ったりはしない」


 俺の言葉を聞いて姉さんがハッと息を吞んだ。身も蓋もないことを言うけど未来がどうなるかは分からない、病気になってしまうかもしれないし姉さんが話してくれたように事故に遭うかもしれない。だからこうして約束するのは無責任かもしれないけど、それでも俺は姉さんに伝えておきたかった。


「姉さんは不安だったんだな。その世界のように俺が居なくなってしまうかもしれないって」

「……………」


 その沈黙は肯定と見て良さそうだ。その様子に苦笑した俺は姉さんの肩を掴んでこちら側に引き寄せる。


「きゃっ!?」


 今までに聞いたことがない可愛い声を出して姉さんは俺の腕の中に収まった。不思議だな……姉さんは俺にとって大きな存在だったのに、こうして腕の中に居る姉さんはとても小さく感じる。人間誰もが抱える不安という感情に怯える姉さん……そうだよ、姉さんだって一人の人間だ。そして、俺にとって掛け替えのない大切な家族の一人なんだよ。


「こんなことで姉さんが安心出来るかは分からないけど、不安になったらいつでも言ってほしい。姉さんは俺にとって何よりも身近な存在で、いつまでも笑っていてほしい大切な家族だから」

「っ!?」


 少しクサい台詞だったかな、けど嘘偽りのない俺の気持ちだこの言葉は。おずおずと背中に回される手、そして姉さんは俺の腕の中で涙を流した。その涙は悲しみというよりもどこか救われたような、そんな何かを俺に感じさせた。


「当然のことだけど、本当に大きくなったわね蓮は。守らないとってずっと思っていたけど、逆に私を守ってくれるくらいに立派になっていた」

「守ったって言われてもまだ何もしてないような……」

「心よ。蓮は私の心を守ってくれたわ」


 ……そういうものなのかな。

 それから暫く姉さんは俺から離れずずっとくっ付いていた。そしてやっと落ち着いたのか身を離してくれたけど、赤くなった目元を指摘した時姉さんは照れるように下を向いた。


「あ、あまり見ないで。お姉ちゃんなのに弟の胸で泣くなんて……確かに物凄くご褒美ではあるんだけどね? でも情けない姿だからやっぱりあまり見てほしくないし」

「今更過ぎないそれ」

「お姉ちゃんだから見栄を張りたいのよ~!!」


 ポカポカと胸を叩いてくる姉さんに思わず苦笑する。気のせいか弟と姉というよりは対等な存在のやり取りにも思えてしまうなこれは。


「……でも」

「うん」

「蓮が私の心を守ってくれたっていうのは本当よ。だから――ありがとう」

「っ」


 思わず、実の姉ということを忘れてその笑みに見惚れてしまった。姉さんはとても綺麗だし、笑顔は今までに何回も見てきた。でもそのどの笑顔よりも奇麗な微笑みに心臓が高鳴ったのだ……なるほど、流石は魔性の女だこの人は。


「あら、蓮ったら顔が赤くなってない? お姉ちゃんに見惚れちゃったのかしら」

「う、うるさいよ」

「ふふ♪ 形勢逆転攻めるべし!!」

「うぇっ!?」


 思いっきり腕を引っ張られて体勢を崩された。再びいつものように姉さんの豊かな胸に誘われた形になったが、姉さんこの体勢好きだよね本当に。


「このまま絆されて私を襲ってくれたりするともう最高なんだけどなぁ」

「確かに姉さんは素敵な女性だけど流石に……ねえ?」

「……あぁそっか。そうよね、蓮は知らないのよね。まあ私と涼もそれを知ったのは“あの後”だったから無理もないか」

「?」


 何だ? 姉さんは何を言おうとしてるんだろうか。


「……何でもないわ。でも、その内蓮にも話はすると思う。調べることもあるし」

「う~ん?」

「ねえ蓮」

「なに?」

「蓮はお父さんとお母さんのこと、どう思ってる?」

「それは……」


 父と母のこと……か。親不孝な言葉かもしれないけど、あまりに両親との思い出が無さ過ぎて今更どう思うとかはないんだよな。そもそもその寂しさの隙間を埋めてくれた大切な存在がすぐ近くに居るからそれも仕方ない事なんだろう。


「今となっては特に何も思わないよ。姉さんと兄さんが傍に居るからさ」

「そっか」


 本当にどうしたんだろう。

 取り合えずこの話は一旦終わりを迎えることとなった。今日この日、亜梨花と姉さんの変化は間違いなく俺の日常に大きな何かを齎すのだろう。それが怖いと言えば怖いけど……ま、なるようにしかならないか。




「じゃあ次は蓮の学校でのことが聞きたいわ」

「そんな話すことないけど……」

「お友達のこととか聞かせてよ」

「友達か……まあ普段つるむのは三人くらいだけど」

「どんな子たちなの?」

「渡辺健一っていう漫画とゲームが好きな奴。斎藤宗吾っていうスポーツ馬鹿。新城由香っていう宗吾の彼女くらいかな。んで亜梨花くらいか」

「へぇ……渡辺君は分かるけど、斎藤君と新城さんか」

「宗吾と新城さんがどうかしたの?」

「……ううん、何でもないわ」

「そう?」

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