第13話 思わぬ密告
初めて触ったライハナの手は、日頃の鍛錬のせいか、硬くてがさがさしていた。けれど、じんわりと温かかった。なんだか心までふわっと温かくなるような、不思議な気持ちがした。
「ライハナ……」
チリーノが見上げると、ライハナはすぐに手を引っ込めて、両手で顔を覆った。
「ライハナ?」
「〜〜〜っ」
「どうしたの?」
「〜〜〜っ!」
ライハナはガバッと茶碗を持ち上げると、残ったお茶を全部飲み干してしまった。
「ごちそうさまっ! 後はゆっくりくつろいでいてくれ、チリーノ!」
そう言い置くと、ライハナは大股でチリーノの部屋を出ていった。精霊たちが急いでそれに続く。
「え、ライハナ?」
残されたチリーノはなんだかわけが分からず、自分の手を見た。
「ライハナ、どうしたんだろう」
呟きは広い部屋の中に心細そうに溶けて消えた。
この部屋は最初に案内された捕虜の部屋よりも更に豪奢だった。
壁の装飾もずっと凝っていて細かいし、ヴェールの素材も格段に良いのが分かる。絨毯の文様もより複雑だ。ベッドは大きいし、クッションの数が尋常ではないほどある。そして今座っているソファの布の肌触りも詰め物の座り心地も抜群に良い。
広い部屋には慣れ切っていたけれど、この国の調度品には慣れない。慣れないものの中で一人で取り残されるのは寂しい。
少しでもくつろげないものかと、チリーノは恐る恐るベッドに腰を掛けてみた。驚くほどふわふわで、チリーノは感心した。カルメラ王国の最上級のベッドでもここまで寝心地はよくないだろう。一体どんな技術が使われているのか。
チリーノがしばらくぼんやりと座りながら、ヴェールの向こうのガラス越しに空の色を眺めていると、するりと扉をすり抜けて侵入してきたものがあった。
水の精霊レマだった。
「? 何か用?」
「ええ」
精霊は何故か声をひそめていた。
「これから私が言うことを、ライハナに知られちゃ駄目よ」
「? 分かった。どうしたの?」
「ライハナはね……」
精霊は言葉を切った。充分すぎるほどの間を取ってから、精霊はチリーノが予想だにしていなかったことを告げた。
「チリーノに恋しているのよ」
「え?」
「だからさっきも態度が変だったのよ」
「えええっ?」
「しーっ」
精霊は近寄ってきた。
「本当はこのことはライハナ自身が伝えるべきだと思うのだけれど、ライハナのあの調子じゃ絶対に間に合わないわ。だから私たち三人で内緒で協力することにしたのよ」
「待って。ライハナが僕のことを好きってこと?」
「そうだけど?」
「ええええ……?」
チリーノは困惑した。
チリーノにとって恋愛感情とは、政略結婚の先にあるものだった。父にとって都合のいい相手と結婚して、その相手を後から好きになるものと決まっていた。そして自分には第一王子だという以外取り柄が無いとチリーノは思っていた。勇猛果敢でもないし、軟弱者で頼りがいのない男だと。王宮では居眠り王子として蔑まれてすらきたのだから、余計にそうだ。
だから、打算なしに自分を好きになる人が現れるなど、想像したことも無かった。
「僕のことを好きになる人なんているの?」
「呆れた王子様ね」
精霊は腰に手を当てた。
「七つの歳のころから秘密の逢瀬を重ねていて、少しも相手のことを意識しないなんてこと、ある? あなたはライハナのことを魅力的だと、一度も思ったことがないのかしら?」
「そ、そりゃ素敵な友達だと思っていたけれど」
「本当に? ただの友達?」
「ただ一人の友達……」
「それって、特別な存在ってことじゃないの?」
「う、うーん」
チリーノは思い悩んだ。
これまでライハナをそういう目で見たことは多分ない。だが言われてみると、ライハナのことがただの友達以上に好きなのは事実だった。
この思いは、大きい友情なのか、それともほのかな恋なのか?
難しい顔をしているチリーノを、精霊はいくらか満足げな様子で見下ろした。
「そうやって悩むといいわ。これで少なくとも、ライハナを恋愛対象として意識するっていう選択肢が、チリーノの中にできたんだから。じゃ、あんまり長くライハナのもとを離れていると怪しまれるから、私はそろそろ戻るわよ」
「あ、うん……」
チリーノはふわふわと飛んで部屋を出て行く精霊を見送ると、ベッドに仰向けになってクッションに頭を沈めた。
そしてさっきのライハナよろしく、両手で顔を覆った。
「ライハナが、僕のことを、好き」
小声で呟いてみる。改めて言うと非常に恥ずかしかった。そして困惑は深まる一方だった。
「僕はどうすればいいんだろう」
そもそもライハナと直接会えるのは、父が身代金を用意するまでのわずかな間。おそらく百日にも満たない。その後はまた魂だけの存在として会うことしかできなくなる。そんな儚い間柄なのに。
でも、ライハナをつっぱねることができない自分に、チリーノは気づいていた。
ライハナの恋情を否定して、今までの関係が壊れるのは嫌だ。せっかくライハナが、奴隷とはいえ対等に今まで通り接してほしいと言ってくれたのに。
「僕は、ライハナが、好き?」
考えていると頭がぐるぐるしてきた。
「っていうか……次から僕はどんな顔してライハナに会えばいいんだろう……」
これは重大な問題だった。あの精霊が言ったことはライハナには秘密なのだから、チリーノがライハナの気持ちを知っていることは隠さねばならない。だが少なくともライハナのことを憎からず思っている自分が、果たしてギクシャクすることなくこれからもライハナと接することができるだろうか。
「うああ~」
恋愛のことで悩むなんて人生で初めてだった。チリーノはベッドの上で足をばたつかせた。
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