第12話 本物との対面

 ライハナはどこか雲を踏むような気持ちで、絨毯の上を歩いて、チリーノの向かいのソファに腰掛けた。精霊たちがその周りを自由に漂っている。


「来てくれてありがとう」

 ライハナは言った。

「……うん」

「ようやく本物に会えてとても嬉しいよ」

「うん……」


 チリーノは恐縮したように、遠慮がちな笑みを浮かべている。


「どうした? 緊張しているのか? いつもはもっと気楽に振る舞っているじゃないか」

「だ、だって……今は立場が違うよ。僕は捕虜で、君の奴隷なんだから。今まで通りにはいかないよ」


 ライハナは一瞬、硬直した。

 今まで通りにはいかない?

 それは、友達ですらないということか?

 チリーノの中では、ライハナとの間柄は、主人と奴隷という契約関係でしかなくなったということか?


「そんなことは気にするな」

 ライハナはこわばった口で言った。

「私は、あんたとの関係を……その、壊さないために、こうしてあんたを買ったんだ」

「え……どういうこと?」


 チリーノは心底わけがわからないといった様子だった。


「僕たち、これまでは対等な秘密の友達だったけど……今日からしばらくは身分に大きな差があるんだよ」

「……あんたの国で、捕虜や奴隷がどんな扱いを受けているか、耳に挟んだことはあるが」


 ライハナの声は萎んでいた。


「シェリン帝国では……奴隷に寛容であることは美徳とされる。だから奴隷にも豪華な品が与えられることがあるし、奴隷身分の者が高い地位につくこともある。かくいう私も元は奴隷だった。今は解放されているが」

「あ……そっか……」

「ましてやあんたは王子だ。だから……あんたには賓客用の部屋が与えられるし、貴人のためのもてなしを受けられる。そして今、私からあんたに命令することがあるとすれば、それは……どうかこれまで通り、心置きなく接してほしい、ということだけだ。……分かってもらえただろうか」

「……」


 チリーノは息を吸い込むと、ふうっと吐き出すと同時に肩の力を抜いた。


「分かったよ」


 その顔にはいつもの柔和そうな笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、これまで通りに話すよ」

「ありがとう」


 ライハナはほっと安心して、微笑んだ。


「改めて、こうして直接会えたことを嬉しく思う」

「僕もだよ」

「うん。……少し待ってくれ。今、茶と菓子を用意させる。ゆっくり話をしようじゃないか」

「本当? 僕、この国のお茶とお菓子、好きだなあ」

「それは良かった」


 ライハナは扉の近くの呼び鈴を鳴らした。すぐに召使いが顔を出す。


「何か御用でしょうか」

「お茶と茶菓子を二人分」

「かしこまりました」


 しばらくして、熱々のお茶と、焼き菓子の盛り合わせが運ばれてきた。

 シェリン帝国の王宮で飲まれる茶は甘い。山羊の乳と、輸入した砂糖とを入れて、よくかき混ぜて飲む。その風味に合うように、焼き菓子の甘さは控えめで、歯応えのある食感だ。

 チリーノが美味しそうに茶を飲み、菓子を頬張るので、自然とライハナの口元は緩んだ。好きな人が美味しそうに飲み食いしているのを見るのは幸せなことである。

 二人はにこにこしながら他愛ない話をしていた。ところが、ライハナが茶碗を持ち上げている隙に、三人の精霊たちがライハナから離れて、チリーノの方へ行った。

 そしてその腕や頬に、ぺたぺたと触り始めた。


「ちょっと」


 ライハナは慌てた。そんな、許しも無いのに気安く触るなんて、羨ま……否、畏れ多い。


「失礼だぞ、あんたたち。やめなさい」

「あはは、構わないよ」

 チリーノはくすぐったそうに笑う。

「君たちってこんな感触なんだね。ちっちゃくて、ひんやりしてる。うちの国にはこういうものっていないから、新鮮だなあ」

 それから首を傾げた。

「この国でも精霊は君の周りでしか見かけないね。どうして?」

「ああ……」


 ライハナは茶碗を机に置いた。


「精霊は、基本的に人間の前に現れない。私のような魔法の持ち主に懐くだけで」

「へえ……? でも、僕にも懐いているね」

「そりゃあ、あんたも前からこの子らと遊んでいたからじゃないか」

「違うわよ」

 木の精霊リマが言った。

「私たちはライハナを応援しているんだから」

「応援?」

 チリーノが再び首を傾げる。ライハナは慌てた。

「な、何でもない。応援っていうのは……その……そう、生身で会えたらもっと仲良くなれるかと、私は思っていて、それで……」

「そうなんだ」


 チリーノは両手のひらを揃えて出した。精霊たちはその上に座った。


「君たちは本当に仲が良いんだね」

「あら、あなた、話聞いてた? 今はチリーノがライハナと仲良くなるべきなのよ?」

「そうよ、そうよ」

「ほら、その手をもっと前に出して」


 精霊たちは手のひらの上から浮かび上がって、チリーノを促した。


「手を、前に?」

「そうよ」

「? あんたたち、何を言ってるんだ?」

「ライハナもぼーっとしてないで、手を出しなさいよ」

「え?」


 ライハナはいつものように精霊に片手を差し出した。すると三人の精霊が揃ってライハナの手を引っ張った。


「うわっ」


 ライハナの右手が、チリーノの両手の上にぺたんと触れた。


「……っ!?」


 ライハナの頭は、たちまち混乱の中に陥った。

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