第2章
第11話 奴隷の購入
ライハナは恥ずかしいのを必死で我慢して、いかにも冷静といった態度で、魔王アリージュに要望を奏上した。
捕虜として捕らえたカルメラ王子チリーノを、己が奴隷として購入したい、と。
周囲には一般騎士や魔法騎士、高官らが居並んでいて、ひそひそと何やら言い交わしている。
アリージュはヴェールの向こうの玉座で、フフンと面白そうに笑った。
「敵国の王子の身柄ともなれば、我が所有するのが筋というもの。それをわざわざ買い上げたいと申すか」
「はい。差し支えなければお譲りいただきとうございます」
「差し支えはない。が……ターリクから聞いておるぞ。ライハナよ、お前は、かの王子のことが気に入ったそうではないか」
周囲のざわめきが大きくなった。ライハナはさすがに我慢しきれなくなり、赤面した。
「……恥ずかしながら、その通りにございます」
アリージュはまたフフンと笑った。
「買い上げてどうする。王子の身柄のためならば、必ずやカルメラ王から身代金が支払われる。遅かれ早かれ、王子は母国に帰すことになろうぞ」
「その、わずかな間でも構わないのです」
「ほう。なにゆえだ?」
「……あの」
「まあよい。お前も年頃だ。惚れた腫れたの話もあろうて」
アリージュの言葉に、周囲からちらほらと笑い声が上がる。ライハナはますます顔が熱くなるのを感じた。声が震えそうになったが、根性でしっかりとした声を出す。
「恐れ多くも隣国の王子を相手に、出過ぎた真似は決していたしません。ただ、しばしの間だけ、そばに置くのみです。お許しいただけませんか」
アリージュは沈黙した。騎士たちや高官たちは、ざわめいたり、笑ったり、にこにこしたり、さまざまな反応を見せている。ライハナは全身が焼かれているかのような羞恥の思いに襲われていた。恥ずかしさのあまり、一刻も早くこの場から逃げ出したかった。
「……よかろう」
アリージュは言った。
「ライハナ、お前にチリーノ王子の身柄を売り渡そう。相応の金額を払えば、かの者はお前の好きにしてよい」
「……!」
「ただし、出過ぎた真似はせぬというそなたの言葉、違えるなよ。奴隷とはいえ、決して無礼な振る舞いはせぬように」
「はいっ。もちろんです。ありがとう存じます。ご厚情を賜り感謝申し上げます」
ライハナは深々とぬかずいた。そして、周囲の人々のざわめきの収まらぬ中、虚勢を張って毅然とした態度で玉座の間を辞した。
「やったわね!」
木の精霊リマが話しかけた。廊下を歩きながら、ライハナは安堵の溜息をついた。
「ああ。……良かった」
「これでチリーノと好きなように、あんなことやこんなことができるわね!」
「やりたい放題ね!」
「なんでも命令できるのだものね!」
「こら」
ライハナはたしなめた。
「無礼な真似や出過ぎた真似はしないという約束だぞ」
「そんなの、守らなくたって、ばれやしないわよ」
「そういう問題じゃない。……もし、主人という立場を利用して、その、へ、変な真似をしたら……」
ライハナは次第に小声になっていった。
「嫌われちゃうかもしれないじゃないか……」
まあ、と三人の精霊たちは顔を見合わせた。
「ライハナは純情ね! 誠実なのね!」
「奥ゆかしいのね! 控えめなのね!」
「普段の勇ましい態度はどこへ行ったのかしら!」
「う、うるさい」
ライハナは言った。
「とにかく、余計な真似はしない。ちょっとの間、一緒にいるだけでいいんだ。あんたたちも、そのつもりでいてくれよ」
「分かったわ!」
「見守るわ!」
「応援してるわ!」
かくして、チリーノ購入の手続きはその日中に滞りなく行われることとなった。仲介の役目の官吏の者が言うことには、チリーノは従者のプラチドも一緒がいいと言っているそうなので、従者の身柄も併せて購入する。恐ろしい額の出費になったが、常日頃から戦争で活躍しているライハナには貯蓄がたくさんあったから、余裕を持って支払うことができた。
手続きが済み、チリーノたちの新しい部屋も決まった。ライハナの借りている三つの部屋のうち一つをチリーノに明け渡す。その部屋より少し離れた場所にある等級の低い空き部屋が従者の部屋だ。
翌日、チリーノが引っ越してくる日。ライハナは鮮やかで温かみのある黄色の服を着た。黒髪を軽く編み込んで一つに結い上げ、白い造花の髪飾りを差す。慣れない化粧を薄くつける。
書物を手にソファに座りながら、そわそわと待つ。
やがて部屋の扉がノックされ、召使いが現れた。
「失礼します。チリーノ様がご到着されました」
「分かった、今行く。伝達ご苦労」
ライハナは胸を高鳴らせて立ち上がると、すたすたと隣の部屋に向かった。
繊細な彫刻の施された扉の前で、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
なるべく、普段通りに。そう、いつもチリーノが魂を飛ばしてやってくる時と、同じような態度で。なおかつ、凛と姿勢を正して、立ち居振る舞いに粗相がないように。
意を決してノックをする。
「はい」
どこか緊張したようなチリーノの声が答えた。
「ライハナだ。入ってもいいか」
「あっ……」
チリーノの声が若干明るくなった。
「どうぞ、入ってください」
ライハナはもう一度深呼吸をすると、ドアノブを捻って扉を開けた。
豪奢な部屋の真ん中のソファには、シェリン風の綺麗な衣装を身につけたチリーノが、ちょこんと不安げに座っていた。
可愛い、とライハナはほとんど反射的に思った。
ついに、この可愛らしい王子チリーノと、生身で正式に対面する時が来た。
ライハナの夢が叶った瞬間だった。
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