第9話 勝利への貢献


 捕虜を置いておく天幕を去りながら、ライハナは拳を握って喜びを噛み締めていた。

 やった、作戦がちゃんと成功した。

 あとは、捕虜の身柄をライハナが買い上げることさえできれば……。


 実はこれが一番難しいかもしれない。敵国の王子様を奴隷にするのに、魔法騎士団の二番手という肩書きで足りるかどうか。


 だがその心配は後だ。まずは仕事を……戦の目標を達成しなければ。勝利に貢献すればチリーノを買える確率も上がるというもの。


 ライハナは馬に乗った。服装もいつものゆったりめのものではなく動きやすいものにしているから、乗馬などわけない。

「行くぞ、皆」

 ライハナは精霊たちに向かって呟いた。

「はあい!」

 精霊たちは声を揃えた。


 馬を駆って最前線へ。途中、ハーキムが炎で攻撃を仕掛けているところに会った。


「ハーキム!」

「ああ、ライハナ」

「これから嵐を起こして敵を退ける。あんたの魔法じゃ不利になるから、下がって良いぞ」

「分かった。嵐が起こり次第、炎を消すよ」

「よろしく頼む」


 ライハナは片手を手綱から離し、精霊たちに手を差し伸べた。


「ルマ、レマ、力を貸してくれ」

「分かったわ!」

「喜んで!」


 晴れ渡った空にもくもくと黒雲が湧いた。強い風が吹き付け始めた。ほどなくして、暴風雨となる。……敵陣営だけが。

 カルメラ戦士たちは強い雨に打たれて戦意を喪失し、強い風に吹かれてじりじりと後退を始める。一方のシェリン戦士たちは晴天の下、意気揚々と前進する。


「ルマ、もっと強い風で敵を吹き飛ばせ! リマ、追い討ちに長いツルで敵をまとめてひっぱたいてくれ」


 哀れ、カルメラ戦士たちはあまりの強風に耐えきれず宙を舞った。そこにツルの鞭が容赦なく襲い掛かる。これでは、戦うどころではあるまい。


「いつ見ても呆れるほど強いね、ライハナの魔法は」

 ハーキムが馬上から声をかける。

「一人でこれだけの敵を相手にできるんだから、俺たちの立つ瀬が無いよ」

「立つ瀬も何も、勝てれば何でもいいだろう」

「……ま、そうだね」

 ハーキムは肩を竦めた。


 ライハナの魔力を得た風の精霊ルマの力は凄まじく、敵の軍隊をまとめて聖地エルリスから追い払うまで止まらなかった。

 最後の数百人を暴風で領外に吹っ飛ばしてから、ライハナはようやく攻撃の手を緩めた。エルリスとカルメラの境界線は川で区切られているので、ここからまた川を越えて攻めてくるのは至難の業だろう。折しも水の精霊レマの力で川は増水している。


「これで一丁上がりだな」

「お疲れ様、ライハナ」

「ありがとう、ハーキム。……私は戻る。ハーキムは、念のためここで敵を見張っていてくれるか」

「いいよ」


 ライハナはくるりと馬を方向転換させると、やや早脚で歩かせた。

 早く、早くチリーノたちの様子を見に行かなくては。

 はやる気持ちが溢れて、ライハナは馬を疾走させていた。シェリン戦士たちが不思議そうにライハナを振り返る。


 捕虜たちのいる天幕まで乗り付け、急いで中の様子を見に行く。チリーノたちは……そこにはいなかった。


「……」


 ライハナは見張りの戦士の元につかつかと歩いて行った。


「ちょっといいか」

「な、何か御用ですか?」

「ここにはカルメラの王子がいたと思うが、彼らはどこへ行った?」

「ああ……捕虜として一足先に帝都にお連れしているところです」

「移動中ということか」

「はい」

「そうか。……分かった。ありがとう」


 ライハナは天幕を出た。

 出遅れたらしい。できればもう一度、一目会いたかったが、遅かった。

 だが構わない。帝都に向かったということは恐らく魔王アリージュが王宮で身柄を預かるということ。王宮にはライハナの住居もあるから、いずれは同じところに帰れる。


 あとは、多少無理を言って、アリージュからチリーノを買い取る。これが難関だ。


「……まずは、ターリク団長に掛け合ってみるか」


 ライハナはひとまず、宿営地に戻ることにした。天幕の中で、ターリクが帰るのを待つ。

 日が暮れる頃、ターリクがハーキムと一緒に戻ってきた。ハーキムは魔法で周囲の松明に火を灯した。パチパチと火花の爆ぜる中、ライハナはターリクの元に歩み寄った。


「お疲れ様です、団長」

「おう。いい働きだった、ライハナ」

「ありがとうございます。……それで、一つお願いがあるのですが」


 ターリクは眉を上げた。


「お前が願い事とは珍しいな。まあいい、今回の聖地奪還はお前の手柄だ。何でも言ってみろ」

「捕虜にしたカルメラの王子チリーノを、私が買いたいのです」


 ターリクとハーキムは仰天した様子だった。


「チリーノ王子を買いたいって……お前、何を言っているのか分かっているのか」

「はい」

「何でまたそんなことを」


 ライハナは俯いたが、意を決して顔を上げた。できるだけ澄ました顔を繕ってこう告げる。


「気に入りました」

「は?」

「チリーノ王子のことを気に入ったので、奴隷にしたいのです」

「ちょ、ちょっと待った」


 ハーキムが口を挟んだ。


「あの、ちびでひょろひょろでいかにも弱そうな王子を、君が気に入ったっていうのか?」

「うん」

「何でだい? 他にも、強くて頼りになる男はいるじゃないか」

「だって、可愛いから」


 ライハナは表情を崩さずに言った。


「えっ?」

「可愛いから、可愛がり甲斐があると思った」

「そ、それってどういう……」


 わっはっは、とターリクが笑った。


「よかろう。王子の身柄をただの魔法騎士が買うのは相当無理があるだろうが、俺がアリージュ様に口添えしてやる」

「ターリク団長、しかし……」

「ありがとうございます、団長」


 ライハナは一礼した。


「では、私はこれで」


 天幕の中に辞す。一人で隅っこに座って、頬を緩めた。


 それから、偉大なる魔神様に祈った。


 どうか、チリーノを奴隷として買えますように。

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