第2話 チリーノの魔法
「こら、殿下。また居眠りなさっていたでしょう」
従者のプラチドに横っ面を軽くひっぱたかれて、チリーノは目を覚ました。
「うーん……だって魔法が使いたかったんだもの」
「そのようなことより、剣の鍛錬に励んでくださいませ。王子たる者、剣の腕が立たなければ、戦場であっという間にやられてしまいますよ!」
チリーノはむくれた。
「そんなこと言ったって、僕じゃあ魔法騎士には太刀打ちできないもの」
「殿下は聖剣をお使いになれます。その力をもってすれば、魔法などねじ伏せることができますよ。ですから、早く鍛錬を」
「はあい……」
チリーノの実家であるカルメラの王家は、魔神を崇拝する国であるシェリン帝国の魔王を追い詰めた勇者の血筋である。勇者の血を引く者だけが、天神の御力のこもった聖剣を使いこなすことができる。
チリーノは王家の長男だった。カルメラ王国の王たる者は、勇猛果敢であることが求められるので、必ずと言っていいほど戦場に出る。だからチリーノもゆくゆくは戦争に駆り出されることになるだろう。内紛を収めることもあれば、外国に遠征することもあり得る。
だがチリーノは時期王として幾分頼りない面を持っていた。
まず、さぼるのが好きで、すぐに居眠りしてしまう。それに、せっかく魔法の力を持って生まれたのに、その力は戦場では役に立たない。更に、ちょっぴり気弱な性格で、勇猛果敢とは言い難い。
だからチリーノは王宮の中ではよく陰口を叩かれていたし、父親からの評価も悪かった。みんな、まだ幼い弟たちの方を有望視していて、チリーノにはあまり興味を示さない。真に味方と言っていいのはこの従者のプラチドだけ。七歳にしてチリーノはそういう己の境遇を悟っていた。
そのプラチドが言うのだから仕方がない。チリーノは木刀を掴んで重い腰を上げると、素振りを始めた。
「いーち、にーい、さーん、……」
腕を振りながら、さきほど夢で会ったライハナのことを考える。
いかにも異国の少女という雰囲気だった。
青い建物に囲まれて、青緑色のゆったりとした衣服に身を包んでいた。一つに結われた長い髪がつややかで印象的だった。顔立ちはくっきりとしていて、黒い目は吊り目がちで、どことなく凛とした雰囲気が感じ取れた。
ちょっと意外だった。
異教徒たるシェリン人はみな、恐ろしげな風貌をしているのだと聞かされていたのだが……。
ライハナが特別に美しかったのだろうか。それとも他のシェリン人もあのような美しい姿をしているのだろうか。
あんなに東の方まで飛んだのは初めてだったから、よく分からない。今度魔法を使うときは、他のシェリン人のこともちゃんと観察してみよう。
やがて日が傾き、鍛錬の時間が終わった。チリーノは運動着から、フリルのたくさんついたシャツに着替えて、夕食の席に向かった。
カルメラの国王たる父は厳格な人で、家族みなで食事を摂る時も粗相は許されない。本来なら心休まるひとときであるはずの夕飯時も、チリーノにとっては気の抜けない時間だった。
「恵みを与えたもうた天神様に感謝を。いただきます」
父が言い、みなも「いただきます」と唱和した。
緊張で胃が痛くなるほどの沈黙が降りる。ナイフとフォークを動かす手が冷たい。食べる速さも、速すぎず遅すぎず。姿勢を崩さず、父の機嫌も損ねないように。
何だか、息苦しい。
夕食後、ようやく休む時間が取れた。勤勉な弟たちは、蝋燭に火を灯して勉学に励んでいると聞くが、チリーノはそんなことはしない。特に今日は、またライハナに会いに行くと約束したのだ。さっさと自室にこもって魔法の眠りにつくことにする。
まずは魂を体から引き抜く。そして行きたい場所を頭の中で念じる。場所はかなり遠く、聖地エルリスのそのまた向こう側の見知らぬ地だけれど、ライハナの魔力の気配はさっき覚えたから、探すのは簡単だった。
ライハナは同じ中庭で、一人剣の素振りをしていた。チリーノはいっとき頭を抱え、呆れ顔で降り立った。
「ライハナ」
「あ、チリーノ」
ライハナは笑みを浮かべた。
「本当に来てくれたんだ」
「こんな時間まで鍛錬? 努力家だね」
「ううん。そんなんじゃない。またチリーノが来るかと思って、ここで待ってただけ」
チリーノは少し胸が温かくなるのを感じた。
「そんなことをしなくても、僕は君の気配を覚えたから、どこにいてもちゃんと探し出せるよ」
「本当? チリーノってすごいんだな」
「……そんなことを言うのはライハナだけだよ」
「そうなの? 本当にすごいのになあ」
「僕は王家の落ちこぼれだから。ちゃんとしなさいっていつも言われるんだ」
ライハナは目を丸くした。
「あんた、王子様か?」
「え、あ、うん……」
「カルメラ王国の?」
「うん……一応、長男」
「未来の王様だ!」
「ううん……弟の方が優秀だから、きっと僕は王様にならないよ。別になりたいわけじゃないけど」
「ふうん」
ライハナは興味深そうにチリーノの顔を覗き込んだ。
「でも、私たち、敵同士だな」
「そうだね」
「じゃあこの関係は誰にも秘密だ」
「……うん」
「あははっ!」
ライハナは嬉しそうに飛び跳ねた。
「二人だけの秘密って、どきどきするな!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます