第4話 夢想

 やってしまった。わたしは、純花さんとエッチなことをしてしまった。女同士でも、ああやってエッチはできるんだと初めて知った。

 純花さんの慣れた手つきは、わたしを簡単に頂へと導いていった。正直に言うと、とても気持ち良かった。せい君とするよりも、得られた快感は段違いだった。


「はぁ~」


 でも、ため息が止まらない。夫がいながらも、わたしは隣人の女性といたしたという事実。罪悪感と自己嫌悪のスパイラルから、抜け出せなくなっていた。

 帰り際、純花さんに言われた「また、おいで」という声が耳から離れない。

 もちろん、『また』という意味はわかっているつもりだ。行けば、同じことをされちゃうんだろう。でも、わたしの日常は変わらない。せい君の事で、少しずつストレスを溜めていく。それを吐き出せる相手は、純花さんだけ。愚痴を聞いてもらわなければ、わたしは潰れてしまう。でも、会えば再びすることになるんだろう。


「あぁ、どうすればいいの?」


 元はと言えば、自分で蒔いた種だ。そんなのはわかっている。わかっているけど、どうすればよかったの?

 答えの出ない問いが、グルグルと脳内を回っていると、いつの間にか夜になっていた。


「せい君のご飯、用意しないと」


 いつもせい君は、出来立ての料理を求めてくる。帰宅する、というメールを受けて用意を始める。

 レンジで作り置きした料理を温めたりしていると、手抜きだとかなんだとか文句を言ってくる。予め用意したものはダメらしい。これも、せい君との生活のストレスの一つだった。


「この調子じゃあ、また純花さんに吐き出すことになりそう……」


 野菜を炒めながら、彼女の顔が脳裏に浮かぶ。あの上気した頬に、熱い視線。綺麗な指先が、わたしに激しく……。


「って、何考えてるのよわたし! ほら、調理に集中しないと危ないって」


 脳内の映像をかき消すように頭を振り、フライパンの柄を握りなおした。

 それからは、何事も無かったかのように日常を過ごした。帰ってきたせい君を出迎え、出来立ての夕飯を食卓に並べる。せい君が食事をしている間に、お風呂の準備。彼がお風呂に入っている間に、わたしは夕飯を済ませる。お風呂が空き次第、わたしが入る。そして、風呂から上がったら食器の洗い物。終わったら、夜の間に洗濯機を回すために用意。

 これらが終わって、ようやくわたしは一息つける。なお、せい君はずっとゴロゴロしている模様。もう家事を分担していた頃の片鱗は、一切見当たらない有様だった。

 就寝時間になれば、せい君はさっさと寝てしまう。今日も彼は求めてこなかった。

 わたしもすぐに横になる。布団を被りながら、純花さんの言葉を思い出していた。


「放っておく旦那さんの方が酷いと思わない?」

「こんな可愛い子を旦那さんが大切にしないなら、私が愛してあげたいって」


 あの時、純花さんが与えてくれた肯定感は心地良かった。そして、わたし自身をさらけ出せる事が何よりも嬉しかった。

 今の結婚生活って、こんなにも息苦しかったんだと改めて思う。結婚前は、こんな思いをすることになるなんて予想もできなかった。どうして、こんな事になってしまったんだろう。

 頬を冷たい涙が伝う。枕に染みを作りながら、わたしは眠りについた。



 その夜、わたしは夢を見た。ベッドの上で身体を重ねる、わたしと純花さんの夢を。わたしはひたすら、めちゃくちゃに抱かれるだけだった。あんなところやそんなところを刺激され、ただ喘ぐばかり。

 快感が昇り詰めていき、最後は許容量を超えて果ててしまう。とても、幸せな気分だった。純花さんの胸に抱かれ、心地よい余韻に浸る様すらも夢には描かれていた。

 そんな夢を見るものだから、朝起きたら変な気分になってしまった。どこか浮ついた感じになり、思い出すのは昨日の事と今日の夢。胸の奥が疼いてしょうがない。


「夢にまで見るなんて、思っている以上に気持ち良かったって事よね……」


 でも、そんな事は表に出せない。いつも通りにせい君は起きてくるし、朝食の準備をしなくちゃいけない。洗濯物だって、干さないといけない。

 純花さんや夢の事を胸の奥に仕舞い、わたしは日常を徹底させる。


「それじゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい」


 特に感づかれる事もなく、せい君はいつもの時間に家を出て行った。

 安堵のため息をつきながら、わたしはスマホを手に取る。検索エンジンを開き、文字を打ち込む。

 わたしが調べたのは、女同士のセックスの仕方だった。朝起きた時から、気になって気になってしょうがなかった。

 昨日は、ただ純花さんにされるがままだった。一方的に翻弄されていたから、気にする余裕すらもなかった。でも、夢を見て改めて思った。男女じゃなくても、そういう事はできるのか。

 いや、昨日されたんだから、できるんだろうけれど。それでも、知りたいという気持ちは抑えられなかった。


「え、えぇ~」


 しばらく調べて、思っていた以上に色々と凄いことはわかった。昨日純花さんにされたことも、まだまだ序の口レベルらしい。


「初めてだからって、優しくしてくれたのかな」


 そう思うと、胸がキューンっとした。そのまま居ても立っても居られなくなり、急いでトークアプリを開く。そこから純花さんのアカウントを探し、メッセージを送ってしまった。

 内容は、今日の午後会えないかというもの。一旦スマホの画面を消し、胸に抱きしめる。

 心臓が、これほどかと言うほど高鳴っている。わたしは今、とてもドキドキしているんだ。


「こんな気持ち、久しぶりかも」


 返事が来るのを待っている様は、まるで恋人からのメッセージを待っているカップルのようだった。三十路目前で、乙女心丸出しなのは恥ずかしいけど。


「でも、こんなときめきは、せい君でも味わったこと無いかも」


 どこか甘い味のするため息が、肺から飛び出して行く。顔もちょっと熱い。きっと赤くなっているんだ。恥ずかしいけど、この時間がとっても楽しい。青春時代が蘇ったかのようだった

 そんな思いに浸っていると、スマホが突然震えた。メッセージ受信の音と共に。


「きたっ!」


 スマホの画面をつけると、通知が出ている。相手は、やっぱり純花さんだ。


『午後は大丈夫。また昨日と同じ時間に来てね』


 メッセージを読んで、頬が緩んでいく。わたしは軽い足取りで、家事や仕事を片付け始める。午後を待ち遠しく思ってしまっていた。



 良くも悪くも、純花さんはわたしの期待を裏切らない。やっぱり、またしてもわたしは抱かれた。激しく愛してもらった。

 しかも、わたし達のこの関係は、数か月にも及んでいた。さすがに毎日していた訳ではないけれど。それでも、適度にガス抜きをしてくれる。愚痴も聞いてくれるし、身体だって満足させてくれる。もうわたしは、純花さん無しでは生きていけなさそうだった。


「――いっぱい、今日もイったわね」


 肩で息をするわたし。それを見て、うっとりとした表情をする純花さん。何度目かもわからない光景を、純花さんのベッドの上で迎えていた。


「好き、好きです純花さん」


 脳内で光が点滅し、意識のハッキリしないわたしは、頑張って純花さんに腕を伸ばした。首に腕を回し、抱き寄せる。そしてそのまま、深いキスをする。わたしの心は、純花さんへの想いで一色だった。


「愛してます、純花さんのこと」


 お互いの唇に、涎が細く糸を引く。


「私も、愛してるわ瑠美ちゃん」


 数秒見つめあった後、再びキスをする。身体を重ねた後は、いつもこうして愛を囁き合うのが定番となっていた。

 もうすでに、せい君への罪悪感は薄らいでいた。最初こそ、せい君への裏切りなんじゃないかとも思っていたけれど、今は違う。満足させてくれない彼が悪い。わたしを求めてくれない彼が悪い。


「わたしの存在を肯定してくれるのは、純花さんだけです」


 人間というものは、他人から存在意義を認めてもらわなければ生きていけない。そうじゃないと、自分というものが空気になってしまうから。


「もっと、わたしを愛してください」


 甘えるように、純花さんの背中や肩を撫でる。


「わたしがここにいていい証を、許しをください」

「えぇ、わかったわ」


 純花さんは妖艶に微笑むと、わたしの胸元に顔を寄せる。

 何をするんだろう、とワクワクとドキドキで心臓が高鳴る。純花さんは、鎖骨のちょっと下に口づけをする。次に、その個所に舌を這わせた。


「――っ!」


 肌を舐められている。ただそれだけなのに、気持ちよくって背中が震える。きっと、純花さんにされるから気持ち良いんだ。

 甘美な刺激に酔いしれていると、突然違和感が走った。純花さんが口を付けている個所からだ。驚いて視線を向けると、彼女はわたしの肌に吸い付いていた。

 強く、跡を残すように。

 わたしだって知っている。これは、キスマークを付けようとしているんだ。純花さんは、わたしにマーキングをしたがっている。そう思うだけで、心が満たされる。

 それは、わたしを認めてくれているから。愛してくれている証だから。


「つけて! いっぱい、つけてください!」


 この身体は、誰のものなのか。それを、ハッキリとさせてほしかった。

 そうすることが、わたし自身を救う方法なんだと思ったから。

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