第68話 潜入②

 SCARLETの事務所兼スタジオが併設されたビルへと到着した。

 香織の指示に従い、一階で受付を済ませた俺はエレベーターで上階に向かおうとドアを閉じようとすると……

 

「あ、ごめんなさい。ちょ……」


 閉まりかけるドアの隙間から手が伸び、完全に閉まる前に開くボタンを押して挟まるのを防ぐ。

 

「ふぅー危ない危ない」


 駆け込みで乗り合わした物凄く綺麗なお姉さんが息を切らしてこちらを見上げた。

 え、確かこの人……


「急にごめんなさい」

「いえ、何階に行きますか?」

「四階でお願いします」

 

 要望通り、四階のボタンを押すと再びドアが閉まる。

 密閉された空間に美人女性と二人きりの展開。

 それになんだか妙な興奮が襲う。『う~ん』とまじまじ見られているからだろうか。


 いや、違う。

 それはこの人が俺の知る有名な女優であるからに違いない。


 名前は確か、関口真由紀。最近みたラブコメ映画で主演を務めていたから直ぐに分かった。

 チャーミングな笑顔に少し天然が入った雰囲気。笑顔だけのキャラかと思いきや現実でもそんな感じで、顔もかなり小さく思ってたよりも細く華奢な身体に内心で少し驚く。

 そんな彼女が何か考え事をしながら香織に扮した俺を疑っているのに何だかドキドキする。


「あの~三津谷香織ちゃんだよね?」

「え……あ、はい。そうです」

「やっぱり!この間のライブ観に行ったよ~って、言っても六月だけど」

「ありがとうございます」


 スゲー。こんな人もSCARLETのライブ観に来てるのか。


「三人共、凄く可愛かったよ!あ、今度のライブでもいいから写真撮らせてもらってもいいですか?出来れば衣装で!」

「はい。是非お願いします」


 すまない香織。俺の願望が出てしまった。


 しかし、本末転倒なことに俺はこの人とツーショットは撮れない。

 撮るのはあくまでもここにいる偽物の香織ではなく、何も訳を知らない本物の香織。

 そうこう話しているうちに、目的の階へ先に着いてしまった。 

 少しばかり名残惜しい貴重な時間であったが、「失礼します」と頭を下げてスタジオのある階の廊下へと降りる。


「はぁー緊張した」


 香織達が所属する芸能プロダクションは大手の芸能事務所という分類ではなく、あまり名の知らない中規模の事務所である。事業の幅は女優、モデル、アイドル、グラビア、声優と多岐に渡り、『モデル女優』『声優アイドル』『モデルアイドル』といった感じで二刀流形式で売り出していくスタイルらしく、SCARLETはその中だと『モデルアイドル』に位置する。


 調べた所、現在事務所の中の稼ぎ頭はモデル女優として人気を誇る数名の人物とSCARLET。

 中でも最も勢いがあるのはSCARLETであるらしく、リーダーで且つメンバー内でも一番人気の香織は色々なエンタメに引っ張りだこで使われていると巷で噂されていた。

 俺の知らない所でどうやら香織はかなり稼いでいたようだ。


 だが、それ以上に驚いたのは香織もあんな有名な芸能人から物凄く好かれている事実だ。

 あまり羨ましいと思わない俺でも今回ばかりは嫉妬心をかなり燃やした。


「っと、ここか。よし……」


 入り口で「こんにちは~」と挨拶を述べ、靴を脱いでそのまま上がる。

 

「あ、香織~やっと来た!」


 レッスン開始から三十分遅刻し、既に準備体操に入っていた春乃さんが俺のことを香織だと信じてこちらに向けて手を振る。ダンス講師の先生の姿はなく、スタジオには春乃さんだけであるようだ。


「ごめんなさい。遅れてしまって」

「寝坊だっけ。大丈夫?最近かなり忙しかったから疲れてない?」

「うん、平気。適度に休みは取ってるから。それよりも先生は?」

「さっき来て、麗華さんと外に出てちゃった」


 外……というと廊下か。

 麗華さんと呼ばれるプロデューサーであるあの女の人も廊下では会わなかった気がする。


「ま、取り敢えず着替えたら?」

「そうね」

「なんなら、お手伝いしましょうか?」

「したら殴るわよ」

「うーん、いけず~」


 春乃さんに何かされそうになった際の対処法マニュアルに則り、変態の魔の手を少々荒っぽい言葉で退けた。


 よし、いける。

 俺は完全に香織へと成り済ましている。

 口調も声のトーンや言葉遣いも全て、外面を良く見せようとする香織を思い浮かべて違和感なく真似出来ている。

 鋭い洞察力を持つ春乃さんですらこうして欺けている。


 いいぞ。この調子で俺は香織を演じるんだ。

 そう自信付けながらヒカリ用の練習着に着替えて準備する。

 

「あれ、それ新しい練習着?」

「ううん、ヒカリのよ。あの子、たまに家に来て洗濯して、置いていったから貸してもらったの」

「ちゃんと返してあげなよ。困るよヒカリちゃん」

「置いていった方が悪いでしょ」

「それもそっか」


 深読みし過ぎか。

 新品だと答えたら「なんか少し色落ちしてない?」と尋ねられるかと思い、敢えて回りくどい説明を付け足してみたが、別に要らなかったみたいだな。


 にしても、一言一句慎重に言葉を選ばないといけないのも骨が折れる。

 正直、もう疲れた。帰りたい。


「あら、香織着いたのね」

「はい。遅れてしまい申し訳ございません」

「いいのよ。それより、二人に講師を紹介したいの」

「新しい方ですか?」

「臨時のね。まぁ、多分あなた達は初めてではないと思うのだけど、一応紹介するわ」


 麗華さんという女性が入って来るや否や急に臨時講師の紹介へと入る。

 今の発言からすれば香織と春乃さんはどこかで顔を合わせたことがあるという人物。

 俺にとっては初めまして同然であろう人が講師であることに少し不安を抱く。


「入って頂戴」


 扉が開かれ、講師なる人物がスタジオに入る。

 ……え?

 見覚えのある髭面、見覚えのある隆起した筋肉、見覚えのある男物のレオタード。

 一目で直ぐに誰か気付いた俺は呆気に取られて口を半開きにする。


「今日から三日間、臨時講師を務める田村善男よ。親しみを込めてタムタムって呼んで頂戴」


 噓だろ……よりにもよってタムタム?

 知らない顔より知っている顔の方が落ち着くと言うが、今の俺はヒカリであってヒカリではない。

 それに歌やダンスにおいて、タムタムは個々の持つクセを瞬時に見極める目を有する。

 いくら俺が言葉遣いや声を真似ても、身体に染み付いたクセまでは誤魔化せない。

 下手をすれば、一瞬でバレかねない恐怖が頭に過ぎった。

 

「あぁ!ポーチカ専属のダンス講師の人!」

「覚えてくれてて嬉しいわ。安達春乃ちゃん」

「こちらこそ、名前を覚えてくれてるんですね」

「勿論よ。ウチにはSCARLETが大好きな子がいるからね」


 タムタムの言葉から真っ先にある人物を連想させた。


「それであなたが三津谷香織ちゃんね」

「はい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

「あら、ご丁寧にどうも。こちらこそよろしく」

「挨拶を済んだようね。二人には急な紹介で申し訳ないと思っているわ。あなた達を見てくれる先生が急遽、実家に戻らないといけないということで代講を頼んだの。安心して、指導しての実力は私が保証する」


 そう言えば、香織から予習として受け取った振付動画で曲に合わせて踊っていたのは女性の方だった気がする。恐らくそれがSCARLETの専属講師なのだろう。


「おー麗華さんにそこまで言わせるとは……中々ですね~タムタム……さん?」

「さんは要らないわ、タムタムって呼んで」

「それに、田村君を呼んだのは他でもない。二人が披露する二曲は田村君が振付を考えてくれたのだから」

 

 それは初耳……ではないか。

 あまり把握していなかったが、ポーチカのダンスも全てタムタムが一人で考えているのだろう。

 新曲と既曲の振付動画は全て唯菜がわざわざ動画にして送ってくれた。それを見て参考なまでに練習していたが、そもそもの振付師が一体誰なのかはあまり考えたことはなかった。


 いや、考えないようにしてたんだ。

 あんな女の子っぽい振付をタムタムが考案する筈ないと。

 だが、それは思い返して見れば見るほど普通である。

 なんせ、この人は外見は漢であっても中身は女なのだから。


「それじゃあ田村君、後はお願いします」

「麗華ちゃんは?」

「私は会議。社長に呼ばれてて」


 そう言い残してプロデューサーの方が早々に退室する。

 ストレッチや準備体操等は事前に済ませ、その際に【ハルノカオリ】デビュー曲の二つをある程度予習し、リズムや振付を少しばかり頭に入れたことを確認される。


「今日は一番最初のレッスンだからね。入りから始めましょうか」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 春乃さんと同じタイミングで挨拶が被ると三時間に渡るSCARLETのレッスンがタムタムの指導の下で行われた。

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