第67話 潜入①
少し時は流れ、お盆休みの期間を迎えようとしていた。
ポーチカの営業もこの間は一旦休業。
何でもジル社長とルーチェの二人は母国でもあるロシアに帰国せねばいけないため、お盆休みを迎える二日前の今日に日本から旅立って行った。
二人は一週間半以上、向こうに長く滞在するらしくその間は俺達にも休みが与えられた。
当然、ヒカリもこの間は休業。実家の青森で暫しゆっくりするという旨を唯菜に伝えて、東京~青森間の新幹線に乗って、今日帰郷している設定で通している。
「ふぅ~やっとゆっくり出来る~」
これでヒカリになることも暫くはなくなり、陽一本来の姿で気兼ねなく過ごせる。
前の休暇みたいなヘマは二度と起きない。
完全に約束された休暇を一週間以上も確実に過ごせる。
ははっ、勝った。
これはもはや完全な勝利。
さて、何をして自堕落に過ごそうかな~と考えていると……廊下の方で鈍い音が響いた気がした。
「香織、帰ってきたのか?」
何の音だろうか、気になって廊下へと出る。
そこには黒い影が廊下の中心で横たわっていた。
「え……おい、香織!大丈夫か、おい!」
「お兄……ちゃん」
意識はある。
だが、酷く疲れ切っている様子。
額に手を当てて熱を確かめて見るとかなり熱い。
「お前、風邪ひいているんじゃ」
「へーき。ちょっとクラクラするだけ」
「それは風邪をひているからだろ。ちょっと休め」
香織を両手で抱き抱え、開いたドアのベッドの上にそのまま寝かせる。
「その状態で外に出るつもりだったのか?」
見た感じどこかに出掛ける格好であった。
パジャマ姿で昼前まで惰眠に耽っていた俺と違い、香織はお盆ギリギリまで仕事があるようだ。
「今日、ライブは?」
「ない。レッスンだけ」
「なら休め。そんな身体じゃ無理だろ」
「それだと春乃に迷惑がかかる……ライブまで時間ないから合わせを練習しとかないと……」
「アホか。そんな状態で行っても余計に迷惑かかるだけだ。春乃さんには俺から電話を……」
「ダメ。お願い、行かせて」
スマホを身体の下に隠し、連絡しようとするのを阻む。
強情なまでに香織はそうはさせまいとスマホを手の届きにくい所に潜ませる。
「なんで、そこまで」
「これは私だけじゃない、春乃にとっても大事なことなの」
「新ユニットの件は唯菜から聞いた。それにお前は反対してるんじゃないのか?」
「……してるよ。柚野だけ外して二人で新ユニットなんて許せる訳ないじゃん!」
ぼぅーとする意識を振り絞って荒い息の中で香織は柄にもなく叫んだ。
余程疲れているのだろう、完全に心身が限界を迎えているのが一目瞭然。
アイドルの他にも仕事がある中でのデビューライブに向けた取り組み。香織は二人よりも仕事が多く、他のファッション誌での撮影やラジオのトーク番組でのゲスト出演等の仕事が山ほどある。
それらをそつなくこなしてはいたが、所詮は十七歳の少女。
身体が心に付いていかなくなるのも無理ない。
しまいには納得のいかない新ユニットの結成が頭を悩ませ、それで余計に疲れを溜め込んでしまう気持ちは容易に想像できる。
「ごめん。お兄ぃに八つ当たりしても意味ないよね」
「別にいい。これでチャラにしてくれんなら」
「冗談……それより、タクシー呼んでもらっていい?ギリギリまで休みたい」
「馬鹿言え、それとこれは別だ。今日は……つか、暫く休め」
「だから無理だって」
「それが無理だ。いいから寝とけ」
身体を起こそうとする香織をベッドに無理矢理寝かしつける。
余程疲れが溜まっているのだろうか、いつになく返す力が弱まっていた。
「一先ず、母さんに連絡して帰ってきてもらうようにするから」
「意味わかんない……」
「それと他に仕事はないんだな?」
「うん……お盆休み明けまではレッスンだけ」
「分かった。なら、いけそうか」
「……何する気?」
母さんに至急帰ってくるようにメッセージを打った俺は急遽、ヒカリの営業休止を取りやめる。
腕輪(リング)でヒカリへと変身した俺は以前にやった髪の毛の染色モードを実行してみる。
確か、髪の根元から毛先にかけて色を変化するイメージを腕輪(リング)に送ればいいんだっけ。
方法を思い出しながら香織の黒髪を想像して染色を行う。
即座に髪色が黄から黒へと変更し、鏡に映る自分が見た目から何まで香織とへと変わっていた。
「すげぇ……」
「いや、それ私の台詞」
目の前で起きた超常現象に啞然とした俺に香織が軽くツッコミを入れる。
「取り敢えず、見た目はこれで大丈夫か。声と口調を寄せればいけるか」
「まさか、私になりすます気?」
「見れば分かるだろ。あと、私服とレッスン着だけ少し借りるぞ。まぁ、マンションに寄ってヒカリのレッスン着を使うのでもいいか」
「出来ればそうして」
「へいへい」
マンションの部屋の鍵は俺が管理している。
ジル社長がこっちに居なくとも自由に使えるのが幸いした。
「お兄ぃ、本気?」
「お前が休みたくないって言うなら俺が代わりに行くさ。それで文句はないだろ」
なーんてね。
別に俺が香織に成り済ましてレッスンを受けに行く必要はない。
母さんが仕事から帰って来るまでの間、俺が時間を稼いで香織をベッドに寝かしつけておけば全てが丸く収まる。
それに今のは単なる演技でしかない。一見冗談かと思わせ、しっかりと髪色や髪型まで変えて本気度を見せることで多少なりとも香織は落ち着いて冷静になる。
現に俺の無鉄砲さを目の当たりにして溜息を漏らす。
そして、次にこう言うだろう。
『成り済ましてもどうせバレるんだから、今日のとこは大人しく休む』と。
「……分かった。お兄ぃの本気はよく伝わった」
「分かってくれたか」
「うん。だから、今日のレッスンは休む」
よし、いいぞ……
「だから、お願いね」
「あぁ、任せろ……って、何を?」
「レッスン。代わりに受けてくれるんでしょ」
ごめんなさい。本当は凄く嫌です。
建前と本音を逆にしてました。
なので、ここは正々堂々と本音を……
「噓だとか言わせないから」
鋭い眼光を差して逃げ場を断つ。
『はい』以外の選択肢を切られ、窮地に立たされた俺は「はい」と答えるしかなかった。
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