第27話 関わり/決意⑩
「おめでとうございます!三津谷香織さんのサイン入りTシャツです。どうぞ」
「どうも……ありがとうございます」
帰り際、一階の出入口付近に設けられたプレゼント受け渡し口へと立ち寄った。
派遣バイトか何かで雇われた女子大学生くらいののスッタフが包装されたTシャツを手渡す。白里の代わりに受け取った俺は周囲からの羨望の目に晒されるこの場から一刻も早く離脱する。
「はい、これ……」
直ぐ近くの壁に寄っかかりながら未だに死んだ魚の目のまま虚空を見詰める白里に渡す。
「あ、ごめん。ありがとう」
少しばかり気を持ち直し、感謝の言葉が返ってくるも気が抜けているのは変わらず。
白里がこうも変わり果ててしまったのは次の横浜アイドルトーナメントで香織達『SCARLET』と一回戦目で対決すると知ったことから始まる……が、気持ちは分からなくもない。
SCARLETの参加が決まり、対戦相手が発表されるまで俺も白里も自分達はこのイベントに参加しないものだと思っていた。それもあってか、完全に油断した状態での意表を突く発表に思考が一時停止したのは否めない。
特に俺の場合、三ツ谷ヒカリとしてのデビューライブがまさかのそのイベントだと知り、開いた口がライブ終了時まで塞がらなかった。
今は少し落ち着きを取り戻したが……白里は未だ現実を受け止められずにいるようだ。
「そろそろ落ち着いたか?」
「うん……大丈夫」
何が理由でそこまで動揺しているのか、俺には分からない。
こればっかりは本人の口から聞き出す他ないが、今は聞けるような雰囲気ではない。
「一先ず、外に出ないか?会場内も片付けとかあるだろうし」
濁流の如く人が外へと流れ出てていたものの、今は大分落ち着いた。
会場内に残っている人も少なくなるにつれ、スタッフが撤収作業を開始する。
その邪魔にならぬよう一旦外へ意識を身体ごと向ける。
すると、急に目の前の視界が黒く染まる。
正確に表現するなら細かい絹の糸で編まれた黒い物体が映る。
徐に首を上へと向けるとそこには黒いサングラスを掛けた見知った人物が立っていた。
「ナイルさん?」
名前に反応したジル社長専属のボディーガードマンである彼は一歩下がり、礼を示す。
「こんばんは陽一殿」
「ど、どうも。こんな所で奇遇……ですね」
自分でそう言ったものの「奇遇」という言葉に違和感を抱く。
「もしかして、ジル社長……ここ居るのですか?」
「はい。ジル様より陽一殿達を引き留めるよう言われております」
普通に考えて、ナイルさんが仕事の正装着でこの場に居るということはあの社長もこの会場内に居るのも当然の流れ。そして、ここに遣いを出したということはあの社長もこの会場内の何処か……恐らく二階の関係者席辺りからライブを観ていたに違いない。
「それでジル社長は?」
「もう直ぐこちらにいらっしゃるとのことなので暫くお付き合い下さい」
早く帰りたい。という文句も言えないまま、社長の到着を入り口広場の脇で待つこと三分。
「いやぁ~奇遇だね。二人とも~」
暢気な笑顔で手を振りながらやってくる様に内心で思い切りぶん殴りたい気持ちになった。
俺と白里が予めこのライブに参加するのを見越した上で今日の発表を仕掛けたのではないか。あの胡散臭い言葉と表情からそう直感として告げる。
それと……
「お久しぶりです。ジルさん」
三津谷陽一とジル社長はあくまでも知り合い程度という関係上の設定な筈。
二人の時ならこの設定は不要だろうが、これを有効とすべき人物が背後に控えているにも関わらず、慣れ親しんだ態度を見せるのは些か苦言を呈したくなる。
「あぁ、そうだね。久しぶりだね、三津谷陽一君」
「……お二人は知り合いなのですか?」
ジル社長の登場に気付いた白里は意外そうな顔で尋ねた。
「少し前に知り合ってね。その時に彼が三津谷香織ちゃんのお兄さんだと知って、僕の事務所に誘ったのだけど……断れてしまってね」
「……」
ありもしない過去の記憶を思い出し、残念がる仕草を見せる。
その平然と出る噓に俺は一切の反応を示さない。
「私、その話聞いてないよ」
「……言うも何も、俺は白里とジル社長に接点があるなんて今知ったんだが」
噓を噓で返すのは妥当であると言えるが、その渦中に立たされて互いの吐く噓に翻弄される白里に申し訳なく思う。
「あ~確かに言ってなかったね。ごめん、ごめん」
「いや、いいよ」
全て悪いのはいきなり俺達の前に現れたこの社長。
三ツ谷ヒカリの姿ならともかく、本来の俺のままで会えば面倒な事態は免れないとあちらも分かっている。しかし、そうまでして俺達に顔を見せに来た理由が少し気になる。
「それでわざわざこちらに来た用件は何ですか?」
「ん~特にはないけど……強いて言えば、見知った顔を偶然にもライブ中に見掛けたから感想を尋ねに来た。というべきかな」
「冷やかしに来た。の間違いでは?」
端的に且つこの社長の性格に当てはめればこの表現が正しい。
「君は妹さんのライブに参加するのを忌避していなかったかい?」
「別にそこまで嫌がってはいませんよ。それに今回は自主的に来たんじゃなくて、連れられて来ただけなんで」
「えーそんな嫌々風に言わなくてもいいじゃん。三津谷君だってノリノリで香織ちゃんのライブ観ていたし!」
いつの間にかいつも状態へと戻っていた白里が追い打ちをかけるように追及する。
「それは……周囲に流されたというか……」
「君は何だかんだ言っても妹ちゃんが好きなんだね」
着替えるタイミングを見失い、未だ『LOVE香織』Tシャツを着たままな点を指摘される。
「これは俺のじゃなくてですね……」
「あ、そのTシャツ今日付き合ってくれたお礼にプレゼントするよ。元々三津谷君にあげるつもりだったし」
頼むからこの二対一で弁明し続ける展開をどうか止めて欲しい。
一方的に不利な状況に追い込まれ過ぎて返す言葉を考える余地がない。
「要らないから。こんなTシャツを隠し持っていたら兄としての尊厳を保てなくなる」
「香織ちゃん絶対に喜ぶと思うよ」
「喜ぶ訳がない。第一にあいつ、ステージ上で俺に気付いた時にめっちゃ怖い顔で睨み……」
香織が俺に気付いた時の光景を説明する最中、白里の背後に広がる廊下の奥側からやたらと派手な衣装を纏った人物が慌てた様子でホールへと駆けつけた。
息を切らしながら周囲を見渡した彼女と不意に目が合う。
「おや、あれは……」
同じ方向を見ていたジル社長も気付く。
俺は直ぐに違う方向へ身体を回転させる。あちらが気付いてしまった以上、知らん振りは出来ないと意識的に理解しているせいか全身で嫌な汗を掻く。
「やっぱりここに居た」
「え?」
聞き慣れた声に反応した白里は直ぐに振り向く。
「かおり…ちゃん?」
名前を呼ばれ、一瞬だけ目を合わせた香織は白里の正体に気付く。
「あなた……確か次のイベントで一回戦目に当たる……」
当選発表時には気付かなかったが、トーナメント発表時に見た顔写真を思い出した香織の言葉に白里は帽子を取ると自己紹介を交わす。
「ポーチカの白里唯菜です!よろしくお願いします」
「SCARLETの三津谷香織……って、言うまでもないかな。こちらこそよろしくお願いします」
そっと差し出された香織の手を白里は握り返してもいいのだろうか、と躊躇った顔を見せるもまたとない機会を逃すべく両手でギュッと嬉しさを隠せない表情で握る。
「どうしよう!香織ちゃんと握手しちゃったよ~」
有頂天な白里はそっぽを向いて他人の振りで足搔き続ける俺の背中をベシベシと叩く。
「ジルさんも今日はライブを観に来て頂きありがとうございます」
「素晴らしいライブだったよ。流石はSCARLETのエースと言うべきかな」
「それは言い過ぎです。私個人の力では今日ライブは到底成功したとは言えませんから」
「君は相変わらず謙虚だね。そこはお兄さんそっくりだ」
香織の意識の矛先が完全に俺へと向くような言い方で誘導する。
「すみません。少し兄をお借りしても?」
「どうぞ」
「勿論!」
にこやかな笑みを浮かべた二人はあっさり俺を香織へ売った。
その間をすり抜けるように近付き「ちょっと来て」と俺にだけ聞こえる鋭い口調で手を思い切り引く。いってらっしゃーい、と手を振る白里を遠目に先程香織が通って来たであろう廊下へと連れてかれる。
気にせず話しても一目に付かない場所だと確認した香織は手を離す。
「説明して」
開口一番、今回の経緯について聞いてくる。
「説明するも何も、俺がここに居るのは偶然……って、言っても信じないよな」
「当たり前でしょ!お兄ぃがここに居るなんて知らなかったし。それに、今日は予定があるんじゃなかったっけ?それがまさか、あの子とデート?」
「別にそういうのじゃない。第一、付き合ってないから」
「まー見た感じ、お兄ぃを恋人って見てるよりも友達としか見てなさそうだったよ」
分かっているが、香織の口から言われると少し悔しくも思う。
「お兄ぃは彼女の事、好きなの?」
「は?」
「何言ってんだこいつ。みたいな顔するの止めて」
「何を誤解しているのかは知らんが、白里は俺じゃなくてお前の……」
「ファンでしょ。当選時の顔を見れば分かる。それに彼女は私達のライブにも頻繫に足を運んでくれるコアなファンなのは知ってたし」
香織にも認知されている程、ライブに行っているとは知らなかった。
「で、その白里さんとはどんな関係なの?」
「ただのクラスメイトだ。今日はライブの事を伏せられたままここに来ただけ」
「わざわざ有明まで?普通、疑わしいと思うよね」
「……」
「どうせお兄ぃの事だから白里さんに兄妹だって事を話したんでしょ。ライブに行きたがらない理由も」
「まぁ……な」
意外にも物分かりの良い解釈に内心でホッとする。
「そのTシャツも無理矢理着させられただけ?」
「当たり前だ。誰が好んで妹大好きアピールをしないといけないんだ!死んでも御免だね」
「って、言って着てるじゃん。何なの……お兄って実はシスコン?」
「うるせ。この事、親父と母さんだけには言うなよ」
「え~どうしよっかな~」
ステージ上で見せたクールな性格はどこにいったのだろうか。
いや、これが本当の三津谷香織なのだ。性根が腐りきった性悪女。
人の弱みを握って弄ぶのが香織の本性。
これを動画に収めて白里に見せてやりたいくらいだ。
「まぁ、これは後々に使える交渉材料に取っておこうっと」
「ならいいだろ。そろそろ解放してくれ」
「えーもう帰っちゃうの?」
香織の背後から声が廊下に響くと背からひょっこりと顔を出す。
「さっき振りだね。一般客さん……いや、香織のお兄さんって言うべきかな」
「え、春乃?何でここに……ってか、いつの間に?」
「私の先祖は忍者ですから。応援に駆け付けてくれた優しいお兄さんとライブ後に話せて舞い上がってる可愛い香織の背後を取るなんて造作もないこと。ニンニン」
香織の背後から春乃さんが気配を完全に遮断したまま足音を立てず忍び寄っていたことに正面を向いていた俺は気付いていた。
香織を探していたのだろうか。廊下側の奥でキョロキョロしていた春乃さんと目が合い、『静かにしててね』という意味を込めた仕草で理解を示した上で、香織に気付かれずに接近する事を協力した。
その間に香織は自爆するように己が本性を晒し出し、見たことがない兄の前での様子に春乃さんは必死に笑いを堪えていた。
「まさか、盗み聞きしてたの?」
「いやいや。私は二人の姿が見えたから脅かそうと思っただけで……まぁ、思わぬ収穫が得たのでお兄さんナイス!」
別に俺のアシストという訳でもないが、春乃さんと同様にグッと親指を立てて返す。
「でも、本当に驚いたよ。お昼ご飯買いに行った時にあった人が会場内に居て、それが香織のお兄さんだなんて二度ビックリ」
「俺もハンバーガーに詳しいあの人が香織と同じSCARLETのメンバーだったなんてあの時は知る由もなかったよ」
「だよね~。こんな偶然って凄いよ!ね、香織」
「う、うん。そうね」
「あれれ~私が来たせいでいつもの状態に戻っちゃった?」
赤面する香織に容赦なく追及する様に内心でもっとやれと応援したくなる気持ちが知らず知らず顔に表れていたのを香織に見抜かれ、鋭い目付きで一蹴される。
「別にいいでしょ。それで、私を探してたの?」
「そうそう。麗華さんが呼んでる」
「分かった。直ぐに戻る」
これでようやく俺も解放される。
そう安堵しながら息を吐く。
兄妹水入らずの時間を邪魔して悪いと感じたのか、気を利かせた春乃さんは『またね。お兄さん』と手を振りながら先に戻っていく。
その後を追う形で香織も一歩を踏み出す。が……
「ねぇ、私達のライブどうだった?」
足を止めた香織は顔も向けずにそう尋ねた。
「急だな」
「いいから早く」
感想を言い慣れていないせいか、直ぐに気の利く表現は出来なかった。
だから、敢えて一言。
「凄かった」
何がどう凄いとか、細かく追及すればキリがない。
ただ、今日のライブは色んな意味で凄かった、驚いた、感動した。
香織のライブでそんな気持ちを抱くとは思いもしなかったが、悪くない自分が中に居る。
それと同時に、白里の気持ちが痛い程理解出来た。
同じ立場で、同じ視点で好敵手(ライバル)のパフォーマンスを目の当たりにしたからこそ生まれた新たな感情。
それは……
「負けない。俺はお前を越えてみせる。いつか、絶対に……」
これはどっちの自分を代弁しての言葉なのか。
そう問われれば、どちらでもない。これは紛れもなく俺の本音であった。
「あっそ……」
そんな覚悟を素っ気なく聞き流した香織は止めた足を再び動かし、通路の奥へと遠ざかった。
今までは追い掛けもせずにいたその小さな背中を……目を背けずにただ先を歩く追い抜かすための目標としてもう一度捉えた。
今度こそ、香織よりも先に立ってみせる。その決意を胸の内に強く焼き付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます