第20話 関わり③

 恐る恐るゆっくりと玄関の扉を開き、「ただいま~」と叫ぶも返事はない。

 玄関直ぐ横のリビングの灯りが付いていることにドキッとするも、ドアの奥でいつものように忙しく家事を行う音がないことを確認してから靴を脱いで中にあがる。


 共働きの両親から今日の帰宅がどちらも遅くなるという旨の連絡は一切ない。

 午後九時前のこの時間であれば、二人のうちのどちらか……特に母は雑誌編集という仕事を切り上げて帰って来ていても不思議ではない。

 仮に帰るのが遅くなるのだとしたら、夜ご飯は弁当か自炊して食べるように連絡が届く筈。

 それすらもないとなると色々疑問に思うことはあるが、玄関に二人の靴がない以上まだ帰宅していないのは明白。


 だが、今日は返ってそれが好都合であった。

 三人でのゲームに没頭するあまり、ご飯を食べるかどうかの連絡を怠っていた。門限みたいなものは別に設けられていないが、ご飯の有無関して母は少し五月蠅い。それに発展して帰りが遅いことを追及されずに済んだのは幸いであった。

 

「ってことは中に居るのはあいつか」


 中でテレビを観ているであろう人物が居るリビングへと入ると……


「ん。おかえり~お兄ぃ」


 扉を開く音に反応した妹の香織がソファに座ってテレビを観ながら晩御飯用に買ってきた弁当を一人で食べていた。


「……今日は弁当か?」

「二人共、帰るの遅くなるから私が弁当買ってきた」


 ソファーの中心から一個横にずれてから「はいこれ」と机の上に置かれてあるもう一つの唐揚げ弁当を片手で手渡してくる。


「それならそうと先に言ってくれ」

「言いましたが」

「え?」


 確認のためアプリを開く。

 香織とのトーク画面の新規メッセージ欄に『今日弁当』の四文字が簡単に送られていた。


「見てなかったわ」

「だろうね」


 鞄をソファの横に置き、弁当を受け取った俺は少し離れた高椅子に腰掛け、テーブルの上で食事を取ることにする。


「何でそこで食べるの?」

「ソファは嫌なんだ」

「あっそ」


 機嫌悪そうな声でテレビへと向き直った香織とは背中を向けて黙々と一人で食べ始める。

 俺と香織の仲はいつもこんな感じだ。

 お互いに仲の良い兄妹を演じる訳でもなく、極力干渉し合わないよう距離を置く。


 多分、置いているのはどちらかというと俺だ。

 いつの間にか、香織を避けるような習慣がついて以降はずっとこんな感じで互いの時間を過ごす。

 何でそうなったのか。

 詳しい経緯は思い出すと余計に嫌な気分になるから止めておく。


「ねぇ、最近帰りが遅いってお母さんが言ってたけどなんか始めたの?」


 テレビの音が切れたかと思いきや、背中からそんな質問が飛んでくる。


「……別に何もしてない。最近はずっと学校終わりに友達の家でゲームしてるだけだ」

「ゲームなら家でも出来るじゃん」

「俺が持ってない機種でやってるんだよ」

「ふーん」


 今の発言は半分が本当で半分が噓。

 全部噓だと勘の鋭い香織には気付かれ兼ねないので、どうにかギリギリのラインで誤魔化す。


「もしかして、彼女でも出来た?」

「……は?」


 予想外の発言に思わず箸を止めて振り返る。

 ソファから身体を乗り出し、ニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを伺っている様子に腹が立つ。


「なになに、図星?」

「そんな訳ないだろ。お前、俺が彼女いないのはよく知っているだろ」

「まぁね。お兄ぃがモテないのは中学の頃からよくご存知」

「なら……」

「でも、あくまでも中学の頃の話でしょ。それに全くと言ってモテなかった訳じゃないんだし」

「……幸村のことを言っているのか?」

「そうそう。中学一年生の頃、密かに仲良くしていたでしょ。私の目にはそう映っていたよ~」


 両手で指を丸くし双眼鏡に見立てて言ってくる。

 今になって掘り返さる中学時代の話に今更感を覚えつつも、香織には話していないであろう恋愛事情を知っている事実に違和感を抱く。


「お前、覗き見てたな?」

「そんな怖い顔しないでよ。別にお母さんには言ってないし」

「俺がそんなに女子と仲良くしていたのが意外だったか?」

「いいや、別に。いつも私関連で質問攻めされて話している所は見てたけど、幸村ちゃんだけはどうも違う風に見えたから」


 香織の言っていることは全てが間違いではない。

 妹として俺をよく観察している香織にとって表情の微妙な変化から簡単に理解できてしまうのだろう。自分の兄が他とは違うアプローチをしていると。


「でも、それももう終わった話だ。幸村は中一の夏休み前に転校して以来会ってない」


 その当時にスマホは持っていたが、彼女とは連絡先を交換はしなかった。

 実際的な話、会おうとすればいつでも会えた。

 転校したと言っても住所が変わった訳ではない。小学校時代の連絡網を調べれば容易に連絡は取れる。


 しかし、それをしなかったのは転校前後に色々とあったからとだけ回送しておこう。

 出来ればこの思い出にはあまり触れたくない。


「……この話は終わりだ。それと、俺に彼女はいない。現在進行形でな!」

「じゃあ、いつかは出来るの?」


 しつこい。

 今日の香織はいつもの二倍くらいウザイ。


「知らん」

「へ~、お母さんが私並みに可愛くないと駄目だって」

「自分で言うな。それとお前もイケメンな彼氏でも連れて来い」

「うーん。今は無理かな~仕事あるし」


 それは多分……お互い様ってやつだ。

 口に出しては言えないが。


「あ~でも、イケメンな人って言えば今日、凄く美形な人と会った」

「芸能人か?」

「いや、芸能事務所の社長さん。銀髪碧眼で爽やかな王子様みたいな人」


 もしかしなくとも、それは俺の知っている人物では?


「その人が今日、事務所に来てて麗華さん……マネージャーと話してた時に会って……前にお兄ぃと会ったとか言われたよ」

「……ジルさんか。前に偶然な」


 あの人自ら、俺との関わりを香織に言うとは思っていなかった。

 まぁ、別に俺が事務所の社長と接触した所で香織が疑いを持たないと分かった上で言ったのであれば大した話ではないか。

 

「お兄ぃって意外にも有名人?」

「お前が有名過ぎるから一部の芸能関係者からも知られているんだ」

「それはドンマイ」


 他人事みたく言うが今更、責め立てたりはしない。

 そう言えば、最近ジル社長と会う機会が少ない。

 ルーチェ曰く、忙しくしているという話だが、他の事務所に赴いて何をしてるんだ?

 いや、考えても無駄か。あの人、何考えているのか掴めない性格してそうだし。


 香織との会話で箸が止まっていた事に気付き、食事の手を再び動かす。


「ねぇ、今週の日曜日は空いてるの?」

「いや、予定あるけど」

「デートか」

「彼女はいないって言ってるだろ」


 デートなのは違わなくないが。


「あっそ。じゃあいいし」


 拗ねた口調で話を切り上げ、不貞腐れた態度でテレビへと向き直る。

 再び、物静かな時間が戻ってくると残りの唐揚げを全て食べ尽くし、早々に自室へと戻る。

 ベッドに背中から倒れ込むように仰向けで寝転がる。


「マジで何なんだよ……」


 自分でも何でイライラしているのか、分からない。

 香織と話す度に何故か無性にむしゃくしゃするのはいつものことなのだが、今日は癪に触った。


「疲れてんのかね……俺」


 慣れない環境下に身を投ずることになって疲れが生じたのだろう。


「ふわぁぁぁ……ねよ」


 そんな疲労感からくる強い眠気に身を委ねた。

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