第16話 始まり⑨
渋谷区にある300人規模が入れる小さなライブハウス。その会場へと辿り着くと言われた通り、関係者口から中へ入る。
「お待ちしてました。三津谷様」
「うわっ!……あ、さっきの……」
ドアを開け、入って直ぐ横で全身黒のスーツを纏ったボディーガードマンに声を掛けられる
「ナイルと申します。以後お見知りおきを三津谷様」
見た目とは裏腹に、とても丁寧で穏やかな言葉遣いで名乗るナイルさんに「改めてよろしくお願いします」と告げる一方で……
「あの、今の俺……じゃなかった、私は三ツ谷ヒカリです。一応、この姿の時は『ヒカリ』でお願いします」
ジル社長のボディーガードだし、分かっているとは思うが念の為にそう釘さしておく。
職務に忠実で律儀な性格上であれば一度こうして伝えればしっかり理解してくれるだろう。
「そう言ってもらえると助かります。ジル様から三津谷様への敬称を聞いていなかったもので、一目がない時は本来の姿でお呼びすべきかと考えていた所存です」
「その時の姿次第で判断してもらえれば平気です」
「了解しました。それでは、ヒカリ様こちらへどうぞ」
案内に従って少し急な階段を下る。
外の時点ではライブ中の音なぞ一切聞こえはしなかったが、その会場のあるフロアに近付くにつれ徐々に音が耳に届く。
「おや、到着したようだね」
階数で言うと地下一階。
ライブ会場である地下二階の上には今日参加しているであろうアイドルグループのグッズや当日券の販売などを行っており、既にもう始まっていたのか、販売員のスタッフとジル社長を除いて客の姿は見当たらなかった。
そのフロアに併設されたバーの椅子に座り、コーヒーを飲んで待っていたジル社長は鳴り響く足音に反応してこちらに気づく。
「こんにちは、社長」
「やぁ、さっき振りだね。ヒカリ君」
「白里達はまだライブをしていないのですか?」
「そうだね。今は前のグループがライブ中だから……白里ちゃん達はこの次さ」
ライブ音を聞き、一瞬遅刻したかと焦った。
しかし、階段の壁に貼ってあったポスターに今日の主演組が白里達だけではないことを知り、それが杞憂であると悟った。
「昨日と昼間の件はすまないね。重ねてお詫びしよう」
「いえ、構いません。ルーチェと仲良くなる機会を得ましたから」
「ほう。あの子がこうもあっさりと気を許すとは……」
あまりにもそれが意外だったのか、ジル社長は深く関心を強めた。
「色々と聞かせてもらいたいけど……今は時間がないね」
高級ブランドの腕時計で時間を確認するとコーヒーの代金をテーブルに置いて、立ち上がる。
「それでは行こうか。彼女達の戦場(ステージ)へ」
戦場(ステージ)。
それがどういった意味を成すのか、その時の俺はまだ知る由もなかった。
♢
防音性能の高い厚い扉を開くともう一つ扉があった。
ナイルさんの剛腕によって引かれた扉の先には暗闇の空間が広がり、前方の小さなステージ上に小悪魔の衣装に身を包んだ六人の少女達が激しい音響の中で彼女達のパフォーマンスを披露していた。
丁度、曲の終盤に差し掛かっていたのか、パフォーマンスを目の当たりにしていたファンも熱い応援で六人のパフォーマンスに応える盛り上がり示している。
ステージとファンとの距離が近く。
最前列に居るファンが手を伸ばせば直ぐにでもステージに触れられそうな距離間。
会場の規模が縮小されステージとの距離間が近いからか、観ているとファンとアイドルとの一体感が強く独特なまでな雰囲気が目の前に広がる。
これが地下アイドル……。
自分にとっては初めて見る世界で、体験したことのない空間がそこに存在した。
「地下アイドルはファンとの距離が近いと言われる。それは一重に物理的な意味だけではないんだ」
テレビに出るような有名所のアイドルグループとは違って、目の前で歌って踊る彼女達はそこまでの人気を冠するグループではない。
正直、先程のポスターでグループ名を知ったのが初めてであり、彼女達の顔と名前も今さっき知ったばかりに過ぎない。少し言い方は悪いかもしれないが、彼女達は知る人ぞ知るアイドルグループ。
誰もが知る有名なアイドルではない……が、ここに居る誰もが彼女達を知っている。
その事実に他意はない。
「彼女達はこの界隈で最近、名前が上がってくるようになってきていてね。平均年齢は十八歳。活動期間は約五年と長く、今いるメンバーと既に何人か交代したメンバーが加わって、今の現状に落ち着いたグループなんだ」
「……詳しいですね」
「市場を調査するのはプロデューサーとして当たり前さ。特に勢いのあるグループはね」
色々と含みのある言い方だが、今は少しこのアイドルグループを知りたいので集中して前を向く。
『みんなぁ~ラスト行くよぉぉ!!』
センターの少女の掛け声に呼応するかの如く、彼女達の直ぐ前列から一般入り口付近の後列まで詰めかけたファンの熱い声援が返ってくる。
その直後、ライブハウス内にポップな音楽が流れ、彼女達はパフォーマンスが始まるのと連動してファンの人達も同様な振り付け、または組体操の如く肩に人を乗せてサイリウムを振る。
「!???」
横一列に並んだファンが邪魔でアイドルグループのパフォーマンスが視界から途切れた。
「あれは『リフト』というパフォーマンスでね。推しのパート時に交代で肩に乗っけ合ってアピールするものらしい。まぁ、危ないから最近は禁止している所が多いから珍しい光景だよ」
「へ~」
右側の壁に備え付けられたライブビューイングモニターの方を向いて続きを眺めようとするも、直ぐにステージの視界が晴れた。
その次の瞬間、曲はサビの部分へと突入し、会場の空気が一層熱く上がった。
エレクトリックな曲調は比較的リズムを掴み易く、乗りやすい。
耳がそれに慣れてくると次第に身体も動いてくる。
不思議な曲調だ。
ステージの彼女達が激しいダンスパフォーマンスを見せるとファンも限られたスペースを使って激しく覚えた振付を披露し、一緒に盛り上がる。
全身全霊で彼女達と共に楽しんでいる彼らは一見すると可笑しく見えるかもしれない。
自分よりも年齢が上で「ちょっとは自重して見ろよ」とツッコミたくなる。
しかし、見ていると段々彼らの空気に呑まれて楽しそうだと思えてきた。
この空気感を真っ向から経験したことはまだない俺にとって、この先は未知の領域。
自分が知らない『楽しさ』がこの先にはあるのかもしれない。
「君はこれを観る側ではないよ」
表情から気持ちを察したのか、内心で考えていたことをドンピシャで指摘されて少し驚く。
「分かっていますけど……俺にはこんな光景を作れませんよ」
ファンと一体になって一つの曲で、一つのパフォーマンスを完成させる。
それを成すには、当然ファンからの応援が必須となる。
ファンから愛される。というのは、自分の中では考えづらいものであった。
「それはそうさ。一人では作れない光景を、彼女達は六人で体現している。彼女達の場合、個人を推されているというよりもグループ全体で推されていることが多い」
その証拠として、彼女達はメンバーカラーというのが存在しない。
全員が同じ色の同じ衣装を纏っている。
ファンの持つサイリウムの色も一色単に染まっていることからもそれが伺える。
「個人ではなく、グループで売れる。これは僕の目指す所ではあるけど……この先の戦場(ステージ)に立たせるのは本当に難しい」
「……」
直後、曲が終了して大歓声が湧き起こった。
『可愛いよ~』
『最高だったぁ!』
『愛してるぅ~!!』
ファンの様々な声援が飛び交う中、ステージの中央でセンターの少女が最後の挨拶を告げると次のグループへ、盛り上がりが冷めない内にバトンタッチする。
「さぁ、彼女達の番だ」
暗い中で鮮明には見えないが表情も険しく、少し緊張を帯びた声であった。
ステージを照らす照明が消され、六人の少女達と入れ替えで四人の薄い黒い影が代わって入る。
それに応じて、先程まで前列にあれ程詰めかけて応援していたファンがぞろぞろと流れるように会場から出て行こうとする。
トイレ休憩?
いや、違う……帰っているのだろうか。
先程まで大盛り上がりでステージを眺めていたファンの大半が曲すら聞かずに大扉の外へと出ていく。
客席側も徐々に空きが目立つようになり、ステージの前列にはもうほとんどの客が残っていなかった。
四人のライブはこれから始まる。
なのにもう……人がいない。
「これが現状さ。始まる前に彼らは去っていく。まぁこの後の合同お渡し会に並ぶ為に退出しているのだけどね。せめて、彼女達を一目でも見てから出ていってもらいたいものだけど」
そう苦言を呈するように吐き捨てると、ステージ側の照明が明るくなった。
それぞれのメンバーカラーに沿った花の蕾をモチーフとした衣装に身を包んだ白里達が現れる。
当然の如く同級生の白里へ真っ先に目を向けた俺は明転と同時に、一瞬だけ垣間見た彼女の表情から形容し難い気持ちに駆られた。
「っ!!……俺、前で観てきます」
社長の許可も聞かず、ただ自分の心のままに動いた俺は関係者側の出入口から一般入場者側の入り口へと早足で回った。
ウォーターサーバー付近に何人かのファンが少し談笑しながらステージを眺めている間を通り抜け、彼女達が……白里がよく見える場所へと移動する。
使える時間が少ないのか、こっち側へ回っている間に自己紹介を終えた彼女達は早速一曲目に入っていた。
センターの白里が歌い始める寸前、俺は彼女としっかり目が合った。
三津谷陽一ではなく、三ツ谷ヒカリとして目に映った白里はとても嬉しそうに笑顔で口元を緩ませた。
可愛い。
クラスの同級生を初めて意識して見たからだろうか。
その笑顔に思わず可愛いと内心で言葉を漏らし、何処かもどかしさを感じながらも軽く手を振る。
ステージとの距離が近いからか。
直ぐに手を振り返したことに気付くとさっきまでの雰囲気をガラッと変えてマイクに息を吹き込む。
『聞いて下さい。『ポーチカ』の一曲目!』
白里の掛け声が会場に響くと同時に、ステージの隅や僅かに残った観客の視線が中央へと集まる。
勢いの乗った声と合わさり、リズミカルな曲を四人で同時で披露する。
♢
「あら、唯菜ちゃん。何だか楽しそうね」
ジルが手掛けるアイドルグループ『ポーチカ』のダンス講師である田村善男……通称『タムタム』が遅れて会場へとやって来た。
「えぇとっても。やっぱり彼の存在が大きいのかしら」
「そうかもしれない。三津谷香織の大ファンである彼女にとって、三ツ谷ヒカリは瓜二つの姿をした別人。髪型や声が違くとも、少なからず重ねているだろう。まぁ、気分上々でなによりさ」
「打算的な性格……あなたも可愛くなくなったわね」
「あの腕輪は貴重な物さ。流石に僕も見ず知らずの男の子に考えなしで託したりはしたくないよ。それに彼は理解が早い。白里唯菜という可能性を広げるために僕は彼と彼女を利用するつもりだって、少なからず分かっている筈だよ」
「悪い人。でも、あの真剣な表情を見れば信頼出来る気がする」
善男はステージ中央の前列に立つ黄色髪の少女を見詰めた。
真っ直ぐに真剣に彼女達に魅了された少女の表情は明るく輝ているように思えた。
何を思って観ているのか、どう感じて圧倒されているのか、他人の機微に聡い善男でもその奥までは見抜けない。
けれども、初めて会った時から何となく気付いていた。
彼が正体を隠してまで、このグループに入った理由(わけ)。
「彼、あなたと性格が似ているわね」
「ははっ、否定はしない。多分、だから僕は彼を選んだ」
条件は最高。
これ以上ないくらい、適任者はいない。
「彼、唯菜ちゃんに恋しているの?」
「僕もそう思ったが、どうやら違うみたいだ」
「気になっている程度?」
「その辺は僕に聞かれても困るよ」
他人の恋事情には首を突っ込ない主義ではあるものの、もしも彼の心が友情ではなく、恋や好き、愛であるならジルは彼に恨まれても厭わずに邪魔するであろう。
邪魔とまでは言い過ぎかもしれないが、せいぜい抑えてもらうように努めてもらう。
しかし、そうはならないし、その必要はないとジルは踏んでいた。
具体的な根拠はない。
強いて言えば明転の際に彼が取った行動が核心を突いた。
「彼は……いや、彼女は希望だ。僕にとっても、彼女達にとってもね」
♢
曲も歌詞もパフォーマンスも……目の前に立つ四人のアイドルすら俺は知らない。
そもそも、限られた人々しか知らないこのような狭く薄暗い地下の世界に彼女達がこうして一生懸命に歌って踊っていることすら全くと言っても過言ではないくらい知らなかった。
この道へと通ずる誰かから話しを聞き、導かれでもしない限り入り口に立つことすらない。
表舞台に立つアイドルしか知り得ない俺たちみたいな高校生からすれば知る者はより狭まるだろう。
クラスメイトの者達ですら知っているのは俺だけ。
しかし、白里は個人的に知られたくなかったのかもしれない。
自分がアイドルをしている事実、こんな空間でひっそり人知れず活動していることを公にはしたくない。
ステージに立つ彼女の心情が如何に複雑であるのかは把握しかねるが……もしも、仮に俺が白里の立場で考えるとすれば、こうは思うかもしれない。
恥ずかしい……とか。
自分自身が自慢出来るようなアイドルではないから……とか。
それはあくまでも俺の考えであって白里の考えではない。
そう否定したくもなるが、少なからずその気持ちがない訳ではないのだろう。
現に白里がクラスで自発的に明かさないでいるのは、この客席の状況や自らのパフォーマンスに納得がいってなく、胸を張って自身の活動を広めることに自信がないから。そんな彼女の見え隠れした想いが先程垣間見えた。
けれども、曲が進むにつれて白里は俺が普段から知っている白里唯菜になっていく様な気がする。
元気爛漫でコロコロ変わる溢れんばかりの笑みに自ずと意識が向いてしまっていた。
いつしか考えることも放棄して夢中になって彼女を追っていた。
情熱的でパワフルなダンスを披露する彼女の一挙一動に目が離せない。
これが……白里唯菜というアイドル。
クラスでも異彩な輝きを放つ彼女はステージ上でも異彩な輝きを放っているように思えた。
他の誰よりも可愛く、美しく、躍動感溢れるパフォーマンスに心が惹かれた。
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