第14話 始まり⑦

 中途半端に開かれたカーテンの隙間から朝日が差し込む。

 見慣れない天井を目の当たりにしてハッと起き上がる。

 いつのも習慣で、寝起きがてら壁に掛けた時計を見るも……身体を起こした方角に時計なんてものは見当たらないどころか、いつもとは全然違った風景が広がっていた。

 ここがどこであるか瞬時に思い出すと落ち着いて回想する。

 

「そうだ。家に帰らなかったんだよな」


 その理由と答えは全て、俺の隣でスースーと寝息を掻いてぐっすり眠るロシア人美少女にあった。

 

「無防備すぎだろ」


 改めて、ルーチェの姿を確認すると、白いシャツに身を包み、純白のショーツから伸びる細い二本の素足を俺の太股の上に乗せ、大の字で寝ていた。見た目は麗しく愛らしい容姿であるのにも関わらず、彼女の取る言動は全くと言って容姿と似つかわしくない。

 部屋には飲み物と菓子、そして液晶テレビにそれぞれ繋げられたゲーム機器のコントローラーが床に散乱していた。その光景から昨日の夜中を薄っすらと彷彿させる。


「寝落ちしちゃったのか……」


 昨日、事務所に再度寄ってからこの部屋に戻ってきた後、買った衣服を収納していた所、突如ベランダの隔板を蹴破った侵入者がベランダと通じるガラス戸をドンドン叩いてきた。

 その音に心臓が飛び跳ね、慌てながらも落ち着いた様子でカーテンを開いた。


 そこには凄い形相のルーチェが『早く開けなさいよ!』とガラス戸越しで訴えていた。

 嫌な予感を抱き、一度はカーテンを閉める。直後に近所迷惑になる勢いで叩いてくるので、渋々中に招き入れた。


『何で、直ぐに開けないのよ!』

『面倒事に巻き込まれそうな気がして』

『勘がいいわね。勿論、巻き込みに来たわ!』

『お引き取りください』


 ガラス戸を閉じようとするも、手を掛ける直前に阻まれる。


『ちょっと、これからあんたに協力してあげるんだから少しはこっちの協力もして欲しいんだけど』


 それを言われてしまっては返す言葉もない。

 ルーチェ次第で俺の社会的地位及び三ツ谷ヒカリの人生は全て終了となる。無論、ジル社長も彼女が裏切らない事を見越して正体を明かした以上、公言はしないだろう。しかし、もしも俺がステージ上で窮地に立った際、フォローに入ってくれる要員も重要。


 そうなれば、唯一事情を全て知るルーチェの協力は必要不可欠となる。

 俺はある程度ルーチェのお願いには協力的にならざるを得ない。そして、ルーチェもまたそれを見越した上で兄貴の頼み事を利用して聞き入れた。

 

『分かったよ。それで、俺があんたを社長から匿えとでも?』

『兄貴なら来ないわ。来るのはもっと……別の化け物よ』


 化け物?

 一体、誰の事を指しているのだろうかと不思議に思っていると……ピンポーンっと訪問を告げたチャイム音が鳴り響く。

 それにビクッと身体を震わせたルーチェは冷や汗を掻きながら静かにインターホンの前に立つ人物をリビングから確認した。


『やっぱり来たわね』


 本当に誰が来たのか、自分の目で確かめるとそこには見知ったばかりの女性の姿が映った。

 名前は……一ノ瀬雪香さんだった気がする。

 彼女がルーチェの言う化け物なのかはさておき、応答ボタンを押して用件を伺う。

 

『こんばんは、一ノ瀬です。ルーチェちゃん来てませんか?』

『ルーチェなら、ここに……』


 そう言いかけた直後、モニターに映る画面が真っ暗に変わる。

 応答ボタンを再度押すことで、通話を切ったルーチェが睨み付けてきた。

 

『どういうつもり?』

『どうもこうも……一ノ瀬さんが捜しているみたいだから教えてあげようかと』

『私は雪香から逃げているの!ばらしたら意味ないでしょ!』

『もしかして、化け物って……』

『雪香の事よ。いい、私はいないと答えなさい。何処に居るか尋ねられたら、どっか出掛けたって言うのよ』


 仕方なく、その指示に従った俺は玄関から顔を出して、直接応答した。


『こんばんは、ヒカリさん』

『こんばんはです。一ノ瀬さんに……白里さんも』


 訪問して来たのは一ノ瀬さんだけではなく、グループのリーダー兼クラスメイトの白里も居た。

 

『突然、押し掛けちゃってゴメンね。今ルーチェちゃんを捜してて』

『ルーチェちゃんですか?』


 言われた通り、何も知らない風を装って話す。


『うん。明日、朝早いから寝坊しないよう雪香さんのお家でルーチェちゃんを預かるようにって社長から言われてて』 


 なるほど、大体察した。

 明日はライブ。社長は夜鍋してゲームをする妹の遅刻・寝坊を防ぐのと、隠れてゲーム配信していた等を含めた罰として一ノ瀬さんのお家で一晩過ごさせようとしているのだろう。危機察知の能力が優れたルーチェは二人よりも一足早く、事務所を出て慌てて帰って来たに違いない。


『さっき、ルーチェちゃんの部屋に入ったのですが、どこかに出掛けているみたいで』


 この部屋に居ます。とは言わず、二人の話を聞く。


『もしかしたら、ヒカリちゃんの部屋に逃げ込んだかなーって思って』


 白里の予想は全て当たっている。

 ここは白里達に強烈なしてルーチェを引き渡す方が明日の件では得策であると俺も理解している。


 しかし、隙間から最小限に覗き込んで俺の背筋へ一心に『ばらすなばらすな』と念を伝えてくるルーチェの意に従って上手い具合にはぐらかす。


『ごめんなさい。まだルーチェちゃんともあんまり仲良くなれてないから、こっちには来てないかな』

『そっか~。流石のルーチェちゃんでもあんまり喋ったことのない人の所に無理矢理押し掛けたりはしないか』

『ルーチェちゃん、少し人見知りな所あるから』


 あの傍若無人っぷりな隣人にそんな一面があるのかと疑わしく思える。


『じゃあどこ行っちゃったのかな?』

『ジルは部屋に居なければヒカリちゃんに迷惑を掛けているだろうから救ってあげて欲しい、みたいな事を言ってたけど……』


 まさにその慧眼通り。

 耳を澄ませて会話を盗み聞くルーチェもまた『流石は兄貴ね』と漏らす。


『ルーチェちゃんのことだから、この展開を見越してこの辺りをまだウロウロしているかもしれませんね。どうしましょう、雪香さん』


 困り果てた表情でどう動くべきか尋ねる。

 俺はそこで雪香さんの方に視線を送る。すると、彼女はドアの隙間から奥の方をしっかりと見据え、薄っすら口を微笑ませ『見つけた』と口を動かす。


 その瞬間、『あっ、完全にバレた』思うよりも先に妙な恐怖心に襲われた。

 それを感じさせたのは雪香さんの目。美味い獲物を見つけた際のハンターの如し表情をほんの少しだけ見せた。

 ルーチェもまた目が合ってしまった事に気付き、慌てて物音を立てずに扉の前から離れた。


『雪香さん?』

『ふふっ、どうやらルーチェちゃんはいないみたいね』


 ……え?

 見逃してくれた?

 予想だにしない発言に内心でホッと息をつく。

 正直、俺には何も関係ない話であり、ルーチェを二人に引き渡しても全然構わないのだが、ここまで話に乗ってしまった以上、引くには引けず。いつの間にか、俺まで緊張感を持っていた。


『ルーチェちゃんが全力で逃げたら社長でも捕まえるのに二日はかかりますし。今日はここで失礼しましょう。ヒカリちゃんも忙しそうですし』

『まだ、荷解きの最中だった?』


 少しばかり額に滲んだ汗を見て、二人は勝手な思い違いをする。

 

『う、うん。けど、もう終わるから大丈夫です』

『そっか、お邪魔してごめんね。また、明日!』

『また、明日……』


 そう言って、扉をゆっくりと閉めるとそのまま少しばかり背中を扉へと預けた。

 二人の足音が次第に遠のいていくことを確認する。

 

『はぁ~、焦った』

『凄いでしょ。あれが雪香の持つ狩人の側面よ』

『狩人って……まぁ分からなくもない』


 何を狩っているのかはさておき、雪香さんの持つ圧力(プレッシャー)は尋常ではなかった。

 あんな大和撫子風な清楚で美人なお姉さんって感じなのに、何処かそれを丸ごと払拭する様な狂気染みた一面が途轍もなく印象に残った。


『雪香さんって一体……』

『聞かない方がいいわ。それと、雪香の家には付いて行っちゃダメよ。絶対』


 ルーチェに念押しでここまで言わせるとなると知らずが吉という訳か。

 取り敢えず、頭の隅に置いておこう。

 

『さて、脅威は去った訳だし。さっさと準備準備~』


 ルンルン気分に直ると母国の鼻歌を交えながら自らの部屋へと戻っていく。(ベランダから)

 ルーチェにとっての脅威は去った訳だし、もうこのガラス戸を閉めて隣人とのトラブルを絶つべし。

 そう思い切って戸を閉め、鍵をかけるも数分後には再び勢いよくドンドンと騒音を奏でた。


『何で閉めるの!』

『もう、用件は済んだかと』

『終わってない。これからなんだから……はい、これ持って』


 最新版のゲーム機器に、リモコン、それからゲームモニターまで自室から運び込んで渡す。

 ベッドの近くにある空いたスペースにそれらを置く。


『ここでゲームするつもり?』

『ん?そうだけど……これはあんた用』

『は?』

『あんたもあのゲームしてるんでしょ。なら、話は決まっているじゃない』


 あのゲームとは、ルーチェが配信しているFPSのゲームであろう。

 確かに俺も今並べている機種と同じゲーム機器でプレイしてはいるから、ルーチェは言わずとしている事は何となく察した。


『つまり、ルーチェのチームに参加してやれと?』

『そういうこと、いずれは配信にも参加してもらうから』


 配線繋ぎやゲームセッティングの片手間に淡々とそう答える。


『俺、あんまり上手くはないぞ』

『ランクは?』

『……プラチナ』

『ふーん。なら、平気ね。どうせやっていれば嫌でも強くなるから……あんたみたいなタイプは』


 まだ会って数時間というのに、何を根拠にして言っているんだ?と思いながらも、今日は多分帰れないことを悟った。

 今日はどうせ両親が二人とも夜勤で忙しいだろうし、香織も夜ご飯は友人と食べて帰るといった趣旨の連絡が届いていたことから、一晩ここで過ごしても何の問題もなさそうだ。


 正直に言えば、今セッティングしているこの最新版のゲーム機器は予約しても抽選で外れていたため、未だに俺はまだ購入出来ていなかった。家にある一世代前のものよりどれくらい通信速度が早いのか、新しいリモコンの操作感はどんな感じなのかと凄く気になってはいる。

 そのソワソワしている様子を悟ったルーチェはある提案を促す。

 

『これからあんたが私に手を貸してくれると言うなら、これあげる』

『え、本当に!?』

『勿論。それと同じチームで戦うのだとすれば、PCの方も用意するけど?』


 な、何という提案でしょう。

 目の前にいらっしゃるこの銀髪美少女は女神であらしたか。

 これは平伏せざるを得ない。


『交渉成立ね。なら後でPCとかも運ばないと……』

『もうあるの?』

『初期に使ってたやつがね。まぁ、安心してあのゲームをやる分ならスペックは問題ないから』

『……流石、金持ち』

『兄貴には内緒よ。あと、出入りはベランダを通して』


 それに関しては少し疑問に思っていた所だ。

 別にわざわざベランダからじゃなくていいのでは?という質問の趣旨を伝えた所……『ここは兄貴が保有するマンションよ。玄関から出たら通路の監視カメラに映るじゃない』と、抜かりない説明に俺は確かにと頷いた。


 その後の事は薄っすらとしか記憶にない。

 風呂に入って、歯磨きしたかどうかもあまり覚えていない。

 ただ、二人でお互いのゲーム技量を計る為に格闘系の対戦型ゲームやコーチングされながらFPSをやったりしていたのはしっかりと覚えていた。

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