第13話 始まり⑥
事務所を後にした俺は変身を解くための更衣室でもあるマンションに向かう……のではなく、最寄り駅から電車に乗ってそのまま渋谷駅へと向かった。
久しぶり降り立つ渋谷駅の内部構造が以前来た時よりも大分激変していたせいか、地下から地上に出るまでかなり時間が掛かった。それもこんな姿で日本有数の人通りの多い場所と知られる渋谷の街を歩く羽目になるとは思っていなかったこともあり、通り過ぎていく人の目がチラチラと刺さっている気がして全然落ち着かなかった。
『ねぇ、あの子ちょっと可愛くない?』『芸能人とかかな?』『綺麗だよね』等の言葉が雑踏に紛れて聞こえてくるも声が決して自分を指していないと聞き流しながら歩く。
「どこだよ、ここ……」
スマホの画面に映る地図とGPS、現実の渋谷の街並みを交互に見ながら進むもどこのお店に立ち寄ればいいのか全く分からない。
「渋谷で服とか買ったことないしなー……つか、買いに来たの下着だし」
ジル社長が皆よりも一足早く帰らせた本当の理由。それは俺が三ツ谷ヒカリの姿で過ごす際の衣服や下着を買え揃えることにあった。
最初から、ある程度の要望を出しておくべきだったが、今となってはもう仕方のないことだと言える。下着だって男子の視点から言えば、ブリーフパンツとボクサーパンツ、トランクスパンツといった種類がある訳だが、その人によって下着の好みはかなり違う。
その点は女性下着もまた同じ事が言える。
特に下着に関しては派手性を求めるよりも機能性を重視する点ではあの部屋にある数々の下着はほぼ着れないだろうし、そもそも身に着けたくない。
あの下着を身に着けた格好のまま間違って変身を解けば、そこに映る自分は紛れもなく変態野郎。それにスポーツブラとかであれば、まだ海外のサッカー選手もしている事例があるのでセーフだと思える。基本的にあの部屋以外では変身を解く気はないはないので、正直下着の拘りとかはあまりない。
取り敢えず、目的の物を買え揃えれるであろうデパートへ向かって歩き続けているのだが……一向に辿り着く気配はしない。
「本当にどこ?」
地下よりも地上の方が出れば分かり易いと思って外に出たのはいいものの、降りた出口が間違っていたのか、遅れて反応したGPSが目的地とは全然違う現在地を示した。
「これ、反対じゃん。あ~どうしたら戻れるんだ?」
そう文句を呟きながら、辺りを見渡していると……
「あの~」
突然、ちょんちょんと肩を軽く突かれ、それに少しビクッと肩を震わせて振り返る。
「何でしょ……う?」
遠くから見てもかなり目立つ桃色のゆるいカールを帯びたショートヘアーに、顔のサイズよりやや大きめのマスクに、黒いサングラス。二つのアイテムで顔全体が隠れ、その異様な雰囲気に一瞬不審者かと思いもする。
あれ、この制服……
目の前の人物が着ているクラシカルカラーの色を基調としたセーラーワンピース型の制服に見覚えがあった。
「女の……子?」
「あ、これでは失礼ですよね」
慌ててマスクとサングラスを外した少女はニコリと一礼する。
「驚かせてごめんなさい」
「いえ、別に……」
上品な立ち振る舞いで非礼を詫びる彼女の顔を改めてまじまじと見つめた。
突如として、目の前に現れた少女は絶世の美女と言っても過言ではないくらい可愛いらしく、何処かお嬢様っぽい、穏やかな緩い雰囲気を纏っていた。
実際、彼女が着ている高校の制服は偏差値も高く、有名企業や芸能人・政治家の令嬢が通う花園とも知られるお嬢様学校であった。
確か、高校の名前は……
「蘭陵女子の生徒さん、ですよね?」
「はい。よくご存知ですね」
「えぇまぁ……知り合いが通ってまして」
知り合いというか、妹の香織がそこに通っている。
東京都の私立高校で、芸能活動が認められている科が存在する数少ない学校の一つ。
それでいて、学業は勿論のこと、立派な淑女を育成する学校であるとも知られているため、そこに通う生徒は皆上品な振る舞いを基本とすると聞いたことがあった。
家での香織を見る限り、それはただの噂でしかないのだと思っていた。
「イメージ通りだと思いました?」
「イメージ通り?」
「うちの学校って、淑女が通う印象が多いと言われがちなもので。上品だとか、清楚なお嬢様ばかり通っていると思われがちなんです」
あぁ、そういう。その点で言えば、イメージ通りだろうが……
「事実としては間違っていないのですが、そこまで硬い校風ではないんですよ」
「そこは……少し想像出来ます」
香織曰く、上品で淑女みたいな振る舞いをする生徒はほんの一握りで、それこそどっかの大企業や財閥系のお嬢様とか、某有名政治家の娘さんくらいだと語っていた。それ以外の生徒は一般的な女子高校生として日々の学園生活を楽しんでいるとか。
「ちなみに、私はどちらだと思いますか?」
その質問の意図はこうだ。
香織の言う淑女たる生徒か、もしくはそれ以外か。
この答え、既に選ぶ選択肢は決まっていて、それでいて選択肢なんて無いに等しい。
「どちらも……では?」
「ふふっ、正解です」
どちらにも成れるし、生徒次第では使い分けていると言うべきだろうか。
どっかの誰かさんも、学校や外、家で色々な顔を使い分けているから疲れるとかぼやいていたな。
それよりも、早く本題に移りたいのだがと考えていると、先に少女の方から話を切り出す。
「何かお困りですよね?」
「えっと、少し道に迷ってて」
スマホの画面を見せ、ここに行きたいと説明する。
「渋谷は初めてですか?」
「あんまり来ないので、道は分からないです」
「なるほど……じゃあ、私が案内してあげましょうか?」
「そんな、悪いですよ」
「気にしないでください。私も少し時間を潰したいので、逆にお付き合い頂けると嬉しいです」
何だ、凄い眩しい。
こんなにも純粋な善意に満ちた輝く笑顔を放てるなんて、一体、何者なんだ?
心の中で勝手に盛り上がっているのも、束の間……
「では、行きましょう」
掌が突然温かな感触に包まれ、腕を引っ張られた俺はルンルンな気分で歩き出した謎の蘭陵女子の生徒に連れられて、目的地へと向かうこととなった。
△
「いやぁ~付き合わせてゴメンね」
数店舗で衣服や下着を購入した際に貰った紙の手提げ袋を持っているの俺に対して、スクール鞄一つしか手にしていない彼女は満足気に最後の店から出る。
「お礼を言うのは、むしろ私だと思うけど」
「今日の所はお互いに得があった訳だし。お礼云々はナシにしよ?」
この買い物が始まってから約一時間、何故かハイテンション気味でデパート内を散策し、買い物に来た俺に代わって多くの店を先導して回ってくれた。そのお陰もあり、目当ての物を買うだけではなく、少しばかり女性もの下着や衣服についても多少の知識は得れた。なので、お礼を言うべきなのは俺の方であるのだが、したたかな彼女の意向に沿って今回はそういうことにしておこう。
それにいつの間にか、当初の硬い話し方よりも大分砕けた態度や雰囲気にもなっていた。
まだ、お互いの名前すら知らないのに。
しかし、何だろう。この人と話していると自分が妙にフレンドリーな性格になった気がする。
別に友人になりたくないとかではないが、小一時間程でこんなにも心を許して喋っている自分に少し驚く。女の子同士だからというのも効果の一つかもしれない。
お店を出ると既に空は薄暗く、天を仰げば夕雲が目に入る。
「あ、もうこんな時間なの!?」
慌ててスマホの端末で時間を確認するとメッセージアプリを開いて、何か確認していた。
誰かと連絡を取り合っているのか、そう気になって画面を覗き込みたくなるも、プライバシーに反する行為だと思い踏みとどまる。
その一方で、俺も明日の詳細メールが届いていないかと端末を覗く。
案の定、ジル社長から一通の連絡が届いていた。
『今日の請求書は後日、事務所に持って来て』とだけ、送られていた。
明日の予定は?と思いながらも、『了解です』と返信。
「ごめんね。私そろそろ時間で……」
「ううん。付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそだよ。それで良ければ……」
何か言い掛けるも、誰から電話が掛かって来たのか、慌ただしく対応に出る。
その間、もう一度端末へと画面を戻すと直ぐにメールが返ってきた事に気付く。
『もしも、事務所に寄れるようなら、出来れば直ぐに戻って来て欲しい』と言う案件が届いた。出来れば直ぐに、という言葉が気になり、どの道この荷物を置きに帰る以上、事務所に寄った方が一辺に問題も解決すると考えた俺はお取り込み中の彼女に会釈し、電話相手に聞こえない声で「私も急な用が入っちゃったから、またね」と告げ、早々に立ち去った。
△
「あ、ちょっ……行っちゃったかぁ」
制止も聞かず、駅の方へと離れて行ってしまう黄色髪の少女を見送りながら残念そうに嘆く。
「お友達になれると思ったのにな~」
『誰とお友達になれるって?』
「あ、ごめんごめん……って、あれ!いつからそこに?」
「今さっき」
電話越しの相手の声が、別の角度からも聞こえた事を不思議に思い振り返るとそこには硬い表情を浮かべた長い黒髪に大和撫子の様な気品さを兼ね備えた美少女がいた。
二人の両脇を行き交う人々が、視線をチラチラと向けながら通り過ぎていくも、気にも止めない様子で黒髪の少女は問う。
「一体何をしてたの?春乃」
名前を呼んだ少女は春乃の身体が向く先をチラッと見る。
「あの子、友達?」
先程まで、春乃と一緒に居たであろう両手に沢山の紙袋を下げた黄色髪の少女について尋ねた。
「違うよ。さっきというか、一時間前に偶然知り合って、一緒に買い物してただけ」
「へ~実は人見知りの春乃が……意外」
「私も驚いたけど、それ以上にあの子……似てたんだよね」
「誰に?」
春乃は自分と同じ制服ではなく、一度自宅に戻って私服姿となった親友へと答える。
「香織に」
「私?」
「うん。顔とか身長とか、雰囲気とか」
「……髪色違うし」
「あはは、そうだね」
自分にとっては知りもしない相手と勝手に似せられたのが不服だったのか、少しムッとした顔を見せる。
「その子、名前は?」
「聞きそびれちゃった。でも、うちの学校に知り合いが居るらしいんだよね」
「名前が分からないと駄目でしょ」
「うん……確かに」
自身の致命的なミスにガッカリした表情で項垂れる。
「どうせ、また会えるでしょ」
「そうかもね」
別れ際、これが最後とは自然とはならなかった。
また何処かで会える。そんな根拠のない希望が春乃の口を閉ざした。
「それよりも、早く行くよ。春乃を待ってて時間過ぎちゃったし」
「わぁー、ごめんって香織~」
親友との約束時間をすっぽかしてしまい、ご機嫌斜めな香織を宥めながら二人の少女達は道玄坂の方へと向かって歩き出した。
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