第12話 始まり⑤
その日のレッスンはジル社長の言う通り、ヒカリはただ見学しているだけ。
この二時間近く延々と流れ続ける曲に合わせて、彼女達はひたすらに歌い、踊っていた。
今日のメインはダンス練。ダンスの指導者である田村善男こと、タムタムがリズムを取りながら、四人の動きを細かくチェックし、指摘・調整の繰り返しで一つのパフォーマンスを綺麗に仕上げていた。
そんな光景をヒカリは傍からずっと見守ることしか出来なかったのだが、意外にも有意義な時間だった。
今まで聞いたことのない曲調に、四人の整ったパフォーマンス、それを間近で観ているだけで少し圧倒され、鳥肌が立った。
特にクラスの見知った女子がこうしてアイドル活動をしているという現実をしっかりと目の当たりにしたことが何よりも衝撃的な気がした。ダンスになるとあんなに真剣で普段は見ない凛とした素顔が見られる白里は新鮮だった。
曲が止まり、休憩に入ると四人はバラバラに息を吐く。
ふと、ヒカリの視線に気付いた唯菜ががタオルを手にゆっくりと近付く。
「どうだった、ヒカリちゃん」
唯菜は目の前に居る人物が完全に三津谷陽一ではなく、三ツ谷ヒカリだと信じ込んでいる。中身は同じクラスメイトだとは露知らず、完全に初対面の新メンバーとして接する話し方にヒカリはどこか違和感を感じざるを得なかった。
「?」
おっといけない。感想だった。
「うん。とっても良かったよ」
「本当に?嬉しいよ!」
百点満点の可愛さ。ヒカリには出来っこない百点満点の笑みを返され、胸を鋭利な刃物で刺された時の『くっ…(吐血)』という感覚に陥るも、内心だけで表現する。
「ヒカリちゃんって、ダンス経験者?」
「したことはない……です。歌もダンスも未経験」
「じゃあ、スポーツとかは?」
「それもないかな(この身体では)」
「意外。スタイル良いから何かしているのかと思ったよ」
「ジョ…ジョギングとかはしてるかな……」
『あはは……』と噓を吐くのも段々と苦しくなってきた。
元の性格上、陽一は人に対して噓を吐くのが苦手である。
昔から噓を吐く時の表情が分かり易いと指摘されがちな為、香織の前で平然と噓を吐こうとも即座に見破られた過去が多く、反って本当の事を話すと何故か疑われる状況が多い。
そもそも、陽一はこうして自分以外の誰かを演じるという行為を物凄く苦手とする。ましてや、三ツ谷ヒカリという架空の人間を演じる為の台本や脚本は全て、自分で考えて、作っていかないければならないことを求められるとなると……いつかどこかのタイミングで絶対にボロが生じる。
ましてや、より複雑な演じ分けをしていかなければならないいけない事実に先行き不安が付き纏う。
「はぁ~」
「どこか具合でも悪いの?」
無意識に溜息を吐き、暗い顔を浮かべていたヒカリを気遣い、唯菜は心配そうに覗き込む。
「ううん。ちょっと緊張して」
「緊張?」
「うん。私がアイドルなんて、全然考えられなくて……昨日の夜はずっとそのことを考えてたから少し寝不足気味で……余計にね」
ヒカリは思わず本心を打ち明けた。
唯菜達のパフォーマンスをより近くで体感し、自分が彼女達と肩を並べて立つが出来るのか、不器用な自分をよく省みた上でこの先、本当に上手くやっていけるのかという不安が陽一の中で一気に凝縮され、言葉へと変わった。
これはあくまでも陽一の本音であって、声に出して伝えているのはヒカリ。
何の事情を知らない唯菜はそのままヒカリの言葉を受け取る。それを理解した上で、陽一は敢えて悩みを下手に溜め込んでおくよりも、口から流すことで落ち着きを得た。
「ごめんね。もうだいじょう……ぶ…」
両手が柔らかい温もりに包まれた。
そっとヒカリの手を取った唯菜もまた小さく頷く。
「私と同じだね」
笑いながら励ましてくれる所か、唯菜は今の自分とヒカリを重なるように同調した。
「ゴメン。変な雰囲気になっちゃったね」
「こっちこそ何かごめんなさい。お…私ってば、まだ舞台上にも立ったことないのに変なプレッシャーを感じて……」
いけないいけない。意識しないとボロが出てしまいそうになる。
「そう言えば、ヒカリちゃんってあんまりアイドルに詳しくはないんだよね」
「有名な所は何となく知っているくらいかな」
某有名アイドルが所属している平道系とか。
知っているだけでメンバーの顔と名前、あと曲名も詳しくは知らない。
声優アイドルなら、また話は違ってくるが。
「そっか、じゃあ当然私達みたいな地下は知らないよね」
「そうだね……なんか、ゴメン」
「いやぁ~当然と言えば当然だよ。多分、ヒカリちゃんが想像している様なライブじゃないから……あっ、明日は何か予定あるの?」
何か思い付いた様子で予定を聞いてくる。
「特にないけど……」
家で寝ること以外。
「じゃあ、明日のライブを観に来てよ!」
そう言えば、さっきタムタムが『明日のライブに向けて仕上げに入るわよー!』とか言って意気込んでいた。それにジルには、土曜日も予定を空けておいて欲しいと事前に言われていたのもあり、明日は完全にフリータイムにしてあった。まぁ他の休日も家でゴロゴロして、ゲームする意外にやる事は陽一にとって断る口実はないに等しい。
それにこれから、土日は毎週の如くライブが入るかもしれないというのは香織を通して知り得ていた。ツアーが始まれば大阪、名古屋、福岡、仙台を回ったりするのも既に知っている。
あの大変そうな日々を俺も経験するとなると……色々誤魔化しが効かなくなりそうで怖い。
一先ず、その辺の悩み事は追々ジル社長に丸投げにするとして、今は白里の提案に返事をする。
「うん。行くよ」
「決まりだね」
「元々、連れて行く予定だったけど……どうやら僕が言うまでもなかったみたいだね」
背後からジルの声がして振り向く。彼がいつの間にか、背後に立っていたことにも驚いたがそれ以上に、知らぬ間にダンス練からコッソリとフェードアウトしようと図っていた妹のルーチェを確保し、ボディーガードマンの一人に腕と腰の間に挟まれて身動き取れないまま、『離せ筋肉バカー』と叫びながらジタバタ足掻く様に目が行く。おかしな光景に白里と俺は苦笑した。
「急で申し訳ないが、ヒカリ君はここで終わりにしよう」
「帰っていいってことですか?」
「来てもらって、何もせずに帰るのは変だと思うけど、折角だし……彼女達のパフォーマンスはここじゃなくてステージで観てもらいたいからね。それに……」
ジルはかなり近い距離で顔を近付け、ヒカリにしか聞こえない声で伝える。
「詳細は追って連絡するから安心して欲しい」
「詳細の意味、分かって言ってます?」
「あはは……次はしっかりと送るさ」
そう念を押して、伝えたヒカリは挨拶を述べた後に荷物を持って、事務所を後にしようと歩んだ直後、
「ヒカリちゃん!」
唯菜に名前を呼ばれ、振り返る。
「またね」
本日、二度目とも言えるあの表情に妙な浮き立つ想いを抱きながらも、今朝とは少し違う口調とトーンで「うん、また」と返した。
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