第10話 始まり③

『ねぇ、陽一君って香織ちゃんのお兄ちゃんなんでしょ』


 ある女子生徒がクラスの隅に位置する窓際の席で黙々と読書に耽る陽一へそう尋ねた。

 声の方へと視線を上げると二人の女子生徒が机の前に立っている。


 中学二年生に進級し、新しいクラスになったばかりなこともあってか、まだクラス全員の顔と名前を覚えていなかった。目の前に立つ、二人組の女子も同じクラスメイトなのだろうが、全くと言って顔と名前が思い浮かばなかった。

 一先ず、彼女達の気になっているであろう問いに答えた。


『そうだけど』

 

 何の感情も含ませずに肯定した。

 事実だと認めた。


『じゃあ、双子?』

『そうなる』

『男女の双子なんて珍しいね』

『うんうん。あんまり聞いたことないよね』


 何やら勝手に話を盛り上げる様子に、陽一は早く席に戻ってくれないかな、と浅い溜息を吐く。


『ねぇねぇ、香織ちゃんって家でどう過ごしているの?』

『どうと言われても……』

『香織ちゃんって物凄く可愛いよね。学年一の美少女だし、スタイルも良くて顔も整っているし』

『あ、今週のプチラ読んだ?香織ちゃんやばくない?」

 

 『プチラ』とは香織が読者モデルとして掲載されている雑誌のことだ。

 小六の頃、香織の買っていた子供向けブランドからのオファーにより、小~中生を対象とした雑誌に写真が載った。それに目を止めた雑誌編集部からの意向で、それ以降の刊にもレギュラーとして載るようになった。


『凄いよね~。事務所とかに入っていないの?』

『さぁ、俺はあんまり詳しく知らない』

『同じ家なのに?』

『香織とはあんまり話さないんだ。あいつも最近は忙しくて家にいないし』


 その当時から香織は一応、事務所に属してはいた。

 芸能界に一切の興味がなかった陽一は何処の事務所なのか知る由もない。


 それに知っていても自分の口からじゃ言えない。

 何せ、これは香織本人も学校ではあまり公言していないようだったから。


『へ~忙しいってことは多分、事務所に入っているんだよ』

『だよね。絶対そう』


 勝手な解釈だが、強ち間違ってはいない。

 そんなことよりも早く、ここから解放して欲しかった。

 陽一にとっちゃどうでもいい話に付き合わされた挙句、周囲の男子生徒の目がチラチラと刺さるのが妙にむず痒い。


『三津谷君も事務所とか、入ってないの?』

『入ってないし、入る気もない。第一、俺は香織みたいにスタイルも、顔も良くない』


 誰もそこまで言っていない。と分かっていながらも自嘲気味にそう告げる。

 この体の話は今に始まったことじゃない。

 去年だって、何回もあった。


 むしろ、去年の方が遥かに酷かった。

 香織と同じクラスだったこともあり、クラスメイトからは比較され、『二人ってあんまり似てないね』とか『本当に兄妹』とか、配慮を知らない小学校上がりたての中学一年生共は面と向かってありのままの事実を棘の様に突き刺してきた。


 初めの頃は、色々と鬱陶しかったが慣れてくるとあんまり気にしなくてもなった。

 今ではもう、言われ慣れたせいで自分から先にそう自嘲した方が心持ちも楽で、話が早い気がしていた。

 

『いやいや、誰もそんなこと言ってないって』

『うんうん。三津谷君もその……意外と顔整っているし』

『いくら双子だからって言っても、男女だとやっぱり違うよ』

『三津谷君が香織ちゃんみたいだったら逆に怖いよ』


 一年という期間の中で配慮や思いやりという言葉を覚えたのか。

 言葉選びがやたらと丁寧になっていたことに少し感心を覚える。

 最も、今ここに居る二人は去年と同じクラスメイトではないので、単に違うだけもかもしれない。


『あ~でも、よく見たら似てる所とかあるよね』

『うん。目元とか、口とか……顔のパーツは所々似ている』


 あんまり顔を近付けてまじまじと観察しないでもらいたい。

 それにほら、周囲の男子共の視線が徐々に敵意を帯びてきているじゃないか。

 二人と目を合わせないよう別の方に視線を移すも、逃げた先にいる男子の目がどうにも敵意を剝き出しでこちらを睨んでいるため逃げ場がない。

 

『もしも、三津谷君が女の子だったら香織ちゃんってことでしょ』

『双子だもんね。あり得る!』

 

 何を根拠に言っているんだか分からないが、そんなこと万一だって有り得ない。

 髪を香織くらいに長くしたって、格好を同じにした所で陽一は香織にはなれない。

 香織の持つ容姿は生まれながらにして特別製。

 天から授かりし、極上の恩恵とでも表現すべきか。

 

『ねぇねぇ、今度女装してみてよ』

『……は?』

『見てみたいよね~』

『いや、ないから。絶対にない』

『ええ~ちょっとくらいいいじゃん。せめて髪長くするくらい』

『あんたら俺と香織を比較したいだけだろ』

『試したくなったというか』

『単純に、二人が本人の兄妹なのか検証してみたいんだよ』

『嫌だよ。頭の中での妄想だけにしといてくれ』


 面倒だ。どうにかして早くここから立ち退きたいが……何故か、逃げ道がない。

 いつの間にか、クラスの男子連中は陽一に対する包囲網を形成し、何かひそひそと話をしていた。

 その内の一人が目の前に女子生徒へある物を手渡す。


『あれれ、偶然に香織ちゃんと同じ髪のウィッグと女子用の制服がある~』

『いや、ある~とかじゃなくて。今、そこの奴が何でか知らんが持ってたやつだろ!』

『まぁまぁいいじゃないの。ささ、こっちでお着替えし~ましょ』


 強引に無理矢理、手を引っ張られた陽一は本気で抵抗しようと彼女の腕を思い切り引こうとするも、完全に力では敵わなかった。


 その身体の何処にそんな鬼の如し怪力が備わっているんだ。


 成す術もなく、連れ去られた陽一は口だけでも動かして抵抗を続ける。

 訳も分からず、暗闇の中へと連れ込まれた陽一の意識はハッとそこで途絶え、ジリジリと鳴り響く音が聞こえる現実世界へと強引に意識を引き戻された。

「……夢か」


 寝ぼけながらも、顔の横でジリジリ鳴り続ける携帯のアラームを止めようと画面に触れる。

 顔認証システムのロック画面を開こうとカメラの前に自身の顔を映すも、何故かロックが解除されない。


「なんで?」


 顔が近かったのか、少しだけ端末を遠ざけるも結果は変わらない。

 不思議な現象に困惑していると、暗い液晶画面に映った自分の顔を客観視した。

 そこでようやく、この謎が解明できた。


「これ、これからは気を付けないとな」


 顔認証システムではなく、パスワード式でロック画面を解除してアラームを止める。

 起き上がり、カメラで顔を覗くとそこには三津谷陽一ではなく、三ツ谷ヒカリの顔が映った。


「寝ながら、いつの間にか変身してたのか……」


 変身用に渡された腕輪は肌の透過しているので他人から見られることはない。

 無論、その時は装着者たる自分でも可視化出来ないような光学迷彩が施されている。

 変身する際は腕輪に触れて、変身後の自分をなんとなくイメージすれば変身可能である……のだが、どうやら無意識下でも機能するらしい。

 もしも先程みたいに、家で寝ながら変身して、次の日の朝に知らないままリビングへ降りでもしたら……完全にアウトだ。

 

「はぁ~これから先行き不安になってきたな」


 日常生活で気を付けるべき点が多い分、変に油断して誤って変身を解いたりしないよう気を付けなければならない。

 そのことに少し溜息を吐きつつも変身を解かず、このままの状態で支度を開始した。

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