第8話 始まり①

 翌日の朝。

 いつもよりも目が早く醒めた俺はホームルームが始まる一時間前に登校していた。

 昨日の放課後と同様、閑散とした教室内にただ一人だけ居るというのは心細く映る。


 取り敢えず、自分の席に座り、机の上に突っ伏した陽一は冴えた思考でくだらないことでも考えた。

 朝早くから学校に来る人間は三種類存在する。


 先ずは、部活動に属して、朝練をやっている者。


 次に、早朝から開いている自習室で勉強をしにくる受験生。


 最後は、朝早くから登校する女の子と話すことを期待する冴えない男子生徒だ。


 最後のは完全に俺の主観でしかない。

 だが、ライトノベルやラブコメ漫画とかの序盤の展開ではこういった何の変哲もないシーンから物語はスタートしたりする。


 例えば、委員長らしき人物が教室の掃除をする為に皆よりも早くから登校し、箒で床を掃いたり、窓ガラスを雑巾で拭いたり、としに来るのだろう。

 だが、ここは現実世界だ。

 そんな生真面目で、掃除好きで毎日一時間前から登校してくる生徒は少なくとも自分のクラスには存在しない。そんなシチュエーションを期待するだけ無駄だというのは高校一年の四月当初から知っていることだ。


 妄想と現実は違う。


 そう違う筈なのだが……現に昨日、妄想が現実になった例を体験した。

 美少女になって、アイドルになるという不測の事態に頭を抱えざるを得ない。

 それにどうやら、今日の午後からレッスンとやらが始まるらしい。

 アイドルのレッスンがどういったものなのか、少なくとも妹の香織を通じて知ってはいる。しかし、ヒカリとなった姿でアイドルらしく可愛い振付や仕草を自然に出せるかと問われれば、無理と回答する。


 いや、こう考えよう。 

 自分が三ツ谷ヒカリという3Dモデルのキャラクターを実際に動かしているのだと。

 それで有名な動画配信者みたく演じればいい。


 そう考えると案外やっていけなくはないが、心配な点はそれだけじゃない。

 探したらキリがない程、浮かんでくる、

 そのせいで、昨日の晩は全く眠れなかった。

 携帯の液晶画面に反射した自分の顔を見詰めると目尻に大きな隈が出来ている。


 すると、悩みの種を蒔いた人物であるジル社長から今日に関する連絡が届く。

 『マンションの部屋へ案内したいので下記のURLの場所に十三時に集合でよろしく』という文章を拝見し、指定された時間に違和感を覚える。


「十三時ってまだ授業中だし」


 一先ず、時間の件について間違っていないかメールで確認を取る。


「ったく、こんなんで大丈夫か。この先……」

「何か不安なの?」

「そりゃまぁ……って、え?」

 

 先程まで誰もいなかった隣の席から声が聞こえ、慌てて振り返る。

 するとそこには、キョトンとした顔でこちらを伺う白里がいた。


「おはよー、昨日振りだね」


 手振りを交えた笑顔で挨拶をしてくる白里に内心で(アイドルとしての参考になる)とつぶやきつつ、現実では「おはよう」と照れ臭さを隠して返す。

 

「珍しいね。三津谷君がこんなにも朝早いなんて」

「たまたまだよ。昨日はちょっと眠れなくて」

「それいつもだよね」


 休み時間や授業の退屈な時間を俺が大体寝ているのはお隣さんの白里が知っているのも当然か。

 

「そういうそっちは?」

「朝練だよ」

「……部活入ってたっけ?」

「ううん。ホームルームが始まる前の時間まで、ダンス部が使っている校内のダンススタジオを使わせてもらってるの」


(それは熱心なことで)

 

「何だか不思議だね。この時間だとまだ人が来ないからいつも一人ぼっちだったし」

「もう八時になるからそろそろ誰か来るじゃないか?」

「いや、来ないよ。今日は学校お休みだし」

「へ?」


 間抜けな声をあげ、机の上に置いてある携帯の画面に表示された日付を確認する。

 今日は金曜日で普通の平日。祝日でもない普通の日であるのは間違いないが……


「今日は開校記念日だからお休みだって、昨日先生が言ってたけど……聞いてないか」

「聞いてない」

「寝てたからね」

「そうだった……」


 最悪だ。最悪の連鎖が巻き起こっている。

 色々と負のスパイラルが度重なって起こり続けているせいか、気分がぐんと沈む。

 そして、先程ジル社長が送ってきたメールの時間の意味をようやく理解した。

 

「あぁ、来て損した」

「まぁまぁ、休みって分かっただけ良かったじゃん」

「昨日の時点で知っていればもっと良かった」

「それは自業自得ってやつだよ」


 返す言葉もない。

 全ては寝ていた自分が悪い。一切の落ち度は全て自分にあるとし、これからは担任教諭の話す内容には出来る限り耳を傾けると誓った。

 そして、授業がないと分かれば取る行動は一つ。


「帰るか」

「帰っちゃうの?」

「え、だって……」

 

 勤勉家でもない俺が休みの日に学校に来て、勉強して帰るなんて発想は到底ない。

 そもそも、学校には授業を受ける目的以外に登校する理由などない。

 ホームルーム前のギリギリに登校して、帰りのホームルームが終わった即帰宅が俺の鉄則……だった。


 これからは今までと一辺倒した生活を送ることになる以上……今までの自堕落な生活とはおさらばになる。

 休む時は休んで、動く時は動く。

 このメリハリに従い、俺はさっさと帰って少しでも身体を休息させて備えるとする。


「……白里はこの後、何か用事でもあるのか?」

「レッスンがあるよ。お昼から」


 ですよね。同じグループのメンバーですもん。そりゃそうだ。


 聞くまでもない事だと分かっていたが、敢えて確認を取った。

 これで昨日の出来事が夢ではないという確証を得た。


「そういう三津谷君は何か用があるの?」

「……ある」

「へ~、どんな?」


 バカヤロー!

 なんで「ある」って言ったんだ、おれ!

 問い詰められた苦しさにそれっぽい言い訳で逃げる。


「友人とゲームかな」

「そこは寝なよ」

「ごもっとも」


 眠たそうな表情を見せる俺に気遣ってくれたのか、鋭いツッコミを入れられた。

 そのやり取りが意外にも楽しかったのか、白里はクスリと微笑む。


「なんだか、三津谷君と話していると少し自信が持ててくるよ」

「自信?」

「うん。私って見かけに寄らず少し人見知りな所があるから、初対面の人とかとこうやって話すのはあんまり得意じゃないの」

「そう?なの?」

「そうは見えないって良く言われるけど。それはこの仕事柄だから無理矢理慣らしたって感じかな」


 そんなことはない……と思った。

 普段から見せる表情は自然な笑顔で間違いないと思うし、人見知りという程白里は消極的な性格ではない気がする。


 白里の質問はまだ続く。


「私ってば、変だと思う?」

「変って、何が?」

「前ね。ファンの人に言われたの。私は私だという部分が見えてこないから変だって」


 いや、そう指摘するお前こそ変だと言ってやりたい。

 

「多分、私には私らしい所が上手く表現出来ないんだと思う」

「白里らしい所……」


 例えば、と言われても直ぐには浮かんで来ない。

 まだ、俺の中での白里唯菜という情報はあまりにも少な過ぎて判断材料にはならない。

 もっと近くで彼女を観察する以外に答えは出ないだろう。


 最も、これは第三者の意見ではなく、自分で見つけていかないといけないこと何だと思う。

 この先、アイドルとしての白里唯菜を決めていくのは俺やファンでもなく、自分自身。

 その性格(キャラクター)性の方向付けにどうやら迷走していると言いたいのだろうか。


「ごめんね。変なこと言っちゃって」

「別にいい。それにそうやって弱音を吐く一面も、本当の白里なんだって一つ分かったし」

「それはズルいし、知らないで!」


 ムッとした顔のままそっぽを向いてしまう。

 そんな彼女の横顔もまた、見る者を魅了するものであると密かに感じた。

 そこに白里唯菜という独自の魅力がなくとも、顔の良さというだけで推せるちょろい男性ファンは少なくとも百人は釣れる筈だ。

 

「とにかく、この事は誰にも言わないでね」

「香織にも?」

「当たり前だよ!それよりも、昨日はちゃんと伝えてくれたの?」

「あ~言ってません」

「ひどっ」

「昨日はあれから会ってないし、今朝も早起きだったから顔すら見てない」

「軽薄なお兄ちゃんだ」

「今日、伝えておくよ」

 

 『そこまで言われる筋合いはないだろ』と徹底的に反論したくもなるが、これ以上話していると時間もなくなりそうなので会話を切り上げる。

 二人でこうして他愛ない話をするのも悪くはないが、準備が優先だ。


 机の横に掛かった鞄を持って顔を挙げると、昨日の帰り際同様の笑顔で手を振っていた。


「またね」

「あぁ、また」


 白里が言った「またね」とは違うニュアンスを込めて返すと教室を後にした。

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