第7話 序章⑥

 時刻は既に午後八時を過ぎていた。

 今後の活動における色々な手続きが多く、事務所から出るまでにかなり時間を費やした。

 その手続きが終わる少し前に下の階で白里達はレッスンを終えていた。今日、この事務所を後にする際は元の姿で帰らないといけない。その帰る際に鉢合わせないようにというジル社長の配慮も少なからずあったのが遅くなった要因の一つ。


 他にも手続きはまだ沢山あるらしいが、今日の所はこれにて終了。

 ジル社長の用件からようやく解放され、事務所最寄りの駅まで車や人通りの多い明治通りを歩きながら涼しい夜風に心を落ち着かせる。


「てか、帰りは電車って……まぁ、あの人も忙しそうだし。仕方ないか」


 ジル社長はこれから部屋を用意する手続きを早急に行うことやルーチェという妹に説教をしないといけないと言うことで帰りは行きのリムジンではなく、事務所の最寄り駅から電車で帰る羽目となった。

 まぁ、あんな目立つ高級外車で帰宅はしたくないし、これからこの事務所へ頻繫に通うことになるのでこれを機にここまでの行き方を覚えるとしよう。

 それにしても……


「あ〜マジで疲れた」


 今日はとんだ日だ。

 何が原因で自分が女の子になって、アイドル活動を始めるという契約に至ったのか、そう思い返して見ると教室での昼寝が全ての始まりなのかもしれない。


 昨日の自分に言いたい。

 明日はホームルームが終わったら直ぐに帰れ、六限目は寝るな、と。

 放課後までずっと寝ていた後にクラスの美少女との帰宅に胸を躍らせる場合じゃないぞ、と。


「契約した以上、もう後戻りは出来ないか」


 決めたのはあくまでも自分の意思。

 決して女の子になった自分がめちゃくちゃ可愛い美少女だと思ったからじゃない。

 それはあくまでもオマケみたいなもので、白里の支えになってあげたいというのが本音……というのを建前にしてジル社長の申し出を受けてしまった訳だが、正直言って俺の中でまだ何を目的にアイドルとして活動していくのか定かではない。


 取り敢えず、流れのまま契約しただけでその後は未定。

 その時の気持ちを思い返せば、他にも受けても良い要因はあった。


 女の子になってチヤホヤされたいとか、もっと自分を愛でたくなってみたとか…そんなやましい気持ちは……無きにしも非ず。

 と言った感じで、色々な感情がまだ自分の中で整理出来ずにいた。


 帰ったら試しに買った百合物のラノベを読んで、女の子同士の付き合いとかを研究しよう。

 これは俺が正体をバレないようにするためであって、決してやましい気持ちはない。

 創作物で現実の女の子の心が理解出来るとは限らないが。

 なんて思考に耽りながら駅の方に向かっていると偶然にも見知った人物を発見。


「あれ、白里?」

「え、三津谷君!?なんでここに?」


 本日三度目の顔合わせ。ヒカリの時を含めれば四度。

 地下鉄駅の改札口に直結する階段の前でスマホの画面を見ていた白里は声に反応して慌てて顔を挙げた。


「なんでってそれはさっき事務所で……」


 おっと危ない危ない。

 うっかり口を滑らせる所だった。

 ここは失礼で不自然たが、質問を質問で返すとしよう。


「白里は誰か待っているのか?」

「あ~うん。今日、入った新人の子がいてね。その子とちょっと話したかったから待っているんだけど全然来なくて……」


 クスリと苦笑いを浮かべながら言われるが、白里の伝えた言葉の全てが俺(三ッ谷ヒカリ)に該当するので、些か申し訳ない気持ちになった。

 待っててくれたのか。


 その待ち人は目の前に居るのだが、居ないも同然。

 いくら待っていようとも決してやって来ないのを知っていて素通りするのはここ苦しい。

 かと言って、ここで変身も出来ない。

 さて、どうしたものか。

 

「それで三津谷君は?」

「あぁ、俺は……妹が忘れ物したから渡しに行けって親に言われてさ。それでわざわざ家からここまで」

「制服で?」

「……制服で」


 苦し紛れの咄嗟に思いついた噓で誤魔化す。


「それはご苦労様。香織ちゃんの事務所も確かこの辺だから凄い偶然」


 え、通った。てか、香織の事務所ってこの辺なんだ。

 二重の事実に内心で少し驚く。


「じゃあ三津谷君も今帰り?香織ちゃんを待たないの?」

「あいつはまだかかるっぽいから一緒には帰らないし、待つ気もないよ」

「へ~、仲は良くないとか言ってたけど実はいいんじゃないの~?」

「親の命令だから、仕方なく、な」

「ふーん。なら、私も帰ろっかな」


 待たなくてもいいの?とは口が裂けても言えない。

 待ち人は絶対に来ず。それが事実なのだから。

 なので、今回は敢えて自分から誘うとしよう。


「なら、一緒に帰るか」

「え?!」


 俺の思い切ったの提案に妙なオーバーリアクションを取る。

 今の言葉は少し不味かったかと不安になるも、彼女はいつも通り、人をおちょくるかのような顔で笑う。


「うそうそ、三津谷君が意外にも積極的だからちょっと驚いただけ」

「積極的って……そっちだって俺に言ってきたろ」

「あ~確かに。まぁ、そんな気にする必要ないか。私的にはもっと三津谷君と喋りたかったし」


 その意見には同意だった。

 俺も唯菜の事を知りたかった。単なるクラスメイトではなく、一個人として。

 それにこれからは活動を共にしていく仲間の一人。

 こういうコミュニケーションは特に大事だと考えていた。

 まぁこの姿だと、一定の距離感までしか縮められないけど。


「じゃ、帰ろっか」


 そう言って階段を先に降りていく白里の後に続いて改札口へと向かって降りていった。

 その後、お互いに帰り道がほぼ一緒だったのもあり、今日の放課後に別れた駅までは同じ電車だった。

 何を話そうか、そう少しばかり考えていたが、彼女の気さくな性格に救われ、自然と会話していた。

 特に俺自身、さり気ない感じで「白里の所属するアイドルグループってどんな感じなの?」と聞いて情報を聞き出すつもりで会話を進める。


 情報を纏めるとこうだ。

 これから入るアイドルグループはまだ結成してから一年も経っていないため、活動自体をそこまで上手く進んでいないらしい。

 今は週一回の定期公演を渋谷、原宿、新宿にある小さなライブスタジオで他のアイドルグループと合同で行う対バン形式でのライブが中心で、ファンの数もそれほど多くはない現状だとか。


「三津谷君は地下アイドルにどういうイメージ持ってる?」

「イメージ…か。なんか、ペンライト振ってるみたいな?」


 自分の中での勝手なイメージとしてファン=オタク。

 オタクのライブ応援=ペンライトという謎の構図がある。

 実際に去年、友人といった某有名声優のライブに行った時は九割くらいの人がペンライトを振っていたため、同調圧力で自分も持っていないと不安になるくらいであった。


 逆に一般的なアーティストのライブとかなるとタオルとフラッグを振ったりするのが主流だろうか。

 そのイメージに白里はうーんと少し難しそうな顔を浮かべる。


「ペンライトも使うかな。それぞれイメージカラーとかあるから推しに対してアピールするって意味ではわかりやすいかな」

「なるほど、推しのアピールか」


 裏を返せば、色の多さや少なさで人気の差が出るって事も意味する。

 割とそれは残酷なシステムだと俺は思う。


「でもやっぱり最初は驚いたかな。色々と…」


 驚いたか。

 そりゃそうだよな。

 俺も初めて行くライブに驚かされた記憶は多々ある。

 アーティストのパフォーマンスもだが、それ以上にファンの独特なパフォーマンスにも。


「だからね、少し心配なんだ」

「心配?」

「うん。今日新しく入ってくる子が馴染んでくれるか」


 え、なんかその言い方だとちょっと怖いイメージがある。


「基本的にファンの人達は良い人ばかりなんだけど……地下アイドルって結構有名なグループの所とは違ってファンとの距離が近かったりするんだ。それで前にちょっと事件があって辞めちゃった子がいて」


 そう言う意味か。

 ファンの人達全員が善良で温かな心を持っているとは限らない。

 時には私利私欲の為に不適切な方法でアイドルとの距離を近くしようとするファンもいるというのはニュースやネットの記事を通じてたまによく見かける。


 そんな輩がいたらあの屈強なボディーガードマンらに拘束されて、即お縄につくだろう。

 その面で考えると彼らは味方だととても頼もしく思える。

 なんて少し楽観的になりながらも、不安な表情を浮かべた白里に三ツ谷ヒカリを代弁して伝えた。


「多分大丈夫。白里が楽しくやっているのを見れば、その人も楽しくやれるって」


 複雑な気持ちだ。

 代弁したつもりなのに、本音が強く浮き出てしまった。

 代弁も何も俺が三ツ谷ヒカリである以上、別に言葉を選ぶ必要はないが今の自分は三津谷陽一である。こうして二人の人物(キャラクター)を演じるのは本当に大変で、面倒だと身に染みた発言であった。

 だが、その反面。その言葉は唯菜の背中を押してくれる一歩になっていた。


「三津谷君も良いこと言うね」

「……あくまでも憶測だけどな」

「そうだね。でも、励みになるよ」


 そんな風な話をしている途中で唯菜の最寄り駅に電車が停車。

 いつもの気さくで柔らかな笑みで振り返ると……


「また、明日」

 

 その仕草に少しばかり心の時を止められた陽一は遅れて手を振り返す。

 ホームドアと電車のドアが同時に閉まると背を向けて階段へと降りて行った。

 平日にしては珍しく閑散とした車内に残され、俺は次の停車駅まで窓の外をぼんやりと眺めた。

 

『どうか、彼女達の支えになってほしい』

 

 ジル社長のそんな言葉がふと自分の中で過る。

 支えか……。

 

 俺なんかが白里達にしてあげられることなんて思いつかない。

 でも、それは当然。

 まだ、何も始まっていないのだから。

 ライブはおろか、レッスンさえもこれから。

 そう何もかも全て、これから。

 そこに楽しみが待ち受けているとも限らない。


 俺が歩もうとしているのは未知の道のり。

 この世界で唯一、俺だけが知れる超絶特殊で非現実的なアイドル活動。

 正体がバレれば色んな意味で人生終了!

 ハラハラドキドキTSアイドル三ツ谷ヒカリ。


 うん。考えるだけで胃が痛くなると同時に、後先考えるのが凄く怖くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る