帰り途
河村雨季
帰り途
空を覆った雲が、夕刻を隠すようにどこまでも続いている。
雨上がりの湿った
この町の小学校に入学して初めての夏を前に、じめじめと肌に纏わりついてくる湿気が、少年に彼らの存在を
「
入学してまもなく、同級生たちの間で合言葉のように囁かれはじめたそれは、
学校で初めて彼らと遭遇したのは、入学して最初の算数の授業だった。使い古された机や椅子、黒板などの備品とは裏腹に、まだ一つの傷も付いていないランドセルやそこに存在することに慣れていない子供たちによって、教室内には、「新しい」という緊張感が漂っている。
「それじゃ、算数の教科書を出してください」
若い女性の担任教師、木村が
「うわあぁっ」
瞬間、短い悲鳴が教室を巡る。
叫びながら椅子もろとも床に倒れ込む
「大丈夫⁉︎」
そう驚き混じりに声を掛けながら木村は
−なに?
−どうしたの?
それぞれの囁きが、一つに纏められ、ザワザワと教室を撫でる。木村は
「き……きょうかしょ……」
辛うじて声を搾り出した
「なにもないよ?」
(慄く《おのの》ようなことは)という意味を含んで一人の女子生徒が不思議そうな顔で、
−−−しまった。
木村は
その言葉に微かな悲嘆が女生徒たちの間で生まれたが、木村はそれらを
−−−ビビりと思われていた方が百倍マシだった。
5月にもなると、子どもたちは学校生活にも慣れ、校内に足を踏み入れれば、たちまち学校の一部と化すようになった。しかし、
最初は他の生徒も
しかし先週の水曜日、
学校帰り、いつものように一人で帰り道を歩いていると、クラスメイトの
「このあとサッカーするけど、おまえ来ない?」
人に声を掛けられたことにびっくりして、黙り込んでいる
「人数、足りないんだよ」
「あ、うん」
お寺の門を潜ると、併設されて立っている自宅の玄関ドアが開いて、
「ただいまっ」
とすれ違いざまに声をかける。
自分の部屋へと足を踏み入れることもなく、ランドセルを放り投げると来た道を駆け戻る。
「学校で遊んでくる!」
まだ庭を掃き始めてもいない祖父に、声を掛けて門をでた。祖父に何か声を掛けられたが、よく聞こえなかった。
急いで学校へ行くと、「さえじま、こっち」と早坂が校庭の隅から声を掛けてきた。
「……おまえ、キーパーでいい?」
「……うん」
そろそろ解散しようということになり、校門へ向かいみんなで歩き出だす。
「はやさかくん‼︎‼︎」
「なにすんだよ‼︎‼︎」
地面に倒れ込んだまま赤子のような声を上げる早坂の顔と体は土埃にまみれ、所々、擦り切れた傷口から滲む鮮血とその土埃とが交わってゆく。
「キモいんだよ、死ねよ」
そう、声がした。
はたと視線を彼らに向けたが、誰が言ったのかはわからない。ただそこには、ハッキリと侮蔑を
その後のことは、早坂の泣き声に気づいて職員室から出てきた教頭の姿と、祖父が学校まで自分を迎えに来たことくらいしか覚えていない。
これがきっかけとなり、これまで余所余所しくも必要に応じては会話してくれていたクラスメイト達は、目も合わせてくれなくなった。陰口を叩くわけでもなく、何か意地悪されるわけでもない。
まるで
−−−ぼくも、あいつらと同じなんだ。
「どうしろっていうんだよ…」
雨は上がったはずなのに、先ほどよりもさらに淀んで見える空のもと発した、
−−−ひとりでよかった。
−−−いきてるひとがいなくてよかった……。
それもまた、蛙の声に消されてしまった。
完
帰り途 河村雨季 @amezilyosi
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