三十六話 思っていたより、良い人かも?
劇場での演奏会を終えてから、最初の学園生活が始まった。
起こり得る事象が起こらず、起こり得ない事象が起こったこの二週間。
未だ私は、平穏な一日を送っている……。
「アンスリア嬢、今朝は遅刻寸前でしたが、気が緩みすぎではないですか? 公爵家の人間としてあるまじき行為です。恥を知りなさい」
「……申し訳ございません」
……訳がなかった。
今朝の私は、事情があって遅刻しかけていた。そんな失態をバーナード様に目撃されて、休み時間になる度に存分に叱責されている。
ちなみに今は、昼休み。
「……以後、気を付けます」
「はぁ……まあ良いでしょう。今日のところはこの辺にしておきます。少し遅くなりましたが、昼食を摂ってきてください」
遂にバーナード様から解放された私は、軽い足取りで
悪役令嬢の私が公衆の面前で叱りつけられ、ただ縮こまるだけの姿はさぞ楽しかったのだろう。
━
昼休みも真っ只中、私は
きっとメアはお腹を空かせて待っているはず。まだ本調子ではないのだから、給仕はリヒトに任せていれば良いのだけど。
「メア、リヒト、待たせたかし……ら?」
「遅いですよ。一体何処へ寄り道していたのですか。適切な食生活を怠れば、自身の健康にも影響します。公爵家の人間なら、それくらいは意識してください」
何故かリヒトとメアの間には、先程別れたばかりのバーナード様が腰掛けていた。既に食事を進めていて、ご丁寧にテーブルナプキンまで装着済みで。
「……申し訳、ございません」
いやいやいや。私、教室から真っ直ぐに
この御方、
「わかったのなら構いません。ここは貴女の有能な使用人に免じて不問としましょう。僕が同席する事を伝えていないにも関わらず二人分の食事まで支度済みとは、大した見識ですね」
バーナード様は確実に勘違いをしている。
前もってテーブルに用意された二人分の食事。実はそれ、私とメアの昼食なのだけど。
メアが私より先に食べ始めるような子でなくて、本当に良かったわ。
「時に侍女の方、怪我の具合は如何ですか?」
静かに食事を進める中、メアに向けてバーナード様が尋ねる。
この状況、まずいわ。だってメアは、ジュリアン様が相手でも礼儀知らずな態度を取るんだもの。バーナード様に軽口を叩いたりしたら最後、また私が怒られてしまう。
最悪、レオニード公爵の耳に入ってしまったらメアが解雇されてしまうかもしれない。きっと『ヴェロニカ家の面汚しが!』、何て言われて……。
お願い! メア、逃げて!
「バーナード公子、お気遣い感謝致します。恐れながら
気遣うバーナード様に頭を下げ、粛々と畏まるメア。
……そういえば、メアは私以外には礼節を持っている、って聞いた事があるわね。
ちなみに私が遅刻した理由は、メアが心配だったからだ。あれからまだ五日しか経っていなのに、もう職場復帰するって言い出したのだから。
だから今朝の私は、
「そうですか。壮健で何よりです」
事無きを得た私は、自然と安堵の溜め息を吐く。
しかし、バーナード様はその隙を逃してはいなかった。
「ところで、どうしてアメリナ嬢の執事がここに?」
次に狙いを定められたのはリヒト。
狙われたのは私ではないのに、ましてや何も悪い事はしていないのに、まるで尋問されているように感じる。
まさか、アメリナから執事を取り上げたと思われているのかしら。
「只今、アメリナお嬢様は王太子殿下の元を訪ねておられますので、本日はアンスリアお嬢様に仕えさせて戴いております」
「ほう、婚約者の
リヒトと話しているはずなのに、何故か私から目を放さないバーナード様。
平常心を保とうとすればする程、冷や汗が止まらない。
「……まあ良いでしょう。アンスリア嬢、食事の手が止まっていますよ」
「申し訳ございません。少し食欲が無くて……」
「汗水流して民が収穫し、料理人が真心を持って調理した食事を食べ残すとは、些か感心しませんね」
「……申し訳ございません。きちんと召し上がります」
こんな尋問されながらなんて、落ち着いて食べられる訳ないでしょう。
それにリヒトもメアも、必死に笑いを堪えてるのが丸わかりよ。顔を真っ赤にして、肩も震わせているじゃない。
そんな事よりも、この間ジュリアン様が言っていた事は本当なのかしら。この監視は本当に私の無実を見極める為なのか疑わしいわね。
もしかしたらバーナード様の真意は、その逆なのかも。
━放課後・教室━
「僕はこの後、残った執務を片付けなければなりません。居ないからといって決して気を緩めぬよう、心掛けてください」
「はい、バーナード様。本日はご指導戴き、誠に感謝致します」
……やった。やっと解放されるわ。
本当に学園にいる間は付きっきりだったバーナード様。
仮面でも被っているのかと思うほど無表情で、淡々と話す声も無感情。過去の転生では、ここまであの御方と接した事は無かった。どうして
とりあえずは、気を引き締めてかからないと。
「あれ? バーナード様は帰ったんですか?」
私を迎えに教室まで訪れたメア。辺りを見渡しながら、そう聞いてくる。
てっきり昼食を抜かれて怒っているかと思ったけれど、大丈夫そうね。
「ええ、帰宅した訳ではないけれど、バーナード様はもう居ないわ」
「そうなんですか? それじゃ、帰りましょうか!」
そして私達は、教室を後にした。
今日は早く帰路に就けた為か、
皆それぞれ、平穏な学園生活を満喫しているんだ。私もいつか、そんな風に過ごしてみたい。
ルールカさんやイライザさんと一緒に細やかなお茶会をして。そこにはリヒトとメアもいて。
「ほら! 土下座しなさいよ!」
そんな事を思い描いていたその時、庭園の中から聞こえてきたのは既知の声だった。
と言っても、エイミーさんかカルメンさんかまでは判別できない。でもその二人のうち、どちらかなのは確かだ。
普段からジェニファーさんの取り巻き、くらいにしか認識していないから、私の中で影が薄いのよね。
「メア、先に行って馬車を待たせておいて頂戴。少し寄り道してくるわ」
「ええー? またですかぁ? 早く帰ってきてくださいよー」
きっとまた、誰かを虐げているのかもしれない。どうして私ではなく他の人なのか。少しだけ気になってしまった。
まぁ、ちょっと様子を見るくらいなら……。
この時の私は、忘れかけていた。
変わりゆく
まさか思い出す事になるなんて思いもしなかったんだ。
自分の犯した、過ちを。
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